令和五年(2023)を振り返って 落日贅言

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令和五年は小生にとって後期高齢者に突入した年だ。それを記念して「落日贅言」というシリーズを開始した次第だ。落日に臨んで贅言を弄するというわけだが、じつに今の時代は贅言のたねにつきない。国内的にも国際的にもだ。そこでまずこの年、西暦2023年の国際情勢から話を始めることにしたい。

昨年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻が膠着状態に陥り、先行きの見通しが立たない中で、10月にハマスによるイスラエル攻撃とそれに対するイスラエル側の報復という事態が起こった。その報復は度を越したものであり、ジェノサイドといってよい。そのジェノサイドに対して国連をはじめ国際社会は無力さを露呈した。安保理が全く機能しておらず、総会の決議もアメリカのイスラエル贔屓のために効力を発揮することができないでいる。最新の決議は、停戦を求める内容にはなっておらず、そのことでイスラエルはハマスへの攻撃と称し、パレスチナ人を無差別に虐殺し続けている。

イスラエルによるパレスチナ人の虐殺は、ガザにとどまらない。西岸でもイスラエル軍によるパレスチナ人の殺害事案が多数報告されている。ガザにおける虐殺は非常に手の込んだもので、パレスチナ人を強制移動させてを狭い範囲に押し込めたうえで、集中的に叩くというやり方をとっている。これは東京大空襲の際に、対象地域の周辺を焼夷弾で火の海にして、その範囲内にいる住民の退路を塞いだうえで、集中的に焼きつきしたやり方を想起させる。イスラエルは人殺しを楽しんでいるようにしか見えない。

パレスチナ人は、暴力による殺害のほかに、飢餓の危機にも直面している。いまの状態がそのままに続き、ガザ地区への支援物資の搬入がイスラエルによって妨害され続けるならば、遠からずして多くのパレスチナ人が餓死する可能性が高い。

イスラエルの首相ネタニヤフは、ハマスに勝利するまで攻撃をやめないと宣言している。民間人の犠牲を減らすようにとのバイデンの忠告にも耳を貸さない。ネタニヤフのいう勝利とは、ハマスの壊滅という意味だ。だが、ハマスとは彼にとって何者なのか。イスラエルはこれまでに8千人のハマスを殺害したというが、この数はパレスチナ人の総死者数から女性と子供の数を差し引いたものだ。つまりイスラエルは、女性と子供のほかはすべてハマスとみなしているということだ。こういう認識であるかぎり、イスラエルの当面の目標は、パレスチナ人のうち戦闘能力のある男はすべてハマスとみなして殺すということになる。

だが、そんなことができるのか。たとえガザのすべての男を殺しても、ハマスのたねを絶滅することにはならない。新たな世代が出てくるからだ。だから、ハマスを絶滅するためには、パレスチナ人全体を絶滅するほかはない。パレスチナ人はガザだけではなく、西岸地区にも存在しており、その人々も殺しつくさない限り、イスラエルに対する憎しみのたねはつきない。パレスチナ人をすべてあわせれば、数百万人にのぼるだろう。その数百万人を殺しつくさない限り、イスラエルには確固たる安全保障は望めないということになる。

イスラエルは最近になって、ガザの住民に自主的退去を求めるようになった。自分で勝手に域外へ出ていけというわけだ。そうすれば、自分の手をよごさずに、とりあえずガザからパレスチナ人を駆逐することができる。こうした動きからは、イスラエルの本音がガザからパレスチナ人を一掃することにあるというふうに伝わってくる。一掃されたパレスチナ人はどこへいけばよいのか。ガザからの一掃に成功すれば、次は西岸からの一掃だ。西岸ではユダヤ人による入植が進んでいて、パレスチナ人にとって安全に暮らせる場所がなくなりつつある。イスラエルにとって、西岸のパレスチナ人も邪魔で脅威の存在だ。西岸からもパレスチナ人を一掃したいという誘惑にイスラエルが駆られるのは自然の勢いだろう。自分の手で直接殺さず、パレスチナ人が勝手に出ていけば、これほど便利なことはない。

