九位注 世阿弥の能楽論

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九位とは、能楽の芸の境位を九段階にわけたもの。世阿弥はそれを、上三花、中三位、下三位にわけ、さらに、上三花を妙化風、寵深花風、閑花風に、中三位を正花風、広精風、浅文風に、下三位を強細風、強粗風、粗鉛風に細分する。そのうえで、中初・上中・下後と言う。これは、中から入って次第に上へと上がり、最後に下に降りてくるという意味である。中から入ると言うのがミソである。下から入ると、芸が上達しない。下の境地は、いったん上へ上りついた者でなければ、正しく会得することができない、という考えがここには込められている。

芸の稽古は、まず中三位の下位「浅文風」から始めるべきである。その次の「広精風」の段階で、それより上へ進めるものと、そこで止まってしまうものとが分かれる。上へ進めるものは稽古を積んで最上位の妙花風をきわめることができる。止まってしまったものは、下に落ちるしかない。

下三位は、たいして難しくもなく、また芸として面白さに欠ける。だから、下手が演じると見所がないが、しかし、上三花を窮めた上手が演じると、「和風の曲体」となる。つまらぬ技でも、上手が演じれば意外な面白さが出るということである。

上手の為手の中には、近江申楽の犬王のように、下三位には目もくれぬ者もいるが、世阿弥の父観阿弥は、上三花をきわめながら、下三位も含めてあらゆる芸をこなした。

大部分の芸人は、広精風の段階で止まってしまい、そのまま下三位に低迷する。そもそも下三位から始めるようなものは、中三位より上の境地は望めない。

なお、上三花の最高の段階「妙花風」は、「至花道」にいう「闌位」、「花鏡」にいう「妙所」に対応すると考えられる。ともあれ、芸の境位を細かく分類するところに世阿弥のこだわりを感じるところだ。






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