韓国映画「7番房の奇跡」:知的障害者の冤罪

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2013年の韓国映画「7番房の奇跡(イ・ファンギョン監督)」は、知的障害者の冤罪を描いた作品。それに幼い娘との父子愛をからめてある。その知的障害者は、結局は吊るされて死ぬのであるが、父親の無罪を信じる娘が、成人後弁護士となって父親の名誉回復を願い、再審のうえ無罪を勝ち取るといった内容である。

見どころは、主人公の底抜けの善良さと、かれと娘との間の強い絆だ。主人公はその善良さを通じて、同房の囚人仲間から愛されるばかりか、刑務所の課長の命を助けたことで、その課長の信頼も勝ち取る。そこでかれは、周囲の計らいにより、娘を刑務所の中に呼び込んで、一緒にくらしたりもするのである。

ちょっとありえない設定で、日本では決して作られない類の映画だと思うが、韓国ではそうでもないらしい。過日、日本のワルどもが、フィリピンの刑務所で好き放題のことをしたというニュースが日本中を騒がせたことがあったが、それはフィリピンの刑務行政のあまりにもいい加減さに日本人が驚いたせいでもあった。韓国の刑務行政も、フィリピンとかわらぬいい加減さが許されているのだろうか。もっともこれは日本人的な受け止め方で、フィリピンや韓国のほうが、人間味あふれた刑務行政が行われているという見方も成り立ちうる。

その知的障害者が冤罪に陥ったのは、自分のことを守れないということもあるが、目撃者のいい加減な証言や、それを利用した官憲側の陰湿なやり方に圧倒されたということもある。冤罪のもととなった事件の少女が、警察庁長官の娘であり、その長官が個人的な恨みをその障害者に向けたということになっているが、それは韓国社会が、法の支配ではなく、人間すなわち有力者の恣意によって動いているということを物語っているのだろう。その点では、日本のほうがましだと言われそうだが、日本でも冤罪は絶えないのである。冤罪が絶えないから、その犠牲となったこの映画の主人公に同情して、冤罪による死刑の悲惨さを理由に死刑廃止を求める論調も出てくるわけである。

映画は、女性弁護士が事件再審の法廷で、父親の無罪を訴える場面から始まり、最後には無罪が宣告されるところで終わる。それにはさまれる部分で、事件の概要と刑務所内での様子が回顧される。その刑務所内で、同房の囚人の協力とか、課長の力沿いもあって、無罪を勝ち取る可能性が高まるのであるが、主人公はどういうわけか、あっさりと罪状を認めてしまう。そうしないと、娘の命を保証しないと脅迫されていたからだ。要するにかれは最後まで自分を守れず、また娘まで悲しませてしまう。そこはやはり、知的障害のなさしめるところだという諦念のようなものを感じさせるように作られているのである。






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