
ラース・フォン・トリアーの2001年の映画「イディオッツ(The Idiots)」は、タイトルどおり白痴を描いた作品。白痴という言葉は、いまでは差別用語とされており、公の場で使うことはタブー扱いである。トリアーがこの映画を作った時にもすでにそうだったと思うのだが、かれは差別意識を表出することについては無神経なところがあるので、たいして気にせずに知的障害者を侮蔑するこの言葉を、平気で使ったのであろう。
一団の若者たちが、どこかにある別荘で集団生活をしている。かれらは町へ出かけて行っては、知的障碍者を装い、人々を驚かせて楽しんだり、営業を妨害して無銭飲食をしている。かれらの中には、本当の知的障碍者もいるのだが、大部分は偽物である。かれらがなぜそんなことをするのか、彼ら自身を含めて誰も明確なメッセージは出さない。ただただ知的障碍者を食い物にするだけである。
一人の女性カレンがレストランに入り、野菜サラダを注文する。それ以上は金がないので注文できないのだ。そのレストランに白痴を装う一団の若者たちが居合わせ、他の客を威嚇したり、カレンに絡んだりする。その挙句に、カレンは若者たちのところに行く羽目になる。実は彼女の家庭は崩壊していて、自分の居場所がないのだった。
そんな設定で、別荘における若者たちの共同生活がはじまる。映画はその様子を面白おかしく描く。まともな筋書きはない。つまらぬことで論争したり、乱交したりといった具合だ。多少変わったエピソードがいくつかさしはさまれる。一つは別荘に買い手が現れること。買われては自分たちの居場所がなくなるので、かれらは売れないように企む。その企みは成功する。
もう一つは、役所の人間がやってきて、彼らに隣接する自治体への引っ越しをすすめること。体よく追い出すつもりだと受け取った彼らは、役人をファシストといって追い返す。また一つは、メンバーの女性の父親がやってきて、連れ戻すこと。仲間は阻止しようとするが娘は父親にしたがう。それを見ていたカレンは、別の女性に付き添われて自分の家に戻る。しかしそこには居場所はなかった。彼女は仲間のところに戻る、といった具合だ。
全体として、トリアーはなにを言いたいのか。ただ、知的障害者を嘲笑するつもりなのか、それともデンマーク社会全体が白痴のようなものだと言いたいのか、そこのところがわからない。一つ言えることは、やはり知的障碍者を取り上げたニコラ・フィリベールの作品「すべての些細な事柄」と比較して、こちらには知的障碍者を理解しようとする姿勢が全く感じられないということである。
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