オーストラリア映画「誓い」:第一次世界大戦の一齣

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1981年のオーストラリア映画「誓い(Gallipoli ピーター・ウィアー監督)」は、第一次大戦に英軍側にたってトルコ軍と戦うオーストラリア兵を描いた作品。オーストラリアがなぜ英軍の友軍として参加したかについては、色々な事情があるのだろう。映画はそのことについては触れない。オーストラリア人がイギリスのために戦うのは当然だという前提にたっている。オーストラリアがイギリスから独立したのは1901年のことであり、第一次大戦の時期には独立国家だったわけだから、なにもイギリスに義理立てして戦争に参加することはないと思うのだが、オーストラリアはイギリスの植民地として始まり、イギリスを本国視する慣習が身についていたようなので、イギリス側にたってトルコと闘うのは当たり前のことだったようだ。

二人の若いオーストラリア人の友情が主なテーマである。この二人は短距離走が因縁で結びついた。未成年のアーチーが、年上のフランク(メル・ギブソン」を破り、二人は仲良くなる。折から政府が軍人を募集しており、それにアーチーが騎兵として応募し、合格する。年齢をうまくごまかしたのだ。日本とは違い、国民の戸籍管理が杜撰なのだろう。一方フランクは騎兵の試験に失格し、歩兵に志願することとなる。仲間の三人と一緒だ。

かれらは、エジプトを経由してトルコの戦場に駆り出される。そこで英軍側から、将棋の駒のような扱いをうける。正規の英軍にとってオーストラリア軍は、ただの傭兵にすぎないのだ。そこで無理な命令を押し付ける。その命令のやりとりを、ファーストランナーのフランクが、伝令となって媒介する。だが、命令伝達の機能はうまく働かず、オーストラリア軍は壊滅的な打撃をこうむる。だがかれらは意気軒昂だ。国の名誉のために戦って死んだのだと自分をなぐさめる。イギリス軍の将棋の駒あるいは捨石として使われ、その挙句に死ぬことがなぜ国の名誉につながるのか、よくわからぬが、オーストラリア人にとって、イギリスは母国のようなものらしい。

エジプト人やトルコ人が戯画的に描かれている。オーストラリアの白人のほうが、エジプト人やトルコ人より、人種的にすぐれているという偏見をむき出しにしている。オーストラリアの白人は、イギリス人に対して劣等感を持っている分、多人種にたいしては差別的に振舞うようである。とくに女性に対しては、ひどい偏見と侮蔑的な姿勢を見せている。なお、この映画には、オーストラリアの原住民系の人は出てこない。






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