横手先生の思い出:落日贅言

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先日は「人と人との間」と題して、人間は他の人々とのかかわりのなかで自己を形成するという旨のことを書いた。その文章の中では、人と人との関係を論じながら、関係構築の成功例よりも失敗例に焦点を当てて、さまざまな精神病理現象を、人間関係の病理として考察した。だが当然のこととして、人間関係構築の成功例もあるわけで、その成功例は好ましい人間形成にとっての手本となるべきものである。手本という点では、無論失敗例も参考にはなる。というか、人間というものは、成功体験や失敗体験を積み重ねながら自己を形成していくものなのだ。

ここで小生自身の自己形成について振り返ってみたい。小生はすでに「後期高齢者」の境域に入った老人であり、いまさら自己形成もないと言われそうだが、ハイデガーもいうように、人間は自分の死からさかのぼって自分の一生の意味をはじめて把握できるようにできている生き物なので、死を前にした時点こそ、自分の自己形成を振り返るべきタイミングなのだと思う。そんなわけで、小生は死を前にした生き物として、自分の一生の持ち得た意義について考えてみたいと思うのである。そこで小生の自己形成にとって非常に大きな影響を蒙ったことについて振り返ることにしたい。それは多岐にわたる事柄の積み重ねなのであるが、ここでは小学生時代の恩師との出会いについて取り上げたい。その恩師との出会いが、小生にとっては、自己形成の上で決定的な意義を持ったと思うからである。それはまさに、小生にとっての「人と人との間」の範例になるような事態だったのである。

その恩師は、横手先生といって、小生の小学生時代の五年生と六年生の時の担任教師であった。小生がその頃在籍した小学校は、千葉県の佐倉第一小学校といった。その小学校へは、小生は四年生の末の学期に転入したので、佐倉第一小学校での小生の担任教師は、実質的に横手先生が最初で最後の先生といってよかった。その横手先生との出会いを通じて小生は、人間としての生き方と、ものの見方のようなものを学んだのであった。それゆえ先生は、小生にとっての生きるうえでの手本となった人である。

横手先生は、三十歳前後の女性の教師であった。先生と出会ったころ、小生の母親も同じような年頃だったので、小生は先生に特別の親しみを感じたということもある。すぐに先生が好きになった(さる授業の最中、先生をおかあさんと呼んでしまったほどである)。当時の小学校は、我々戦後のベビーブーム生まれ(いまでは団塊の世代といわれる)の子供たちが中核となっており、沢山の生徒を抱えていた。佐倉にかぎらず、どこでもそうだったように思う。小生のクラスは、52人もの生徒を抱えていた。その大勢の生徒たちを監督しながら教育するというのは、若い教師にとってはかなりな負担だったと思うが、横手先生は、子供たちを完璧にコントロールし、しかも適切な教育を施していたと思う。教え方も上手だった。当時の佐倉第一小学校は、一学年六クラス編成だったが、その六クラスのなかで、我々のクラス、つまり横手先生のクラスが一番偏差値が高いと評判だったことからも、先生の教育上手がわかろうというものである。

横手先生の教育手法は、知識を伝えるということよりも、生徒自身に考えさせるというものだった。どんな事柄に関しても、まずその意味について、生徒自身に考えさせる。そのうえで、そこに問題があれば、その解決について生徒自身に考えさせる。先生は、生徒との関係で、一方的に与える立場に立つのではなく、生徒とともに考えるという立場に徹していた。後日成長した小生は、はじめてソクラテスの対話編を読んだ時、ソクラテスのやり方が横手先生とよく似てると感じたものである。相手に徹底的に考えさせ、その考えたことが意味のあるものだったとしたら、相手を褒めてやる。そうすることで、知識は実のあるものとなる。あるいは知識が自分の身につく。そういう方法を横手先生は、徹底的に実践した。横手先生はだから、知識の豊かな子供ではなく、自分の頭で考える子供を作ろうとしたわけである。

先生の授業風景をしのばせるエピソードを紹介したい。ひとつは、光の進み具合についてである。光はどこまでもまっすぐ進む性質をもっている。そのことを前提として、太陽から発した光線が、あなたの部屋の窓に届いたのは、どん具合にしてか、と問題を投げかけ、子供たちに考えさせる。小生などは、太陽から発した光線が、小生の部屋の窓目がけてまっすぐ進んできたのだと考えたものだが、ある生徒は、太陽の光はあらゆる方向に向かって発散しており、そのうちの一部分がたまたま自分の家の窓にたどりついたのだと考えた。こうした考えの違いを前にして、どれが事実を整然と説明できるのか、子供たちに考えさせる。そのうえで、先生が考え方の違いについて評価し、正しい見方はどれかについて、考えるヒントを与えるのである。

