オーストラリア映画「危険な年」:インドネシアの9.30クーデター

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1982年のオーストラリア映画「危険な年(The Year of Living Dangerously ピーター・ウィアー監督)」は、1965年9月30日にインドネシアで起きたクーデターをテーマにした作品。このクーデターの背後関係など詳細はわからないが、これがきっかけでスカルノが権力を失い、スハルトが新たな権力者になった。スハルトが主導したクーデター鎮圧作戦は、共産党員や反政府分子の弾圧を伴い、100万人以上のインドネシア人が虐殺された。ブンガワン・ソロが血で染まったことは有名な話である。その虐殺の様子については、2012年のドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」がショッキングな描き方をしている。

この映画が描いているのは、クーデター騒ぎの前の民衆の不穏な動きであり、クーデターそのものは描かれていない。その描き方も、インドネシア人の視点は全く反映されておらず、もっぱら西欧人たちの視点から描かれている。メル・ギブソン演じるオーストラリア・メディアの特派員を中心として、アングロサクソン系とかフランス系の連中が出てきて、民衆の騒ぎを否定的に見る様子が描かれる。この連中の目からすれば、この騒動は共産主義者の先導によるものであって、ぜひとも鎮圧されねばならぬということになる。

つまり、この映画は、スカルノの失脚が象徴するインドネシアの政情を、欧米の植民地主義者の視点から描いたといえる。現地人の立場を代表する人間が一人出てくるが、それは小人のインドネシア人であって、欧米人の目には道化のようにうつる。その道化は、共産党のシンパということになっており、したがって死ぬべき運命にある。じっさいかれは、権力に追い詰められて、ビルから転落死するのである。

欧米など西側が共産主義者を憎む気持ちはわかるが、なぜこんな映画をオーストラリア人が作ったのか。オーストラリアはインドネシアとは国境を接する隣国同士であり、その隣国の赤化は見過ごせないと考えたからだろうか。それにしても、この映画の中のインドネシア人の描き方はひどいものである。猿とたいして区別のつかない野蛮人として扱っており、それに対して白人たちは文明人として描かれる。文明人が野蛮人を相手にやることは、人間の子どもが犬猫を相手にやることと同じで、なにをやっても許される。そういった白人側の傲慢さが伝わってくる。人種差別意識に毒されたひどい映画というべきである。そのあたりは、オーストラリアの白人たちの、底抜けの無邪気さを感じさせる。






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