ラスコーリニコフのペテルブルグ:ドストエフスキー「罪と罰」

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小説「罪と罰」はペテルブルグを舞台にして展開する。ペテルブルグは十八世紀の初期にロシア皇帝ピヨートル一世がネヴァ川の河口に建設した人工都市である(都市名はピョートルにちなんでいる)。もともとフィンランド人が住んでいたところだ。だからフィンランド人が結構住んでいる。この小説にフィンランド人は出てこないが、ドストエフスキーのペテルブルグを舞台にした他の小説には出てくるし、またプーシキンらのペテルブルグを舞台にした作品にも出てくる。そのプーシキンの「青銅の騎士」はペテルブルグの建設とその直後におきた大洪水をテーマにしている。ペテルブルグは湿地帯なので洪水が起きやすいのである。市内に縦横にめぐらされている水路は、水運とともに排水の便に供されている。

ペテルブルグは,1711年にロシア帝国の首都となり、1917年にボリシェビキ革命が起きるまで、ほぼ二百年にわたりロシアの首都だった。首都には役人と軍人が多い。住民の上層部はほとんどがそうした階層の人間によって構成されている。だから、ペテルブルグを舞台にした小説にはやたらと役人とか軍人が出てくるのであるが、「罪と罰」はやや例外に属していて、下層階級の人間が多数出てくることは、前稿で指摘したとおりである。

ペテルブルグは、モスクワと比べ町の規模は小さい。この小説の中では、主人公のラスコーリニコフは徒歩で市内各地を歩き回っている。歩いて回れる範囲におさまるほど、こじんまりとしているのである。

小生は、数年前にペテルブルグを観光目的でおとずれたことがある。その際に歩き回った範囲が、だいたいこの小説の舞台となった場所とほぼ一致していたので、多少懐かしい思いにとらわれたところだ。そこで小生の歩き回った範囲と、この小説の舞台となった範囲を対照しながら紹介したいと思う。

小生は、ロシア旅行の一環として、ベリーキー・ノブゴロドからバスに乗って市内入りした。市の東側にあるバスターミナルから地下鉄でサドーヴァヤ駅に至り、地上に出るとセンナヤ広場があった。この小説の舞台の中心となる場所である。センナヤ広場に近接してモスコフスキー大通りが南北に走っている。その通りに面したドーム・ヴャゼームスコイというところに投宿した。これは文字通りにはヴャゼームスカヤの家という意味だが、ロシア語のスラングで木賃宿という意味もあるそうだ。アパートメント風の宿なので、そんな印象が当てはまるかもしれない。この小説に出てくる人々は、だいたいがアパートメントに住んでいるのである。

小生はこのホテルを足場に、エルミタージュとか、そこから伸びるペテルブルグのメーンストリート・ネフスキー大通りとか、ネヴァ川にかかる橋だとか、ヴァシリエフスキー島といったところを歩き回ったのだったが、これがだいたい、ラスコーリニコフの歩き回った場所と重なり合うのである。

ラスコーリニコフ自身は、センナヤ広場近くの路地のアパルトメントに住んでいる。かれは自分のアパルトメントを出入りする際には、かならずセンナヤ広場を横切るから、きっと広場からのびている路地にかれのアパルトメントはあるのだろう。一方、かれの友人ラズミーヒンはヴァシリエフスキー島のアパルトメントに住んでいる。また、母と妹が身を寄せる安アパートは、モスコフスキー通りから西側に五百メートル離れてやはり南北に走っているヴォズネセンスキー通りにある。ラスコーリニコフの行動範囲は、この三つの場所をめぐる限られた範囲のものである。ソーニャのアパートとか、マルメラードフ一家の住んでいるアパートとかは、センナヤ広場の周辺にあるのだろう。老婆の住んでいるアパートとか、警察署なども、センナヤ広場から遠くはないはずだ。というわけで、この小説の空間設定は、センナヤ広場を中核にして、狭い範囲に限られている。

そのセンナヤ広場だが、小生がおとずれた際には、こぎれいな近代的空間だった。ところがこの小説の中では、センナヤ広場は、周囲に貧民街が広がるような雑然とした空間だという印象を与える。母や妹が住んでいるヴォズネセンスキー通りも、スラム街のように書かれているが、これも小生が訪れたころには、近代的な印象のこぎれいなところだった。そんなわけで、ペテルブルグの町は、ドストエフスキーの時代からはかなり変化したことをうかがわせる。

スヴィドリガイロフはソーニャと同じアパルトメントに住んでいることになっている。そこからかれはドゥーニャを訪ねに行く。たいした時間は要しなかっただろう。かれがドゥーニャのところを辞したあと、ピストル自殺をするのは、ネヴァ川に近い場所だというから、おそらく、聖イサアク大聖堂のあたりではないか。ヴォズネセンスキー通りを北上すると、聖イサアク大聖堂を経てネヴァ川につきあたるから、非常にありうることである。距離は一キロないのではないか。

なお小生は、エルミタージュの裏手から船に乗ってペテルゴフ島に至り、夏の宮殿なるものを見物したものだが、この小説にはその島のことは出てこない。







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