奥田瑛二「長い散歩」 老人と少女の宛先のない旅

| コメント(0)
okuda03.walk.jpg

奥田瑛二の2006年の映画「長い散歩」は、家族崩壊で孤独になった老人と、母親から虐待されている少女の心の触れ合いを描いた作品。この二人は、現実の過酷さを逃れて旅をすることになるので、日本人には人気のあるロード・ムーヴィーとしてもよくできている。旅の先にはむろん理想郷は待っていない。老人は児童誘拐で監獄に入れられる。だがそのことを悔いはしない。かといって、自分の行為に満足はしていないようだ。答えなどありようはずがない中で、老人はまたあてもない旅に出るようである。

21世紀の初めごろの日本では、児童虐待とならんで老人の孤独死など、単身老人の生きざまが大きな問題になりつつあった。この映画はそうした社会風潮を反映させているわけで、それなりに考えさせるものを持っている。特に、母親の暴力が自分自身子供時代に受けた家庭内暴力を受け継いでいること、また、緒形拳演じる老人自身が、自分が妻子に振るった暴力が原因で、自身の家庭を崩壊させていることなど、家庭内暴力の深刻さを感じさせる内容である。

老人は、教師の仕事を定年退職した後、家族が解体して、単身郊外のアパートに移り住む。そのアパートの隣室で、小さな女の子が虐待されていることを目撃した老人はひどく心を痛める。その子は、背中に羽を背負っており、その羽をひらめかせながら走り回る姿が印象的なのだ。その羽は、保育園の学芸会で披露するためのものだった。少女はその保育園を辞めさせられた後も、その羽をつけたまま過ごしていたのである。

少女への虐待があまりにもひどいので、見かねた老人はその少女を連れて、山の方へピクニックに行く。場所はよくわからないが、そんなに遠いところではない。老人が住んでいるのはどうやら岐阜県内のようだが、その岐阜県のどこかのようである。ともあれ、老人はどこか山の上にのぼり、そこから青空とそこに浮かぶ白雲を見に行こうと少女に約束したのである。その旅の途上で、一人の若者と出会う。少女はその若者になつく。少女の笑い声を聞いた老人は心の和むのを感じる。だが、若者は心に深い傷を負っており、二人の見ている前で拳銃自殺してしまうのだ。

その自殺の捜査に、少女の行方を追っていた刑事がかかわる。刑事は少女失踪の方により大きな関心をもっていて、老人が連れ出し犯人だと目星を付ける。そして老人を追い詰めるのだが、事情を深く知るうちに、老人や子供の境遇に同情したりもする。その刑事を奥田自らが演じている。最後には老人が警察に自首し、嘆く老人を少女が慰めるのだ。結局老人は法により罰せられ、いくばくかの期間監獄に入れられたあと、ふたたび世間に戻ってくる。その行く当てもない姿を映しながら映画は終わる。そのエンディングシーンで、陽水の曲「傘がない」の歌声が流れる。陽水本人の声ではなく、女性シンガーの哀切な声である。

全体としてかなりウェットな印象の映画だ。とくに少女の運命がその後どうなったか、映画は示すことをしないので、観客は途方にくれる思いをさせられる。見る者の心を揺するところの多い映画である。





コメントする

アーカイブ