アメリカ映画「フォレスト・ガンプ」 知的障害者の見たアメリカ

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1994年のアメリカ映画「フォレスト・ガンプ(Forrest Gump ロバート・ゼメキス監督)」は、アメリカ現代史の批判をテーマにした作品。その批判を、知能程度の低い人間の視点から浮かび上がるように作っている。批判されているアメリカは、1950年代の差別と分断が横行するアメリカであり、1960年代の戦争好きのアメリカであり、1970年代以降の金権礼賛的なアメリカである。知能程度の低い主人公には、社会を客観的に批判する能力はなく、現状を受け入れるのがせきのやまである。だが、その受け入れを迫るアメリカ社会があまりにも理不尽に見えるので、おのずから批判の様相を呈するのである。

主人公は、フォレスト・ガンプという名の知的障害者。かれの幼年時代から中年のころまでを描いている。フォレストはKKKの創始者と言われるネイサン・フォレストにちなみ、ガンプはアラバマ方言でうすのろを意味するという。その名のとおりかれはうすのろで、小学校では周囲からさんざんいたぶられる。それでも母親は息子を養護学校ではなく普通の小学校に通わせたかったのである。その小学校でフォレストは一人の女子生徒と仲良くなる。そして生涯を通じて彼女にこだわるのである。

映画はそのフォレストが、バスの停留所で出会った見知らぬ人を相手に、自分の過去を一人語りするという構成だ。その一人語りのなかで、かれの波乱に満ちた人生が再現される。語り終わった彼は一人の女性を訪ねる。彼女こそ小学校で出会って以来ずっとこだわり続けてきた女性ジェニーなのだ。ジェニーは彼の子を残して死ぬ。息子と共に取り残されたフォレストは前向きに生きていこうと決意する、というような内容だ。

一人語りの中で再現される彼の過去が、同時代のアメリカを一身に体現しているのである。いじめが横行する学校、ひどい人種差別。大学卒業後に入隊した軍隊が、フォレストには妙に気持ちがよかったこと、ベトナム戦争と若者の反戦運動。黒人グループブラック・パンサーによる抗議運動。退役後に立ち上げた事業の成功などが時系列にしたがって再現される。そのなかで、フォレストの一貫した能力が走ることだったと強調される。かれは小学生の時にいじめる連中から逃げるために走ることを覚えたのだったが、それが後にかれの成功の原動力となる。大学ではその能力を発揮してフットボールの英雄になったし、軍隊では敵の追撃から逃げるばかりか、負傷した同僚をかついで非難させることもできた。その功績で勲章をもらったりするのだ。

いっぽう、ジェニーとの関係はなかなか思うようにいかない。ジェニーには彼女なりに生き方があるからだ。そのジェニーがついにかれを受け入れ、彼の子を妊娠するのである。映画は、語りが終わった後半部分で、二人が結婚するさまを描いている。

見どころは、フォレストの純真な姿勢であろう。かれはいじめられても根にもつことはない。なにもかも前向きに考える。そこに我々観客は、アメリカ的な理想を感じたりもするが、全体としての雰囲気は、そのアメリカを批判するようなものである。





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