ケネス・プラナー「シェイクスピアの庭」 最晩年のシェイクスピア

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ケネス・プラナーの2018年の映画「シェイクスピアの庭( All is true)」は、シェイクスピアの最晩年を描いた作品。シェイクスピアの生涯には不明な点が多く、また、劇作家としてのシェイクスピアの存在を否定する説もあるほどなので、かれの最晩年についても、詳しいことは知られてはいない。1613年に引退したのち、故郷のストラットフォード・オン・エイヴォンで余生を送ったということくらいだ。

映画は、そんなシェイクスピアの最晩年を、さも実際のことのように描いている。原題の All is true は、そんな意気込みを物語っている。

1613年に、「ヘンリー八世」をグローブ座で上演中、舞台で大砲を発射したことからグローブ座が消失し、劇上演の機会を失ったシェイクスピアが、故郷のストラットフォードに戻って余生を送る。余生のかれの慰みは、庭造りだ。一方、妻や二人の娘との折り合いは悪い。なにしろこれまで数十年もの間、家族を放置してきたのだ。また、近隣住民との折り合いもよくない。それは、シェイクスピアの父親の評判が悪かったためである。父親は盗人扱いされていた。その息子であるウィリアムも、暖かかくは受け入れられないのだ。しかも、娘まで誹謗中傷される。

シェイクスピアには男の子が生まれていて、その子が11歳で死んだ。そのことでかれは深い喪失感を抱いている。その子には文学的な才能があり、自分の業績を受け継ぐことができたはずと思っていたので、喪失感はひとしおなのだ。ところが、父親から文学的な才能を受け継いだのは、息子ではなく、次女だったとわかる。その次女にシェイクスピアはまともな教育を施さなかった。次女は読み書きもできないのである。だから、思い浮かんだ詩句を弟に口述させていた。それを知ったシェイクスピアは、その娘に期待をかけるようになる。

引退したシェイクスピアを、かつての友人サザンプトン伯が訪ねるシーンがある。ソネット集の中で、詩人が呼びかけている青年だ。かれとの会話の中で、そのソネットが朗誦される。有名な18番ではなく、29番である。それを二人がかわるがわる朗誦するのだ。そのソネットの拙訳を紹介しよう。

  運命にも他人の目にも見放され
  我が身の不遇を一人嘆きながら
  無益な叫びで聞く耳持たぬ天を煩わし
  つくづく自分を眺めては身の不運を呪うとき

  豊かな人を見ては自分もそうありたいと願い
  自分も美男子で 多くの友人を持ちたいと思う
  この男のような才能と あの男のような見識を望み
  自分自身の境遇には決して満足することがない

  こんな思いで自分に嫌気がさすようなときにも
  君のことを思うと 私の心は弾み
  夜明けのひばりのように 陰気な大地から舞い上がり
  天国の門に向かって讃歌を歌うのだ
    君の甘美な愛を思い出すと心が豊かになり
    もう王たちと立場が変わりたいなどと思わないのだ

なお、シェイクスピア役は、監督のケネス・プラナーが演じた。






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