出家功徳 正法眼蔵を読む

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十二巻正法眼蔵の第一は「出家功徳」の巻。正法眼蔵第七十五つまり本体部分の最期の巻が「出家」と題したものであった。十二巻本の最初に置かれたこの「出家功徳」の巻は、「出家」において説いたものを、さらに膨らませて展開したものである。一部反復もある。量的にはだいぶ長いが、内容的には比較的単純である。経典や故人が出家功徳について説いた部分を取り上げ、それについて道元なりの解説を加えるという体裁になっている。

まず龍樹の「大智度論」からの長い引用があり、それへの道元の注釈がある。「大智度論」は、最初に出家することの功徳について述べたのちに、蓮華色比丘尼、酔える婆羅門、転輪聖王の故事を引いて、出家することがいかに重要かを縷々述べる。在俗のままでは修行に差支えが出る、出家さえしておけば、たとえ道を踏み間違えても正しい道に戻ることができる、といったことである。

次に釈迦の言葉が二つ引用される。一つは「南州に四種の最勝有り。一に見佛、二に聞法、三に出家、四に得道」。この世界において肝心なことは、仏にまみえ、法を聞き、出家して、悟りを得ることだというのである。二つ目は「佛法の中に於て、出家の果報不可思議なり。假使人有りて七寶の塔を起てて、高さ三十三天に至るも、得る所の功徳、出家には如かず」。出家以上に功徳をもたらすものは、ないというのである。

ついで古の聖人の言葉「出家の人は、禁戒を破ると雖も、猶ほ在俗にして戒を受持せん者に勝る。故に經に偏に説かく、人を勸めて出家せしむる、其の恩報じ難し」。在俗で戒を守る者より、出家して戒を破る者のほうが優れているというのである。これは「阿毘達磨大毘婆沙論」に出てくるものだが、同じ大毘婆沙論に次のような言葉もある。「發心出家するすら尚ほ聖者と名づく、況んや忍法を得んや」。発心出家しただけで聖者と呼ばれるというのである。

出家とは、具体的には、髪を剃り、袈裟を着ることである。そうすれば、「しるべし、剃髪染衣すれば、たとひ不持戒なれども、無上大涅槃の印のために印せらるるなり」。僧としての形を整えれば、内容はおのずから実現するということか。

次に「大般涅槃経」から、「夫れ出家は、應に惡を起すべからず。若し惡を起さば、則ち出家に非ず。出家の人は、身口相應すべし。若し相應せざれば、則ち出家に非ず」。出家したらば悪事をなさず、言行一致せねばならない。悪事をなさずということの意味は、「それ出家の自性は、憐愍一切衆生、猶如赤子なり。これすなはち不起惡なり、身口相應なり」とされる。

また、大般若経から「阿耨多羅三藐三菩提は、かならず出家日に成熟するなり。しかあれども、三阿僧祇劫に修證し、無量阿僧祇に修證するに、有邊無邊に染汚するにあらず」という言葉が引用される。これはさとりの境地が出家の当日に実現するということであるが、しかしたえざる修行をすることとはなんら矛盾しないと言っている。

次いで仏祖たちの出家の様子が語られる。まず釈迦について、「これ釈迦如來そのかみ太子のとき、夜半に踰城し、日たけてやまにいたりて、みづから頭髪を斷じまします。ときに淨居天きたりて頭髪を剃除したてまつり、袈裟をさづけたてまつれり。これかならず如來出世の瑞相なり、佛世尊の常法なり」。こうした釈迦の出家のさまが後の仏祖たちの模範となった。そこで、第四祖優婆菊多尊者、第十七祖伽難提尊者の出家の様子が語られる。それらを踏まえて、「あきらかなるはかならず出家す、くらきは家にをはる、黒業の因縁なり」と説く。

つづけて三人の仏祖の言葉。南嶽山懷讓禪師は「夫れ出家は、無生法の爲にす、天上人間、勝る者有ること無し」と言い、盤山寶積禪師は「禪徳、可中學道は、地の山をささげて、山の孤峻を知らざるに似たり。石の玉を含んで、玉の瑕無きを知らざるが如し。若し是の如くならば、是れを出家と名づく」と言い、鎭州臨濟院義玄禪師は「夫れ出家は、須らく平常眞正の見解を辨得し、辨佛辨魔、辨眞辨僞、辨凡辨聖すべし。若し是の如く辨得せば、眞の出家と名づく」と言った。

出家の行法には四種あると道元は言う。
一、盡形壽樹下坐(生涯樹下に座すること)
二、盡形壽著糞掃衣(生涯糞掃衣を着ること)
三、盡形壽乞食(生涯乞食すること)
四、盡形壽有病服陳棄藥(生涯病あれば陳棄藥を服すること)

以上を踏まえて巻末に次のように説く。「しかあればすなはち、三世諸佛、皆曰出家成道の正傳、もともこれ最尊なり。さらに出家せざる三世佛おはしまさず。これ佛佛祖祖正傳の正法眼藏涅槃妙心、無上菩提なり」。






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