受戒 正法眼蔵を読む

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十二巻正法眼蔵第二は「受戒」の巻。受戒とは戒を受持すること。それによってはじめて仏教の修行者たる資格が得られる。単に出家するだけではなく、受戒を経てはじめて比丘となる。出家しただけでは沙弥にとどまり比丘にはなれない。

戒とは仏教者が守るべきことがら、あるいは犯してはならぬ戒めのことである。道元は「禪苑清規」から「參禪問道は戒律を先と爲す」という言葉を引用して、「西天東地、佛祖相傳しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざればいまだ佛の弟子にあらず・・・正法眼藏を正傳する祖師、かならず佛戒を受持するなり」と説いている。

受戒の作法には色々な分類があるが、道元がここで採用しているのは、三歸、三聚淨戒、十重禁戒の併せて十六の戒である。それを十六支戒という。それぞれについて儀式があり、その儀式にのっとって受戒する。

まず菩薩戒という儀式を行う。これは、祖師を焼香礼拝してのち、「沐浴清淨にして新淨の衣服を著し、あるいは衣服を浣洗して、華を散じ、香をたき、禮拜恭敬してその身に著す。あまねく形像を禮拜し、三寶を禮拜し、尊宿を禮拜し、諸障を除去し、心身清淨なることをうべし」とするものである。そののちに三帰という儀式をなす。これは、禮拜、長跪して合掌し、
歸依佛、歸依法、歸依僧
歸依佛陀兩足中尊、歸依達磨離欲中尊、歸依僧伽衆中尊
歸依佛竟、歸依法竟、歸依僧竟
如來至眞無上正等覺は是れ我が大師なり。我れ今より歸依したてまつる、
今より已後、更に邪魔外道に歸依せじ。慈愍したまふが故に
と唱える。

三聚淨戒は、攝律儀戒、攝善法戒、饒益衆生戒のことであり、それぞれについて「汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や」と問いかけ、それに対して「能持」と答えさせる。

十重禁戒は、第一不殺生(殺生をしない)、第二不偸盗(盗まない)、第三不貪婬(みだらなことをしない)、第四不妄語(妄語を発しない)、第五不酤酒(酒を飲まない、第六不在家出家菩薩罪過(出家の菩薩の罪過をいわない)、第七不自讃毀他(自分をほめ他人をけなすことをしない)、第八不慳法財(法財をおしまない)、第九不瞋恚(ねたまない)、第十不癡謗三寶(三宝を誹謗しない)である。それぞれについて、「汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や」と問いかけ、それに対して「能持」と答えさせる。

最後に次のように言って、受戒の重要な意義を確認する。「この受戒の儀、かならず佛祖正傳せり。丹霞天然、藥山高沙彌等、おなじく受持しきたれり。比丘戒をうけざる祖師あれども、この佛祖正傳菩薩戒うけざる師、いまだあらず。必ず受持するなり」。

戒とは仏教者が守るべきことがら、あるいは犯してはならぬ戒めのことである。道元は「禪苑清規」から「參禪問道は戒律を先と爲す」という言葉を引用して、「西天東地、佛祖相傳しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざればいまだ佛の弟子にあらず・・・正法眼藏を正傳する祖師、かならず佛戒を受持するなり」と説いている。

受戒の作法には色々な分類があるが、道元がここで採用しているのは、三歸、三聚淨戒、十重禁戒の併せて十六の戒である。それを十六支戒という。それぞれについて儀式があり、その儀式にのっとって受戒する。

まず菩薩戒という儀式を行う。これは、祖師を焼香礼拝してのち、「沐浴清淨にして新淨の衣服を著し、あるいは衣服を浣洗して、華を散じ、香をたき、禮拜恭敬してその身に著す。あまねく形像を禮拜し、三寶を禮拜し、尊宿を禮拜し、諸障を除去し、心身清淨なることをうべし」とするものである。そののちに三帰という儀式をなす。これは、禮拜、長跪して合掌し、
歸依佛、歸依法、歸依僧
歸依佛陀兩足中尊、歸依達磨離欲中尊、歸依僧伽衆中尊
歸依佛竟、歸依法竟、歸依僧竟
如來至眞無上正等覺は是れ我が大師なり。我れ今より歸依したてまつる、
今より已後、更に邪魔外道に歸依せじ。慈愍したまふが故に
と唱える。

