猩々 NHK新春能狂言を見る

| コメント(0)
shosho.jpg

今年のNHK新春能狂言は、連吟「四海波」、和泉流狂言「松囃子」、金春流能「猩々」だった。狂言は名古屋に本拠を置く野村又三郎一座が演じ、能のほうは金春流宗家金春安明がシテを演じていた。この曲は猩々舞という特殊の舞が見どころである。もともとは前後二段からなる複式夢幻能だったものが、前段が省略されて後段だけの半能形式で演じられることとなり、そのこともあって、舞がもっぱらの見せ所となっている。

酒の功徳がテーマである。酒の功徳を親孝行と結びつけているのは、「養老」と同じ趣向。舞台を中国の潯陽の江に設定し、親孝行の男が酒の功徳をたたえるために猩々を呼び出すと、猩々が舞を舞ってみせるという、ごく単純な筋書きである。

舞台にはまず、高風という親孝行に扮したワキ(宝生常三)が登場する。酒を商うほどに成功し、富貴の身になったことを披露しながら、酒を飲んでもよわない人に出会った夢を見た。今日はその夢の中に出てきた猩々に是非会いたいと思い、こうして待っているのだという(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ詞「これは唐土かね金山の麓。揚子の里に高風と申す民にて候。さても我親に孝あるにより。或夜不思議の夢を見る。揚子の市に出でて酒を売るならば。富貴の身となるべしと。教のまゝになす業の。時去り時来りけるにや。次第々々に富貴の身となりて候。
詞「又こゝに不思議なる事の候。市毎に来り酒を飲む者の候が。盃の数は重なれども。面色は更にかはらず候ふ程に。余りに不審に存じ。名を尋ねて候へば。海中に住む猩々とかや申し候程に。今日は潯陽の江に出でて。かの猩々を待たばやと存じ候。
歌「潯陽の江の辺にて。潯陽の江の辺にて。菊をたゝへて夜もすがら。月の前にも友待つや。又傾くる盃の。影をたゝへて待ち居たり。影をたゝへて待ち居たり。
地「老せぬや。老せぬや。薬の名をもきくの水。盃も浮み出でて友に逢ふぞ嬉しき。此友に逢ふぞうれしき。

そこに猩々現れる。赤頭に猩々面のいでたちである。

シテ「御酒と聞く。
地「御酒と聞く。名も理や秋風の。
シテ「吹けども吹けども。
地「さらに身には寒からじ。
シテ「理や白菊の。
地「理や白菊の。着せ綿を温めて。酒をいざや汲まうよ。
シテ「客人も御覧ずらん。
地「月星は隈もなき。
シテ「処は潯陽の。
地「江の内の酒盛。
シテ「猩猩舞を舞はうよ。
地「芦の葉の笛を吹き。波の鼓どうと打ち。
シテ「声澄み渡る浦風の。
地「秋の調や残るらん。

ここで中ノ舞が入る。かなり長く、しかも動きの多い舞である。舞が終わると一気にキリとなる。

シテ「有難や御身心すなほなるにより。此壺に泉をたゝへ。唯今返し与ふるなり。よも尽きじ。
地「よも尽きじ。万代までの竹の葉の酒。汲めども尽きず。飲めども変らぬ秋の夜の盃。影も傾く。入江に枯れ立つ足元はよろ/\と。ゑひに臥したる枕の夢の。覚むると思へば泉はそのまま。尽きせぬ宿こそ。めでたけれ。






コメントする

アーカイブ