
ラース・フォン・トリアーの2011年の映画「メランコリア(Melancholia)」は、巨大彗星(映画では惑星と言っている)が地球に衝突する恐怖を描いた作品。それに心を病んだ女とその姉の関係がからむ。二部構成になっていて、前半は妹のジャスティン(キルスティン・ダンスト)を中心に、後半は姉のクレア(シャルロット・ゲンズブール)を中心に描く。タイトルのメランコリアとは、彗星の名である。
エピローグの部分で、巨大な彗星がある星に衝突するシーンが映し出される。小生はその星が月にみえて、月に彗星が衝突したのかと思ったのだが、実は地球に巨大彗星が衝突する場面だったわけだ。衝突の結果彗星は地球にのめりこみ、地球は致命的な損壊をこうむる。恐竜絶滅の原因となったのは隕石がユカタン半島に衝突したことだが、この映画の中の彗星の地球への衝突はそれをはるかに超える規模だ。もしそんなことがおきたら、地球上の生命は、人間を含めて全滅するであろう。
前半は、ジャスティスの結婚式の場面から始まる。彼女と恋人は、結婚式をあげるために、ある屋敷にやってくる。その屋敷はジャスティスの姉クレアの夫のもので、夫は義妹のために盛大な結婚パーティを催したのだ。だが、ジャスティスはあまり乗り気ではない。彼女は心を病んでいて、自分の境遇をどう受け取ったらいいか、わからないのだ。それにとどまらず、奇体な行動を繰り返す。ケーキカットと言う大事な行事をすっぽかして入浴するとか、会社の同僚と公然とセックスするとか、会社の上司を侮辱してクビになるとか。そんな花嫁の行動に愛層をつかした恋人は去っていく。
後半は、ジャスティスがクレアの家に居ついたことから始まる。クレアの夫は、メランコリアの接近の様子を望遠鏡でさぐっている。かれは、本音では衝突する可能性が大きいと思っているが、妻や子に向かっては、衝突はせず、かすめるだけだといって、安心させようとする。だが観測していると、衝突するに違いないとの確信を深める。かれは恐怖にかられ、ついに自殺してしまうのだ。夫の自殺を知ったクレアは、彗星が衝突するとの確信をつよめる。だが如何ともしがたい。地球の破滅を受け身で待つほかはないのだ。
この映画が強く感じさせるのは、運命に囚われた人間の弱さだ。その運命は、この映画では、地球の破滅という形であらわされているのだが、そこまで大げさでなくとも、過酷な運命の事例はいくらでもある。たとえばイスラエルによる大虐殺に直面したパレスチナ人の運命だ。かれらも、この映画のなかの人物のように、ただただ死を待つのみの境遇に置かれている。
なお、トリアーは、この映画をカンヌに出展するに際して講演を行い、その中でヒトラーに好意を寄せた発言をしたことで、それが反ユダヤ主義だというので、カンヌから追放されたそうだ。ハリウッドはじめ欧米の映画界はユダヤ人の強い影響下にあるから、ユダヤ人を怒らせると報復されるのである。
エピローグの部分で、巨大な彗星がある星に衝突するシーンが映し出される。小生はその星が月にみえて、月に彗星が衝突したのかと思ったのだが、実は地球に巨大彗星が衝突する場面だったわけだ。衝突の結果彗星は地球にのめりこみ、地球は致命的な損壊をこうむる。恐竜絶滅の原因となったのは隕石がユカタン半島に衝突したことだが、この映画の中の彗星の地球への衝突はそれをはるかに超える規模だ。もしそんなことがおきたら、地球上の生命は、人間を含めて全滅するであろう。
前半は、ジャスティスの結婚式の場面から始まる。彼女と恋人は、結婚式をあげるために、ある屋敷にやってくる。その屋敷はジャスティスの姉クレアの夫のもので、夫は義妹のために盛大な結婚パーティを催したのだ。だが、ジャスティスはあまり乗り気ではない。彼女は心を病んでいて、自分の境遇をどう受け取ったらいいか、わからないのだ。それにとどまらず、奇体な行動を繰り返す。ケーキカットと言う大事な行事をすっぽかして入浴するとか、会社の同僚と公然とセックスするとか、会社の上司を侮辱してクビになるとか。そんな花嫁の行動に愛層をつかした恋人は去っていく。
後半は、ジャスティスがクレアの家に居ついたことから始まる。クレアの夫は、メランコリアの接近の様子を望遠鏡でさぐっている。かれは、本音では衝突する可能性が大きいと思っているが、妻や子に向かっては、衝突はせず、かすめるだけだといって、安心させようとする。だが観測していると、衝突するに違いないとの確信を深める。かれは恐怖にかられ、ついに自殺してしまうのだ。夫の自殺を知ったクレアは、彗星が衝突するとの確信をつよめる。だが如何ともしがたい。地球の破滅を受け身で待つほかはないのだ。
この映画が強く感じさせるのは、運命に囚われた人間の弱さだ。その運命は、この映画では、地球の破滅という形であらわされているのだが、そこまで大げさでなくとも、過酷な運命の事例はいくらでもある。たとえばイスラエルによる大虐殺に直面したパレスチナ人の運命だ。かれらも、この映画のなかの人物のように、ただただ死を待つのみの境遇に置かれている。
なお、トリアーは、この映画をカンヌに出展するに際して講演を行い、その中でヒトラーに好意を寄せた発言をしたことで、それが反ユダヤ主義だというので、カンヌから追放されたそうだ。ハリウッドはじめ欧米の映画界はユダヤ人の強い影響下にあるから、ユダヤ人を怒らせると報復されるのである。
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