ヘンリー四世第二部 Hollow Crown シリーズ第三作

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2012年のイギリス映画「ヘンリー四世第二部(Henry IV, Part 2)」は、BBCのHollow Crown シリーズ第三作。冒頭部分で、第一部からいつくかのシーンを紹介しているように、あくまでも第一部の延長だという演出である。だが、原作では、第一部と第二部との間には微妙なニュアンスの違いがある。原作は第二部をコーラスという形をとったプロローグで始め、そのプロローグがこの物語を独立したものとして印象付けている。ところが映画は、第一部の終わった時点から始まり、それに連続するものとして、演出している。

映画の原作とのニュアンスの違いについて、もう少し立ち入ると、いくつかのことが指摘できる。まず、フォールスタッフの描き方。原作では、フォールスタッフはハリーとつるむ機会が少なくなり、その分自分勝手な行動にあけくれるようになる。その行動は小悪党を思わせるもので、したがって第二部のフォールスタッフには、第一部で顕著であった道化の祝祭的な雰囲気が大きく後退している。ところが映画では、フォールスタッフはあいかわらず、ハリーに付きまとっている。もっとも、かれのあくどさはそれなりに表現されてはいるが。

ハリーの描き方にも、原作とは微妙な違いがある。原作では、ハリーは正統な王位継承者として、たいした波風をたてずに王位を継ぐというふうに描かれているが、映画では、父王の不信をかったあげく、父王がハリーを見放しそうになることが強調されている。原作にはないセリフを入れて、父王のハリーへの怒りを強調しているのであるが、これは、演出者のテクスト解釈の独自性を物語るのであろう。

そのほか、シーンの順序を入れ替えたりして、原作とは違った雰囲気を持ち込もうとしている。原作では反乱軍の協議の場面から始まるところを、映画はフォールスタッフの登場で始まる。また、父王がハリーへの怒りを表明する場面を映画では比較的早い段階で出す。そうすることで、この映画が、フォールスタッフと父王を中心にして展開するという演出方針を示しているわけである。それにともなって、ハリーの存在意義がかなり小さくなるように作られている。ハリーの存在意義は、原作でも低く表現されているのであるが、映画ではそれがもっと露骨になる。反乱軍との決戦を制したのは、弟のジョンであって、ハリーはまったく役割を果たしていない。また、父王が死んだと勘違いして王冠を自分の手にする場面では、原作にはないセリフを父王に吐かせて、ハリーに怒りをぶつけさせている。要するにこの映画の中のハリーには、ほとんどいいところがないのだ。

この映画の最大のテーマは、父王の不安である。父王は、自分の王位継承の正統性に悩んでいる。自分は王冠の簒奪者ではないかとの思いが、かれを後悔させる。反逆者たちが立ち上がったのは、自分の王位継承上の正統性に疑問を持たれたからでないか。そう考えて父王は不安に駆られるのである。この映画は、父王のその不安を中心軸にして展開するように、意識的に作られている。

こんな具合に、これはシェイクスピアのテクストをかなり自在に読み替えた作品と言えなくもない。





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