イスラエル国家をめぐって、ユダヤ人とパレスチナ人が血みどろの対立を続けてきて、いまやパレスチナ人が民族浄化の危機に陥っていることの背景には、イスラエル国家が侵略と暴力のうえに成り立っているという事情がある。イスラエルの建国は、西側の植民地主義諸国によるご都合主義的な政策の産物だ。ユダヤ人のシオニストたちは、植民地主義者の応援を得てパレスチナを侵略し、その地にイスラエル国家を樹立した後、抵抗するパレスチナ人を暴力で支配してきた。その抵抗は、しばらくの間アラブ諸国の応援を得ていたが、第四次中東戦争を境にして、パレスチナ人は自分たちだけでイスラエル国家に直面せざるを得ない事態に追い込まれてきた。イスラエル国家とパレスチナ人との関係は、完全に非対称的なものであって、まともに渡り合えるようなものではない。そのことはハマスも十分に知っていたはずだ。イスラエルに対して軍事攻撃を仕掛ければ、それに百倍する報復を受ける、それは自殺行為に等しい。そういうことをわかっていながら、イスラエルを攻撃するという道を選択したのはなぜか。おとなしくしていても殺されるのであれば、戦って死んだほうがましだという判断をかれらはしたのであろう。もっともその判断によって、ガザのパレスチナ人全体が、イスラエルによる無差別虐殺の対象にされたわけである。

イスラエルのネタニヤフらは国連の決議をあざ笑い、バイデンの苦言にも耳を貸さない。それでも欧米の大国の支持を失わないと踏んでいるからであろう。じっさいバイデンのアメリカはイスラエルの自衛権を根拠にして、巨額の軍事支援を続けている。イスラエルはその金を有効に使ってパレスチナ人への攻撃を続けているわけである。バイデンはイスラエルのジェノサイドの後見人といってよい。

イスラエルが強気でいられるのは、西側諸国に居住しているユダヤ人たちの強い応援を期待できるからだ。各国のユダヤ人は、いままでも財力をてこに一定の政治力を発揮してきたが、近年、資本主義システムが金融によって支配される傾向が強まり、金融資本主義というべきものが発展するなかで、ユダヤ人の影響力は決定的に高まった。アメリカでは、ユダヤ人に対して批判的な政治家は選挙に勝てないというほどに、ユダヤ人の政治的な影響力は強大になっている。イギリスやフランスでもユダヤ人の影響力は強まっている。それらの国の指導者は、ユダヤ人コミュニティの顔色をうかがいながら政策を決定する。そんなわけだから、イスラエルのシオニストたちは安心してパレスチナ人虐殺に邁進することができるのである。

以上から、今回のパレスチナ人に対するイスラエル国家の振舞は、植民地主義のなすところだと指摘することができる。21世紀になっても、植民地主義は形を変えて生き残っているのである。ロシアによるウクライナ侵略の本質もまた植民地主義の現れというべきであり、それへの西側の対抗も植民地主義の現れといえる。ウクライナをめぐって、ロシアと西側諸国が、それぞれの植民地主義的利害をめぐって争っているというのが、ウクライナ戦争の本質である。

ウクライナ戦争といい、パレスチナ人の虐殺といい、戦後国連を中心として追及されてきた、いわゆる普遍的な原理が、いまや誰にも顧みられない紙だけのお題目になり下がってしまったようだ。バイデンは、その普遍的な原理なるものを振りかざして、ロシアや中国との対立を合理化してきたが、もはや誰も彼の言うことに耳をかたむけるものはあるまい。世界は混沌のうちに没落しつつある。

以上は国際情勢についての小生なりの分析だ。一方国内情勢のほうも、あまり明るくはない。岸田政権の迷走が続いたおかげで、国民の政治不信は沸点を超えそうだ。岸田政権は外交的にも内政的にもまったくなっていない。岸田政権の特徴は、日本の軍事化を目指しているということだ。その延長で、兵器の輸出にも道を開こうとしている。じっさい、パトリオットミサイルの対米輸出の決定を行った。これはアメリカの武器不足を補うものだが、それによって日本は、ウクライナ戦争に間接的ではあるが参加するということになる。こんなに重要な事柄が、何らの国民的な議論なく進められている。そこには日本政治の専制的な傾向を見ることができるほどである。

また、いわゆる裏金疑惑をはじめ、政治家たちのモラルの崩壊と、無責任ぶりが顕わになったことで、どうも日本社会全体がかなりひどく劣化してしまったのではないかと危ぶまれる。

こんなわけで、今年は例年にまして憂鬱な一年だった。来年はもっとましになるだろうと期待できないのは、気候変動による悪影響の本格化や、米中対立の激化などが予想されるからである。だからといって、生きることに望みを捨てるわけにはいかない。小生はすでに、いつ死んでもおかしくない年齢になったわけだが、生きている限りは生きることに望みを捨てないようにと思う。

小生は例年の年末を、中山法華経寺の鐘の音を聞きながら近所の神社に初詣するのを習わしとしてきた。今年もまたそのようにして新年を迎えたいと思う。





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