スタヴローギンの告白:ドストエフスキー「悪霊」を読む

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「スタヴローギンの告白」は、そもそも「悪霊」のために書かれたものである。ドストエフスキーはこの文章を、第二部第八章に続くものとして書いたのだったが、色々な事情があって、本文から排除してしまった。出版社の意向に左右されたというのが有力な説である。この文章には、スタヴローギンがいたいけな少女を性的に虐待し、その結果自殺に追いやる場面が出てくる。それは、スタヴローギンの異常な人格を浮かび上がらせるための工夫だったと思われるが、あまりにも陰惨な内容だったため、出版社が拒絶反応を示した。ドストエフスキーはそれに逆らえず、この文章を排除することに同意したということらしい。

第二部第八章は、「イワン皇子」と題して、スタヴローギンとピョートル・ヴェルホーヴェンスキーのやり取りを描いている。革命に向けて決起を呼びかけるピョートルに対してスタヴローギンが拒絶する。自分には革命を起こそうという気はないし、そもそもそんな思想を抱いたこともない。自分は君が考えているような男ではないのだ、というのがスタヴローギンの言い分である。では、スタヴローギンとはそもそもどんな人間だったのか、という疑問がわく。その疑問に答えるのが、この文章「スタヴローギンの告白」なのである。

この文章は、スタヴローギンがチホン僧正という人物を訪問し、その際に自分の過去のことを記した文章を持参したということが書かれている。大半は、その文章の紹介と、それをめぐる二人の議論である。その文章は懺悔録といってもよいが、別に信仰を前提としたものではなく、単に自分が犯した罪を世間に知ってもらいたいという衝動から書かれたものだ。だいいちこの告白録はすでに印刷されており、スタヴローギンはその印刷物を世間にばらまく考えも抱いているのだ。それを印刷したのは、前後の文脈からしてシャートフだと知れる。そのシャートフがスタヴローギンにチホンと会うことをすすめたのである。シャートフはその文章を読んでいて、チホンなら理解してくれるだろうと考えたのではないか。

この文章は、三つの部分からなる。スタヴローギンがチホンを訪ねた経緯、「スタヴローギンより」と題された告白録の本文、その文章を読んでのチホンのアドバイスである。

スタヴローギンは、なぜ自分がここに来る気になったかわからないと言いながら、チホンに向かって、自分には悪霊が取りついていると告白する。それに対してチホンは、悪霊が取りついた人間は珍しくはない、と答える。信仰を持たない人間にも悪霊がとりつくことがあるのか、とスタヴローギンがいうと、それは十分ありえるとチホンは答えるのだ。

告白録の主な内容は、スタヴローギンがまだ幼い少女を凌辱し、その結果少女が自殺に追い詰められたこと、及びスタヴローギンがマリア・レビャートキナと結婚したことである。その二つの事柄を通じて、スタヴローギンの異常な性格があぶりだされる。その性格は明らかに精神病理を思わせる。悪霊の存在に悩まされたりするところから、分裂症だと思わされる。ドストエフスキー自身に分裂症の傾向があったようなので、かれはスタヴローギンという人物像に、自分自身の精神病理現象を重ねたのではないか。

マトリョーシカと呼ばれる少女の凌辱がこの告白録の中心である。だが、もっとも肝心な凌辱の現場を記した部分が本文から脱落している。それについてはスタヴローギンがチホンに読ませるのをためらったためということになっている。スタヴローギンにためらわせるほど、陰惨な出来事だったわけだ。十二歳の幼い少女が死を選ばねばならぬほどの出来事であるから、陰惨には違いない。にもかかわらず、スタヴローギンは世事に気をまぎらわせて、その陰惨な出来事を忘れることもできるという自信をもっている。だが、時には良心の呵責に悩むこともある。そんな時には、余計なことは考えずに、世事に呆けることだ。そんな自分自身の姿をスタヴローギンは次のように自嘲する。「<自分が臭けりゃ、においもしない>というユダヤの諺が、そのときの私にはぴったりあっていたのである」。

いかに破廉恥な行為に無頓着なスタヴローギンといえども、少女を破滅させたという事実が、完全に忘れられるわけではない。自分から思い出そうとせずとも、その事実が別の姿をとってかれの意識を捉える。それは、かれには悪霊と見えるのである。悪霊という言葉は、小説のタイトルにも使われ、その場合には、ロシアを捉えている新しい思想のことを意味していたが、スタヴローギンが悪霊という言葉を使うときには、自分自身の個人的な悪行と関連させているのである。

少女の破滅と比べれば、レビャートキナとの結婚は、自業自得の結果だったとはいえ、そんなに破壊的なことではない。レビャートキナとの結婚はスイスにいた時のことで、その当時は、彼女はまだ狂ってはいなかった。彼女が狂い始めたのは、スタヴローギンに捨てられたと思い込むようになってからだ。

スタヴローギンの告白を読んだチホンは、一つアドバイスを与える。こんな恐ろしい罪を犯した人間には、世の中に居場所を求めることはできない。聖書が言うように、「この小さきものの一人を誘惑するならば」それ以上の罪はないのだ。だからスタヴローギンは、この世へのかかわりを捨てて、徳のある僧のもとで、隠遁生活をするのがよい。もっとも、「あなたは修道院にはいられることはない。剃髪されることもない。ただ秘密の、隠れた修道僧になられるわけです。俗界に暮らされていてもいっこうにさしつかえない」。

スタヴローギンは、小説のある時点で姿をくらましてしまうのだが、それはおそらくチホンの言葉に従ったのではないか。この「スタヴローギンの告白」が本文から排除されてしまった結果、スタヴローギンが逐電した理由が、本文だけからは推測できないことが残念と言えば残念である。





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