岡本喜八「血と砂」 少年音楽隊の軍事活動

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岡本喜八の1965年の映画「血と砂」は、「独立愚連隊」の番外編のような作品。「独立愚連隊」シリーズは、厄介者の兵士からなる混成部隊が、遊軍となって使い勝手よく利用されるという設定だったが、この映画では、少年からなる音楽部隊が、特命を受けて敵陣地を攻略する様子を描く。その部隊を、三船敏郎演じる経験豊かな下士官と、佐藤充演じる古参兵が指導するといった内容である。

例によって、岡本らしく戦争を冷笑的に見る視点が貫かれている。だいいち、少年からなる音楽隊が、重大な軍務を遂行するというのがいささか常軌を逸している。しかも、かれらが属する部隊は、かなり規律が緩んでいて、軍隊というより、ツアー旅行の団体のようである。そのツアー気分を盛り立てようとばかり、少年らは吹奏楽で景気づけをするのである。

見どころは、敵の陣地の攻略をめぐる攻防だろう。その陣地は通称火葬場と言って、重要な軍事拠点である。そこを敵から奪って、日本軍の前衛基地にしようというのが狙いだが、そこには50人もの中国兵が駐屯し、近くにはさらに大規模な部隊もいる。そんな優勢な敵を相手に、わずか十七人で立ち向かおうというのである。

結局、十七人の部隊は、ほぼ全滅し、行動を共にしていた慰安婦が生き残った。お春さんと呼ばれるこの慰安婦は、朝鮮人女性で、きつい朝鮮訛りの日本語を話す。それを団令子が演じている。

全滅はしたが、戦いぶりは潔かった。かれらは死ぬ前に、慰安婦の女に抱かれるのであるが、それが冥途の土産になったわけである。

ふしぶしで、楽器を演奏する少年たちの姿が映される。かれらが得意なのは、デキシーランドジャズである。そのジャズのメロディにのせて、仲間の死を見送ったり、自分たちの士気を高めたりする。

敵である中国兵は、憎しみの対象としては描かれていない。もっとも派手に戦いあうので、おのずから殺しあう場面は出てくる。かれらは、仲間の死体を丁寧に持ち帰ったり、また、日本兵の死体を埋葬したりもする。個人としては、愛すべき人間なのだ。それに比べると、日本軍には、非人間的な要素がある。見習士官を手続きもせずに銃殺するなどだ。その見習士官は、三船演じる曹長の弟だったことが最後に明らかにされる。三船曹長は、私情を抑えて軍務に励んだというのである。

舞台設定は、終戦間近の華北地方。映画では北支となっている。そのころの日本軍は、南洋や東南アジアよりはましだったが、かなり厳しい状況におかれていた。華北地方は八路軍の拠点だったので、この映画の中の日本軍も八路軍を相手に戦っている。






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