デンマーク映画「アフター・ウェディング」:取引の手段としての善意

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2006年のデンマーク映画「アフター・ウェディング」は、ホームドラマ風のメロドラマである。それに、インドで貧民救援の活動をしている男などの善意を絡ませている。問題はその善意が本物でないことだ。だから非常に後味の悪い映画になるべきところ、そうもならないのは俳優たちの演技のたまものか。

インドで貧民救済や孤児の教育活動をしているデンマーク人の男ヤコブは、資金難のために活動が行き詰っているところに、デンマークから資金援助の申し出を受けて、話を聞きにいく。ところが、ドライなビジネスの話ではなく、ウェットな家族関係に巻き込まれる。援助を申し出た男ヨルゲンには複雑な事情があって、近いうちに死ぬ自分のかわりに一家を引き継いでほしいというのだ。なぜ、そんなことを言うのか。実はかれの妻ヘレネは、ヤコブのかつての恋人で、ヤコブの子を産んでいたのだ。そのアンナという子を、ヨルゲンはヘレナともども愛していて、自分にかわって彼女ら母子の面倒を見てほしいというのだ。

こんなめちゃくちゃな話は日本では考えにくいが、プロテスタントの国であるデンマークでは、不思議なことではないらしい。プロテスタント的な倫理観からすれば、こういうことも十分ありうることらしいのである。だいたいが、自分の全財産を、慈善事業に寄付するというのもプロテスタント的といえるようである。そうした慈善を行う条件として、ヨルゲンは自分の家族の面倒を見てくれるようヤコブに依頼するのである。つまり、善意と実益とをはかりにかけているわけで、こういうのは、日本人としては、善意の押し付けに見える。善意というものは、本来見返りを求めてはならないというのが、日本的な感覚である。ところがこの映画の中のデンマーク人は、善意を取引の手段として使っているフシがある。

結局ヤコブはヨルゲンの条件をのんで、デンマークに残ってかれの家族の面倒を見る一方、インドでの慈善事業を別の形で継続するよう決断する。いちおう自分の慈善事業も継続できるし、実の娘を含めた新たな家族を持つこともできる。一挙両得とはこのことである。

ヤコブにとっては一挙両得といえるかもしれないが、それを見させられる観客にとっては、なんとも呑み込めない話である。なお監督は女性のスサンネ・ビアである。デンマーク語を中心にして、英語とかヒンディー語も交えている。ヤコブの名前についての話題で、ヤコブのコは、KかそれともCかというやり取りがあるが、デンマーク語ではKとCの使い分けが大事なのだろうか。






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