また、家庭科の授業では、男女の区別なく平等に家事を実践させた。小生は、料理とか裁縫が結構得意だったが、大部分の男子生徒は家事をしたことがなかった。女子生徒にも、家事の得意な子と、苦手な子がいた。そうした男女別、得手不得手の相違を超えて、だれにも平等に家事の意義を考えさせた。そんな教育を受けたおかげで、小生は役立たずの老人にはならないですんでいるのである。

先生は、個々の生徒と一対一で接することもしていた。小生も何度か二人きりで話したことがある。先生は生徒たちの読書傾向を知ろうとして図書館の貸し出しカードを調べていたようである。ある時、先生と話していた時、小生の読書傾向を話題に取り上げた。先生は言ったものだ。このクラスでは、あなたとO君が一番図書館から本を借りているわね。O君は理科系の本が多いけど、あなたはいろんな本を読んでるわね。面白いと思ったのは、探検家とか戦国時代の武将の伝記が多いこと。あなたは、大きくなったら探検家になるつもり? こう言われたので小生は、僕自身は高所恐怖症なので、多分探検家には向かないと思います。山登りは苦手ですから。すると先生は、じゃあなぜ探検家に憧れたりするの、だって、憧れているから探検家の伝記を読むんでしょ、というので、小生は、自分にできないと思うから憧れるんです、と答えたことを覚えている。

Oはクラスで一番成績がよかったけれど、それはおそらく読書量が多かったためだと、今では思っている。しかし小生は、光についての授業で、小生の思いがけない答え方をしたTのほうが頭はよかったと思っている。Tはその後、高校まで一緒だったが、なにしろ変わった男で、まともな勉強はせず、セスナで空を飛んでばかりいた。飛行機のパイロットになるのが夢だったが、結局ならずに終わった。小学生の時に抱いた希望を実現したのは、Yという子だった。この子は、軍隊オタクで、将来できれば海軍の戦艦乗りになりたいと願っていた。もしそれがかなわなければ、せめて船乗りになりたいと言っていたものだが、その希望通り、商船大学に進んで船乗りになった。

心理学者になりたいという変わり種もいた。かれがなぜそう思ったのか、それはわからない。だが、この子は都立大学で心理学を専攻したというから、おそらく心理学者になったのだろうと思う。その子は遠くから(隣の駅から)通っていたので、あまり付き合いがなかったのだった。

横手先生には、非常に厳しい面もあった。いじめや暴力に対してはとくに厳しかった。ある時期、一人の女子生徒が、クラスのいじめの対象になった。小生はそれに積極的に加わることはなかったが、やめさせようともしなかったので、結果としてはいじめに加担したと言ってよいかもしれない。その子がいじめられたのには、それなりの理由があった。その子には虚言壁があって、すぐばれるような嘘を平気でつくのだった。彼女は、自分の家が非常に金持で、自分はお姫さまのような暮らしをしていると言い張るのだったが、彼女の家が貧しいことはみな知っていたので、なぜそんなウソをつくのかと糾弾され、それがいじめに発展したのだった。彼女がいじめられているのを知った横手先生は、生徒たちを厳しく叱責した。それはいじめる当人だけではなく、クラスの全員を対象にしたものだった。いじめがなぜよくないことなのか、クラス全体の問題として、一人ひとりに考えさせようとしたのだと思う。いじめをする人は、相手を人間として見ていないからだ、と先生は言い、人間はみな平等で、かつ尊厳を持っているのだから、それを踏みにじるのは、人間としてのあり方に反する、そんな意味のことを言って、個々の生徒に反省を迫ったものである。

また、非常に貧しい家の子がいた。男の子で、身体が非常に小さく、また出っ歯気味だったので、クラスの皆はその子をネズミとあだ名して軽んじていた。ある時、給食の時間にその子の父親が現れて、給食用のパンをもらっていったことがある。その際に先生は、その様子を秘密にはせず、みなに見せた。そうしながら、困った人を助けるのは当然のことですと言った。ゆとりのある人が困った人を助けるのは、人間が助け合うようにできているからです。だから、助ける側が横柄になる理由はなく、また、助けられる側が卑屈になる理由もない、というような意味のことを皆に諭すように言ったものであった。

そうした、人間としての生き方の基本のようなものを、横手先生は我々生徒たちに教えてくれたのであった。その教え方が、教師として理想的だったかどうかは、議論の余地があるかもしれない。しかし、すくなくとも小生は、先生の教えのおかげで、いまでも自分にやましさを感じることはない。

小学校を卒業した直後に、先生は結婚された。小生は、その結婚を祝う手紙の中で、先生の教えに感謝する気持ちを示したものだ。だが先生は、結婚後まもなく亡くなったと聞いた。詳しい事情は知らない。







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