イギリス映画「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロの小説を映画化

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2010年のイギリス映画「わたしを離さないで(Never Let Me Go マーク・ロマネク監督」は、日系のイギリス人作家カズオ・イシグロの同名の小説を映画化した作品。テーマは臓器提供型アンドロイドである。この映画のなかのアンドロイドは、人間の遺伝子をコピーした人造人間だが、身体も心も人間と全く異なるところはない。だが、生きたまま人間に臓器を提供するように仕組まれており、生後ある一定の年齢になれば、自分の臓器を摘出される。最初の手術で死ぬものもいるが、だいたいは三回の手術を受けて終了を迎える。終了とは死ぬことである。

いくらアンドロイドとはいえ、人間として生まれ、人間の心を持った存在を、人間の都合で臓器を取り出したり、殺したりするのは人道にはずれたことではないか、といったようなことを考えさせる作品である。こんなことができるのは、植民地を経営して、現地人を搾取の対象としてきたアングロサクソンならではないか。イシグロは、イギリスでは差別された体験があるはずで、差別を当然と考えるアングロサクソンなら、生きた人間をアンドロイドと強弁し、かれらの身体を搾取の対象とすることもいとわない、というふうに考えてもおかしくはない。

ヘアシャムと称する教育機関を舞台に映画は始まる。そこでは幼い男女が臓器提供者になるための教育を施されている。生まれた時から、おまえが生きているのは人間に臓器を提供するためだと徹底的にたたき込み、洗脳することで、かれらからスムーズな臓器提供をさせようというわけだ。洗脳された子どもたちは、自分のそうした運命を抵抗なく受け入れ、18歳になると、臓器提供にむかってスタンバイの状態にさせられる。提供開始の時期は様々だが、だいたいは数年後には始まり、30歳頃には終了を迎える。

主人公は、ヘアシャムで一緒に子供時代を過ごした三人。キャシー、トミー、ルースである。かれらは人間としての心と体を持っているので、恋をしたりセックスしたりする。そのかれらが18歳を迎え、提供センターと称する施設に移動させられる。そこで臓器提供の順番を待つのだ。

施設には、臓器提供者のほか、介護人という種類のものもいる。臓器提供者の手術などの面倒をみるものだ。キャシーはその介護人となり、ルースやトミーが手術を受ける場に立ち会う。しかしいつまでも介護人でいられる保証はない。彼女はトミーの終了を見届けるのと同時に、自分自身にも順番がまわってきたことを知らされるのである。

アンドロイドに託して、臓器提供システムのもっている根本的な問題を考えさせる作品である。






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