地獄の遍歴者・ジャン・マリ・カレのランボー伝

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ジャン・マリ・カレのランボー伝については、先日読んだヘンリー・ミラーのランボー論のなかで、ランボーに関する一級資料として紹介されていたので、読んでみることにした。この伝記は、ランボーの生涯についての最初の本格的な研究とされ、ランボー研究者の誰もが最初に読むべきものとされてきたようだ。小生は、ランボー研究者というほどのものではなく、ただランボーが好きで、彼の詩を自己流で訳したりしてきたに過ぎない。それでも彼の強烈な生き方には非常な関心を抱いてきたので、その伝記についてもなるべく知りたいとは思っていた。だから、この本はもっと早く出会うべきだっと後悔している。もっともここに書かれている内容は、すでに大方のランボー研究者によって書かれてきたことで、とくに目新しいところはない。しかも、多分に事実誤認もある。たとえば、「イリュミナション」が「地獄の一季節」より先に完成していたとか、その「地獄の一季節」の刊本がすべてランボー自身の手によって焼却されたといったものだ。そのほか、ランボーが敬虔なキリスト教徒として死んだという記述もあるが、これもあやしい推測にすぎないのではないか。

この本を読んで伝わってくるのは、著者のジャン・マリ・カレが熱烈なランボー賛美者だということだ。カレは、1887年の生まれで、1854年生まれのランボーとは33年の年差があるが、ランボーの親友エルネスト・ドラエイとか担任教師だったジョルジュ・イザンバールから直接話を聞くことができ、また、妹のイザベルやその夫パテルヌ・ベリションにも親しく話を聞くことができた。その人たちはみな、ランボーを理想化していたようなので、その理想化されたランボー像がカレに影響したらしい。妹のイサベルはとくに兄を理想化していたようで、兄への敬愛が、兄を敬虔なキリスト教徒にかえさせずにはいなかった。ランボーが敬虔なキリスト教徒として死んでいったというのは、イサベルの証言に唯一の根拠を有しているのである。

ランボーの研究者はだいたいがそうだが、ランボーの生涯を詩作の時期と詩作放棄後の時期にわけて論じる。この本もそういう構成をとっているが、大きな特徴としては、詩作放棄後のランボーにも、文学者としての面影を見続けようとする傾向がつよい。有力な説は、詩作放棄後のランボーは、世俗的な事業に全身を打ち込み、文学にはまったく関心を示さなかったとする。ランボーの名声が、ヴェルレーヌの努力などもあって、かれの生前に大いに高まったにかかわらず、ランボーはそのことに全く関心を示した様子がない。そんなことから、ランボーの後半生は、文学とは無縁だったとするのが定説なのだが、この本は、ランボーは死ぬまで文学者気質を失わなかったという考えに従っている。

ランボーの生涯を通じて変わらなかったのは、母親への強い固着だ。ランボーの母親は、女手一人で四人の子供を育てた気丈夫な女で、子供に対して非常に厳格だった。そんな母親を、未成年のランボーは常にうるさく思っていたが、肝心な時には母親に頼った。そして世界を股にかけて放浪するようになっても、母親を唯一の相談相手にしたようだ。今日、詩作放棄後のランボーについての貴重な情報は、母親に当てた書簡から得ることができるのである。その書簡類の中でランボーは、母親に対してじつに子供らしく振舞っている。ヘンリー・ミラーは、ランボーにはマザー・コンプレックスの傾向があったといっているが、それはおそらく母親にあてた手紙の雰囲気からそうさとったのであろう。

とにかくこの本は、ランボーへの敬愛の度が過ぎて、事実に忠実な伝記を目指すというより、自身のアイドルを賛美したいという意欲に圧倒されているようである。





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