デンマーク映画「偽りなき者」:デンマー式村八分

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2012年のデンマーク映画「偽りなき者」は、デンマー式の村八分をテーマにした作品。その村八分が集団ヒステリーとなるところがいかにもデンマークらしいところだ。この映画を見ると、デンマークはろくでなしの天国だと言ったキルケゴールの言葉を思い出す。ちょっとしたゴシップが途方もないスキャンダルに発展し、罪もない人間をよってかたって迫害する、というのがデンマーク式の村八分の特徴であり、それをろくでなしどもが楽しむ。キルケゴール自身がそういう村八分にあう体験をしたので、かれの言うことには迫真性がある。



主人公は幼稚園の教員をしている中年の男。その男に好意を寄せる幼女が、自分の好意を拒絶されたと感じて、復讐に及ぶ。復讐といっても、幼児のことだから、他愛ない嘘をつくことくらいしかない。その男に性的な虐待を受けたと思わせるような嘘を、幼稚園の園長相手につくのだ。幼児の嘘はよくあることだが、それを間抜けな大人が真に受けて、しかも大騒ぎに発展させる。その騒ぎのあおりをうけて、男は村中から白い目で見られ、あげくはひどい暴力を受けたり、かわいがっていた犬を殺されるなどの迫害を被る。そのさまをみていると、日本の村八分よりはるかに陰惨だ。デンマークが非常に狭い社会であり、逃げ場がないということが、迫害をいっそう陰惨なものにしているのだろう。日本でなら、他に移住して、ゼロからやり直すということもできるが、狭いデンマークにあっては、そうしたことが期待できないのである。だから、従来の生活を回復しようと思ったら、徹底的に戦って、相手に非を認めさせねばならない。

じっさいこの映画の中の迫害される主人公は、かれなりに戦って、自分の迫害者に非を認めさせるのだ。そのへんが、デンマーク的な解決というか、日本ではありえないようなことがデンマークではありうるのだと思わされる。日本では、いったん破壊された人間関係は、ほとんど修復不可能であるが、デンマークでそれが可能なのは、キリストの思し召しを人々が信じているからだ、というふうに伝わるように作られている。そういう意味では、この映画は極めて宗教的な雰囲気の強い作品である。






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