シャートフの死:ドストエフスキー「悪霊」を読む

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小説「悪霊」の最大の山場は、ピョートルらによるシャートフ殺害だ。小説のモデルとなったネチャーエフ事件がネチャーエフらによる仲間の殺害だったということからすれば、この小説の山場がシャートフ殺害に設定されていることは自然なことだ。ネチャーエフ事件と同様、密告の防止が殺害の原因とされている。だが実際には、シャートフに密告する意志があったようには思えない。ピョートルの勝手な思い込みといってよい。ピョートルは、シャートフが組織から自発的に脱退しようとしていることに腹をたてており、その意趣返しとして密告の濡れ衣を着せ、シャートフ殺害を合理化したように受け取れるような書き方になっている。

シャートフの名が小説の中で現れるのは、まずダーリアの兄としてである。ダーリアはワルワーラ夫人に使える小間使いだ。後にワルワーラ夫人が彼女をステパン先生と結婚させようとする。シャートフ一家はもともとワルワーラ夫人の農奴だったから、夫人はダーリアを将棋の持ち駒のように扱うのだ。

シャートフ自身は、リザヴェータから興味を持たれるという形で現れる。語り手がかれをリザヴェータに引き合わせるのだ。その際にリザヴェータは、かれが持っている印刷機を、自分のために役立たせてほしいと要求する。それに対してかれは拒絶反応を示す。その理由は追って明らかにされる。彼が持っている印刷機は、過去のいやな思い出と結びついているのだ。その場面の中でシャートフは意味深長なことを語り手に言う。「かつてのぼくはただ下男に生まれついただけだったが、いまのぼくは、あなた同様、自分が下男になってしまったんですよ。わがロシアのリベラリストというのは、何よりも下男で、だれか靴を磨いてやる相手はいないかと、きょろきょろしているだけが能なんですよ」(江川卓訳)。

ついでシャートフは、ニコライが家に戻ってくる場面に居合わせ、そこでいきなりニコライに暴力を加えるという印象的な行為をする。かれがニコライに暴力をふるった理由ははっきり書かれていない。ただ、シャートフにとってニコライは主人の息子であり、またかつてスイスで一緒にいたことが明らかにされる。そのニコライにかれは、複雑な感情をもっていたようだ。一方では、思想的な影響を受けながら、もう一方では憎まずにはいられない。その憎しみの原因は、後のシーンでほのめかされる。愛する妻をニコライに奪われたあげく、その妻がニコライの子を産むことになったのである。だから彼には、ニコライを憎む十分な理由があるわけだ。そのシャートフの行為に対してニコライは反撃しない。それは、かれの気性からすれば理解しがたいことなのだが、その理由については、本文では明かされない。本文から排除された「スタヴローギンの告白」の中で多少触れられているばかりである。

シャートフは転向者として書かれている。かれは一時革命組織に属していた。おそらくニコライに影響されたのであろう。だが、ニコライが革命組織に属していたことをかれは知らなかったと書かれている。いずれにしても、シャートフは革命組織の運動に愛想をつかし、足を洗いたがっている。ところが革命組織のほうでは、勝手な脱会は許さない。もしそんなことをすれば、殺しにかかるだろう。そういう趣旨のことを、ニコライはシャートフに語って聞かせる。

一方シャートフは、自分が転向した理由をニコライに語る。それは、ロシア主義に目覚めたからだというのである。かれは、すべての国民はそれ固有の神を持つべきだと考える。神を持たない国民は人間らしい生き方はできない。だから、リベラリズムは非人間的なのである。ロシアの革命組織はリベラリズムを掲げているから、かれらは人間的な組織ではない。そんな組織に属するわけにはいかない、というのがシャートフの理屈なのである。

シャートフは言う。「すべての国民、と言わぬまでも多くの国民が一つの共通の神をもっていた例はいまだかつてなく、つねにそれぞれの国民が独自の神をもっていた。神が共通のものとなれば、神も神への信仰も、その国民自身とともに死滅する。一国民が強力であればあるほど、その神は独自である・・・しかし真理は一つですから、したがって、諸国民の間でただ一つの国民だけが真実の神をもつことができる。なるほど他の諸国民も自分たち独自の偉大な神をもってはいますがね、<神の体得者>である唯一の国民~それはロシア国民です」。

シャートフが、ニコライに向かって、チホンのところへ行けと勧めるのは、そのすぐ後である。

シャートフは結局、ピョートルらによって殺される。ピョートルがなぜシャートフ殺しにこだわったのか、その動機として密告があげられているが、シャートフ自身にはそのような意志はない。だから、密告はただの言い訳で、そのほかに理由があったのだろうと思わせる。その理由とは、シャートフに対するピョートルの私怨ではないか。そんなことをリプーチンがほのめかしたりする。

殺されるのに先がけて、シャートフの妻が妊娠した身体で戻ってくる。ニコライの子を宿しているのだ。そのことをシャートフは十分わかったうえで、妻と子と三人で新しく生き始めようとまで考える。シャートフは、基本的にはお人好しな人間なのである。そんな折に、ピョートルの使いがやってきて、印刷機を引き渡せという。それと引き換えに組織からの脱退を認めようというのだ。だがそれは嘘だった。シャートフはおびき出されたその場所で、ピョートルに頭を打ちぬかれ、殺されてしまうのだ。

シャートフには精神的な病理現象は感じられないが、ロシア主義に心酔している点では、ドストエフスキーの生き鏡のようなところがある。この小説のなかで、ドストエフスキー自身ともっとも似ているのはニコライだが、シャートフはその次に似ていると言えるのではないか。






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