ガザの大虐殺に思う:落日贅言

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小生の落日贅言シリーズ、今回はいま進行中のイスラエルのユダヤ人によるガザのパレスチナ人の大虐殺について書こうと思う。前回は、イスラエルのユダヤ人とガザのパレスチナ人の衝突が始まって間もないころのことだったので、その衝突がどの位の規模まで拡大するか見通しがつかなったこともあり、評価するには時期尚早と判断して、次回に繰り延べしたのだった。今や衝突開始から一か月以上たち、ある程度今後のことが予測できるようになってきたので、ここいらで取り上げてもよいと考える。

イスラエルのユダヤ人は、ガザを支配するハマスを根絶やしにすることを目的に、ガザを無差別攻撃している。もはや一万人以上のパレスチナ人が殺され、その大部分は女性や子供である。イスラエルのユダヤ人は、ハマスに不意打ちされたことで逆上しており、報復と称してパレスチナ人の無差別殺害に邁進している。そのことについて国際社会が懸念や批判の声をあげても、馬耳東風の様子に見える。とにかくパレスチナの抵抗勢力をせん滅するためには、どんなことでもやるといった強い姿勢が伝わってくる。イスラエルのユダヤ人とガザのパレスチナ人との軍事力を比較すれば、イスラエルのユダヤ人は圧倒的な優位に立っており、遠からずハマスの殲滅に成功すると思われる。それについて、女性や子供の犠牲者が多数出ることは気にしていないようである。

すでに市街戦に入っており、ハマスの絶滅は時間の問題と考えられる。それを見越して、戦闘終了後のガザの統治についても云々されるようになってもいる。イスラエルのユダヤ人は、パレスチナ人側が二度とユダヤ人を攻撃できないよう、確実な安全保障体制を構築したいと考えているようだ。もっとも理想的なのは、パレスチナ人全体を根こそぎ殺しつくしてしまうことだが、ガザだけでも200万人以上いるパレスチナ人を皆殺しにするのはむつかしいだろうし、パレスチナ人は西岸や、ヨルダンなど周辺諸国にも多数いる。それらすべてのパレスチナ人を殺しつくさないことには、イスラエルのユダヤ人の確実な安全保障とはならないだろう。

次善の策として、ガザのパレスチナをガザ地区から追い出してしまい、ガザをカラにすることで、イスラエルのユダヤ人をガザから攻撃できなくさせることだ。追い出し先としてはエジプトなどが想定されているようだ。イスラエルのユダヤ人は、これまでパレスチナ人をたびたび居住地から追い払ってきた実績をもっているので、パレスチナ人を追い立てることは得意とするところだろう。しかしこれは、民族の強制移住として国際社会から非難をあびる覚悟がいる。そこで、同盟国のアメリカは、西岸の統治者であるアッバース政権にガザの統治をまかせたらどうかと勧めているが、それがすんなり実現するかどうかは不透明だ。アッバース政権は、ガザの人たちにはもともと人気がなかったし、今回は、ユダヤ人による同胞虐殺を前にして、なにもしなかったという恨みがあるだろう。

今回のこの不幸な事態は、ハマスが主導するガザのパレスチナ人が、イスラエル領内に侵攻して、1400人以上のユダヤ人を殺害し、200以上の人々を人質にとったことへの、イスラエルのユダヤ人による報復という形をとっている。当初は、アメリカやヨーロッパの主要国は、イスラエルのユダヤ人によるガザのパレスチナ人への報復攻撃を自衛権の行使だとして全面的に支持していた。それに気をよくしたイスラエルのユダヤ人は、これは自由のための戦いだなどとうそぶいたものだが、じっさいには、度を越した虐殺以外のなにものでもない。その虐殺の非人道的な性格は、いまや世界中に知られるところで、アメリカやヨーロッパの主要国のなかにも、それを批判する動きが出ているほどだ。だから、ここでは屋上屋を重ねるようなことはしない。

それにしても、ネタニヤフが中心になってやっていること、つまり過度の虐殺を見ていると、償いは人肉でさせるという決意のようなものが伝わってくる。人肉で償わせるというと、あのヴェニスのユダヤ人商人シャイロックが想起される。シャイロックの場合は、借金の償いを人肉でさせようとして、ポーシャの機転で諦めさせられたのだったが、ネタニヤフを機転で諫められるものは存在しないので、やりたい放題に人肉をむさぼっている、つまり人間を殺しつづけている。その人肉のむさぼり方は、ゴヤの描いた、子供の肉を食らうサトゥルヌスを想起させる。ともあれ、イスラエルのユダヤ人は、これまで日常的にパレスチナ人を攻撃し、夥しい数の人間を殺してきた。今回の事態も、規模こそ違え、その延長にあるものだ。とはいえ、肝をつぶされるほどの残虐さを感じさせる。こんなに残虐な集団虐殺は、ナチス以来のジェノサイドというべきであり、人類史上もっとも凶悪な暴力犯罪というべきである。国連も、一部ではあるが、これを戦争犯罪だと言うようになってきている。

