イギリス映画「日の名残り」 執事の眼から見た世界の動き

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1993年のイギリス映画「日の名残り(The Remains of the Day ジェイムズ・アイヴォリー監督)」は、日系のイギリス人作家カズオ・イシグロの同名の小説を映画化した作品。小生は、原作を未読なので、それと比較することははばかられるが、歴史家の近藤和彦によれば(「イギリス史10講」)、原作の雰囲気は映画にもよく反映されているようである。

イギリスには、貴族や金持ちに仕える執事という職業があり、その執事から見た1930年代後半の世界を描く。その執事スティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)が仕えるのは、ダーリントンという貴族で、政治にも手を染めており、世界の政治指導者と渡り合っている。ドイツ贔屓であり、ナチスの悪評がすでに知れ渡っているにかかわらず、ドイツの利益を優先するような姿勢を取っている。それに対して執事であるスティーヴンスは、政治向きのことは一切考えないようにして、ひたすら主人に忠実に振舞う。

そんな折に、新たな女中頭としてケントン(エマ・トンプソン)が入ってくる。二人は、仕事をめぐって対立することもあるが、やがて互いにひかれあうのを感じる。しかし奥手のスティーヴンスは、ケントンからかまをかけられても、器用に応じることができない。傷心のケントンは、他の男と結婚し、邸宅を去っていく、というような内容である。それに先述した世界情勢の変化が、ダーリントンの動きに合わせて語られる。

映画の舞台は、戦後十数年立った時点に設定されている。ダーリントンは邸宅を売って去っており、アメリカ人の政治家がその後釜に座っている。引き続き執事の職を得たスティーヴンスは、人出不足もあり、ケントンを再び自分の相棒にしたいと考える。そこで主人の許可を得て、ケントに会いに行く。映画は、彼がケントンに会いに行く途中、車の中で過去のこと、つまりケントンと一緒に働いていたころのことを回想するという形をとるのである。

そのころには、ダーリントンは新ナチの政治家として、社会的に葬られていた。だからスティーヴンスは、ダーリントンの屋敷で執事だったことを大っぴらに言うことはできない。他人に対しては身分を隠している。たまたま立ち寄ったパブで、世間話に加わったときにも、ダーリントンの名は一切出さず、それでもチャーチルやイーデンのことは知っていると語る。

結局、ケントンは、孫の世話をせねばならぬという理由で、かつての職に戻ることを断る。スティーヴンスは、深い喪失感を味わうのである。

ダーリントンは、近藤によれば、ネヴィル・チェンバレンをモデルにしているという。対独融和策をとり、チェコ問題を取り上げたミュンヘン協定を結んだことで、非常に評判の悪い政治家である。

スティーヴンスを演じたアンソニー・ホプキンスが渋さを感じさせる。ケントンを演じたエマ・トンプソンもなかなかいい感じである。





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