三聚淨戒は、攝律儀戒、攝善法戒、饒益衆生戒のことであり、それぞれについて「汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や」と問いかけ、それに対して「能持」と答えさせる。

十重禁戒は、第一不殺生(殺生をしない)、第二不偸盗(盗まない)、第三不貪婬(みだらなことをしない)、第四不妄語(妄語を発しない)、第五不酤酒(酒を飲まない、第六不在家出家菩薩罪過(出家の菩薩の罪過をいわない)、第七不自讃毀他(自分をほめ他人をけなすことをしない)、第八不慳法財(法財をおしまない)、第九不瞋恚(ねたまない)、第十不癡謗三寶(三宝を誹謗しない)である。それぞれについて、「汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や」と問いかけ、それに対して「能持」と答えさせる。

最後に次のように言って、受戒の重要な意義を確認する。「この受戒の儀、かならず佛祖正傳せり。丹霞天然、藥山高沙彌等、おなじく受持しきたれり。比丘戒をうけざる祖師あれども、この佛祖正傳菩薩戒うけざる師、いまだあらず。必ず受持するなり」。

戒とは仏教者が守るべきことがら、あるいは犯してはならぬ戒めのことである。道元は「禪苑清規」から「參禪問道は戒律を先と爲す」という言葉を引用して、「西天東地、佛祖相傳しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざればいまだ佛の弟子にあらず・・・正法眼藏を正傳する祖師、かならず佛戒を受持するなり」と説いている。

受戒の作法には色々な分類があるが、道元がここで採用しているのは、三歸、三聚淨戒、十重禁戒の併せて十六の戒である。それを十六支戒という。それぞれについて儀式があり、その儀式にのっとって受戒する。

まず菩薩戒という儀式を行う。これは、祖師を焼香礼拝してのち、「沐浴清淨にして新淨の衣服を著し、あるいは衣服を浣洗して、華を散じ、香をたき、禮拜恭敬してその身に著す。あまねく形像を禮拜し、三寶を禮拜し、尊宿を禮拜し、諸障を除去し、心身清淨なることをうべし」とするものである。そののちに三帰という儀式をなす。これは、禮拜、長跪して合掌し、
歸依佛、歸依法、歸依僧
歸依佛陀兩足中尊、歸依達磨離欲中尊、歸依僧伽衆中尊
歸依佛竟、歸依法竟、歸依僧竟
如來至眞無上正等覺は是れ我が大師なり。我れ今より歸依したてまつる、
今より已後、更に邪魔外道に歸依せじ。慈愍したまふが故に
と唱える。

三聚淨戒は、攝律儀戒、攝善法戒、饒益衆生戒のことであり、それぞれについて「汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や」と問いかけ、それに対して「能持」と答えさせる。

十重禁戒は、第一不殺生(殺生をしない)、第二不偸盗(盗まない)、第三不貪婬(みだらなことをしない)、第四不妄語(妄語を発しない)、第五不酤酒(酒を飲まない、第六不在家出家菩薩罪過(出家の菩薩の罪過をいわない)、第七不自讃毀他(自分をほめ他人をけなすことをしない)、第八不慳法財(法財をおしまない)、第九不瞋恚(ねたまない)、第十不癡謗三寶(三宝を誹謗しない)である。それぞれについて、「汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や」と問いかけ、それに対して「能持」と答えさせる。

最後に次のように言って、受戒の重要な意義を確認する。「この受戒の儀、かならず佛祖正傳せり。丹霞天然、藥山高沙彌等、おなじく受持しきたれり。比丘戒をうけざる祖師あれども、この佛祖正傳菩薩戒うけざる師、いまだあらず。必ず受持するなり」。






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