岡本喜八「日本でいちばん長い日」 敗戦に抵抗するクーデタ計画を描く

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岡本喜八の1967年の映画「日本のいちばん長い日」は、半藤一利のノンフィクション小説を映画化したもの。半藤にとっては、その後かれのライフワークとなる昭和史研究の原点となるものだ。もっとも半藤はこれを、自分の名義ではなく他人の名義で刊行した。当時人気作家だった大宅壮一の名である。なぜ、そんなことをしたか。かれは文芸春秋の社員だったので、営業を最優先する社の方針にしたがったまでということらしいが、それにしてもお粗末な話である。

原作が出版されたのは1965年のことで、その直後に東宝が創社35年記念作品として映画化することを決定したそうだ。岡本が自分でやりたいと言い出したわけではなく、東宝にやとわれて作ったとうことのようである。その割には、岡本自身の意向もかなり盛り込まれているようである。原作は、日本の指導者たちに対してかなり厳しい見方をしていると同時に、反乱を起こした将校たちにも批判的であった。それに対して岡本は、陸軍大臣の阿南に同情的な演出をしており、また、将校たちに対しても寛容な見方を感じさせる。そのころは、日本人の厭戦気分がまだ高くて、戦争指導者を持ち上げるような演出は受け入れられなかったのだが、岡本はあえて、敗戦に抵抗する軍人たちに、日本人としての意地を認めて、ある程度の評価をしたというふうに、この映画からは伝わってくる。岡本と言えば、それまでは戦争を冷笑的に描くというのがかれのやり方と思われていたので、この映画の演出は意外なものとして受け取られた。

じっさい、戦争指導者を美化しすぎという批判があった。阿南や米内の描き方には、軍人として潔いという評価が込められているのではないかとか、また、反乱を起こした将校の描き方にも、軍人的な生き方への共感が込められているのではないかといった批判である。しかし、虚心に考えれば、いくら敗色濃厚でも、無条件降伏するというのは、軍人としては到底受け入れられないだろう。たとえ、降伏せざるを得ないとしても、もっとましな負け方があると考えるのは、軍人としては自然なことである。そういう自然な見方から自分はこの映画を作った、という岡本の意地のようなものを、この映画は感じさせる。

余計な脚色は交えずに、事実を時系列にしたがって淡々と描いている。最大の見どころは、青年将校たちの行動を描くところにあるが、彼らの主観的な意図と、客観的な情勢の流れが食い違って、かれらが次第に追い詰められ、自滅に向かって進んでいく、そのプロセスが、かなりの迫力をもって描かれる。原作のドキュメンタリーとしての雰囲気に最大限忠実な演出と言える。原作はその後も二度ほど映画化されたが、いずれも岡本の演出を手本にしている。

なお、民間人によるクーデタの動きが、やや戯画的に描かれているが、これは原作にも詳しく書かれていたのかどうか、よく思い出せない。将校たちの動きと比較して、かれら民間人のクーデタ騒ぎは、悪ガキの火遊びのようである。






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