ミロス・フォアマン「ラリー・フリント」 ポルノ雑誌ハスラーの創刊者

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ミロス・フォアマンの1996年の映画「ラリー・フリント(The People vs. Larry Flynt)」は、過激なポルノ雑誌「ハスラー」の創刊者ラリー・フリントの半生を描いた作品。このポルノ雑誌は、ただでさえ過激な性描写を売り物にしていることに加え、するどい社会批判を伴ってもいたので、保守的な人々から目の敵にされた。それゆえ、フリントは生涯敵と戦うことを余儀なくされた。この映画は、そんなフリントの戦いぶりを描いたものである。

フリント自身は、自分の戦いを、表現の自由を守るための戦いだと言い続け、映画もかれのそうした主張を前景に出して描いているが、一方では、金に強い執着をもつフリントが、もうけを増やすために過激な編集をしたというふうにも伝わってくる。かれの金への執着ぶりは、十歳の少年時代にさかのぼる。十歳の少年であるフリントは、密造酒をつくり、弟のジミーと一緒に売り歩いていた。その密造酒を父親が呑んでしまった時には、商品をくすねたといって父親に酒甕を投げつけるほど、金への執着の強い人間として描写している。

成人になったフリントは、あいかわらず弟をパートナーにして、ストリップのクラブを経営する。そのストリップクラブの踊り子たちとは、みな肉体関係をもっている。そんな折に一人の未成年女性が入ってくる。彼女が気に入ったフリントは、一緒に暮らすことを決意する。この妻がかれにとっては、唯一の生きがいになるのである。だから彼女がエイズで死んだときは、強い打撃を受ける。

フリントは、クラブ会員向けにポルノ雑誌を配るようになるが、そのうち、一般向けの販売を手掛けるようになる。ポルノ雑誌の先輩格として、プレイボーイとかペントハウスといったものがあったが、フリントはそれより過激な性描写を売り物にした。女性器を写すとか、男女の性交場面を写すとかである。当然世間の風当たりが強くなる。訴訟を起こされて窮地に陥ったりするが、有能な弁護士の働きもあってなんとか切り抜ける。

ジャクリーン・オナシスのヌードを掲載したまではいいが、権力を嘲笑する姿勢を強めると、権力からも敵視されるようになる。とくにFBIのギャングとの癒着を暴く報道をきっかけに、権力による露骨な弾圧が始まる。権力そのものを自認する判事は、フリントへの敵対意識をむき出しにする。だがフリントはひるまない。絶妙の舌鋒を弄して権力を嘲笑しつづけるのである。

おそらくそれがもとで、フリントは弁護士ともども狙撃されてしまい、その結果下半身まひの状態になる。それでもかれがひるむことはない、ハスラー誌上ではあいかわらず権力批判と過激な性描写を続け、権力と闘う姿勢をいっそう強めるのだ。

この映画の見どころは、フリントという一個人が、強大な権力を敵に回して、孤軍奮闘するところだ。そんなかれを押しとどめることは誰にもできない。





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