今回の衝突がどのような形で収束しようと、将来にわたって両者の衝突が回避されることにはならないであろう。かえって、今回の衝突で、イスラエルのユダヤ人とパレスチナ人の対立がさらに激化する可能性が大きくなるだろう。また、アラブ諸国のイスラエルのユダヤ人に対する感情も非常に悪くなるであろう。こんな大虐殺を見てしまっては、アラブ世界の人々は、イスラエルのユダヤ人をまともな人間とは見なしえなくなるであろう。ひとりアラブの敵たるにとどまらず、人類全体の敵と思いたくなるのではないか。ナチスが人類全体の敵というレッテルを貼られたように、イスラエルのユダヤ人も、少なくともアラブ世界では、人類全体の敵というレッテルを貼られることになる可能性が大きい。

いずれにしても、イスラエルのユダヤ人が、イスラエル国家として中東に存在する限り、衝突の種はなくならないだろう。そして世界の平和を乱し続けるであろう。それゆえ、問題を根本的に解決するためには、イスラエル国家の正統性について、改めて考え直さねばならない。欧米諸国が今回イスラエルの自衛権を云々した際には、イスラエル国家の正統性を無条件に前提していた。だが、イスラエル国家とは、植民地主義の産物だったということを忘れてはならない。欧米諸国がヨーロッパのユダヤ人シオニストにイスラエル国家の建設を許したのは、中東に有していた植民地主義的な権益の一部をゆずったということである。だがそこには、二千年前からアラブ人が住んでいた。それは、アメリカ大陸に先住民が住んでいたのと同じだ。アメリカにやってきたヨーロッパ人は、先住民を皆殺しにし、かれらから奪った土地で、アフリカから連れてきた黒人を奴隷として使役することで富を築いた。そういうやり方を、歴史学では植民地主義という。ヨーロッパの各地からパレスチナにやってきたユダヤ人が、先住民族のアラブ人を追い払って、そこにイスラエル国家を作ったのも、アメリカの場合と同じだ。いまではアメリカの建国に疑いをいれるものはいないが、イスラエルの建国については、疑いをはさむものが存在する。ましてや、イスラエルのユダヤ人は、しょっちゅう周囲との間で衝突を引き起こし、世界の平和に悪い影響を及ぼし続けてきた。それは、欧米諸国が支持するからできることだ。なぜ欧米がそれを支持するかというと、いまだに植民地主義が欧米諸国にはびこっているからだ。

そんな具合だから、中東に本当の平和を取り戻すには、イスラエル国家の正統性をいったんカッコに入れることが必要である。極端な言い方をすれば、イスラエル建国にさかのぼってリセットしたほうがよい。つまりイスラエル建国をなかったことにするのである。そのうえで、ユダヤ人とアラブ人とがどのようにして共存できるか、それを真剣に考えねばならない。もしどうしても共存できないのであれば、この問題の根本的な原因を作ったイギリスとかアメリカに、責任を取らせればよい。つまりイスラエルのユダヤ人を自分の国に移住させ、その面倒をみてやればいいのである。

こんなことは極論で、まったく実現できる可能性がないと言われるであろう。そんなことは小生も承知している。にもかかわらず、こんなことを言うのは、この問題に対する欧米の植民地主義的な欺瞞性を指摘したいからである。かれらがイスラエルのユダヤ人を依怙贔屓するからこそ、イスラエルのユダヤ人は安心してパレスチナ人殺しを続けられるのである。

ところで今回の衝突では、日本の対応も注目された。日本は、色々な事情があって、アラブ世界ともうまく付き合ってきたので、この問題については、仲介役の役割を期待された。だが、じっさいには、アメリカに忖度して、なにもすることがなかった。かえって、G7と同調する形で、イスラエルの自衛権を支持する姿勢を示したほどだ。時の外務大臣がわざわざ中東まで行ったが、結局なんらの役割も果たせなかった。かつて女優の田中絹代が、アメリカ旅行をしたことを揶揄されたことがある。アメリカに行ってただ小便を垂れてきただけだといわれ、ションベン女優などと悪口をたたかれたものだ。今回の外務大臣の中東訪問もそれと同じようなことになった。

なお、小生はかつて、イスラエルとパレスチナの対立について歴史的考察をしたことがあるので、そちらも一読願えれば幸いである。

    https://philosophy.hix05.com/Israel/israel.index.html
    





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