知の快楽

西田幾多郎の小論「論理の理解と数理の理解」(「思索と体験」所収)は、論理学的思考と数学的思考との関係についての、西田なりの考えを述べたものである。西田は、そもそも数学者になるか哲学者になるかについて、選択に迷ったほど数学に興味を抱いていたようなので、それについて突っ込んで考えて見たいという動機もあって、こんなものを書いたのかもしれないが、それ以上に、論理学と数学との関係をどのように考えるかは、哲学にとって重い課題でありつづけた。だから哲学者がこれを取り上げるのは、ごく自然なことなのである。

西田幾多郎の思考のわかりづらさの要因を「述語論理」に求め、それが正常人の思考と異なる分裂病患者の思考に似ていると看破したのは、洒落た哲学的エッセイスト中村雄二郎である。中村はこのおかげで、西田の崇拝者たちから、日本の偉大な思想家を狂人扱いするのかと非難されたそうである。

西田幾多郎の場所論のわかりにくいところは、そもそもそれを認識論・存在論との関連において持ち出しておきながら、具体的な説明の段になると、論理学のタームを用いていることだ。論理学というのは、たしかにアリストテレスの時代に存在の範疇を論じたということもあったが、基本的には人間の判断を取り扱うものだ。それを以て、判断とは次元のことなる「場所」というような概念の内実を説明しようとするのだから、論旨にどうも無理が生じる。

西田幾多郎の思想が、純粋経験に始まり、そこから自覚を経て場所という考えに展開していったことは前稿で言及したとおりである。このうち、純粋経験から自覚への展開には、論理的な必然性というものがあり、比較的わかりやすかった。純粋経験の考え方に内在していた曖昧さを整理する過程で、おのずから自覚という考え方に移行したという流れが見えやすいからである。

西田幾多郎の思想は、「善の研究」で提起した「純粋経験」を基礎として、それを進化発展させる方向に進んでいった。その方向性というのは、「純粋経験」から「自覚」へ、そして「自覚」から「場所」へと進化・発展していくというものである。進化であるから、単純な変化ではない、もとの思想(純粋経験)を土台としてそれをいっそう深くかつ広く推し進めようとする意向が働いている。

西田幾多郎の「純粋経験」の概念にはユニークなところが二つある。一つは、西田がそれを、新カント派の意識の所与としての現象やベルグソンら直感主義者の直感とは違って、単なる思惟の材料ではなく、それ自体が(上田閑照の言葉で言えば自発自展する)実在だと捉えていること。もう一つは、思惟もまた純粋経験の一契機、というか純粋経験そのものだと捉えていることである。

西田幾多郎は「善の研究」の序文の中で、「純粋経験を唯一の実在にしてすべてを説明してみたい」と述べている。ではその「純粋経験」なるものとは何か、が問題となるわけだが、それについて西田は、本文の冒頭近くでこう書いている。「純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なるものである」

筆者が西田幾多郎を始めて読んだのは三十台半ばのことであった。「善の研究」を手始めにして、岩波文庫に収められた論文を順に読んでいった。筆者は別に哲学者になろうなどと考えていたわけではなく、教養の足しくらいに思っていたので、とりあえず岩波文庫がカバーしている範囲のものを読めば、西田哲学と呼ばれるものの輪郭をつかむことができるだろうと、安易に考えていたわけなのであった。ところが西田の思想というのは、そう簡単に理解できるものではないということを早々に思い知らされた。「善の研究」はなんとか理解できたが、三巻からなる哲学論文集(「西田幾多郎哲学論文集」岩波文庫)の第一巻で躓いてしまったのだ。この中に収められている「場所」という論文は、西田哲学を理解するうえでの鍵となる重要なものといわれているのだが、これがなかなか歯が立たないほど難しい。何が書かれているのか、ほとんど理解できなかったのだ。こんなわけで、筆者の最初の西田への挑戦はあっけなく終わってしまったのであった。

R.D.レインは、1960年代から70年代にかけて精神医学界に旋風を巻き起こした人だ。日本でも、「引き裂かれた自己」、「自己と他者」、「狂気と家族」などの著書が翻訳・紹介され、精神病理学の世界に一定の影響を及ぼした。その基本的なスタンスは、分裂病(統合失調症)に典型的な精神病の患者を、社会から隔離するのではなく、むしろ社会の中で、人間関係にかかわらせることを通じて治療すべきだと主張することにある。何故なら、精神病とは人間関係によって引き起こされる病だ、というのである。

精神医学者中井久夫の「分裂病と人類」を読んでいたら、人類の歴史で時間観念が登場したのは、農耕文化の段階になってからだという記述にぶつかった。中井は、人類の歴史は狩猟採集の段階から農耕の段階に進んでいったと考えているのだが、狩猟採集の段階では、時間の観念はまだ成立していなかった、時間の観念が成立するのは農耕文化の段階以降のことだと言うのである。

木村敏は、分裂病(統合失調症)やうつ病などの精神疾患が、精神の正常な状態とは絶対的に断絶した精神の異常なのではなく、平均値(多数者の状態)からの相対的な逸脱なのだと主張した。だからといって木村は、誰もがそうした状態になるとは言わなかったわけだが、同じく精神病理学者である中井久夫は、人は誰でも分裂病やうつ病などの精神病になる可能性を秘めていると主張した。こうなると、精神疾患は精神の異常というよりは、精神状態のバリエーションの一つだということになる。そのバリエーションが、中間値から多少ずれているに過ぎない、というわけである。

精神分裂病(統合失調症)、うつ病、癲癇は、精神疾患の三つの典型例とされてきた。これらの疾患の基本的な病因は、現在では脳の働きの異常であるとするのが主流的見解となり、したがって治療方法も薬物投与による脳の働きのコントロールが中心になってきつつある。これに対して、精神病理学者の木村敏は、単に脳の働きの異常に注目するのではなく、患者の生活史に光をあてる必要があると主張した。人間というものは、さまざまな経験を通じて、自己を作り上げていくものである。自己というものは、無条件な前提としてそこに存在するものではなく、作られるものなのである。だから、作られる過程が大きな問題となる。なぜなら、すべての自己が、望まれた鋳型にしたがって、順調に作り上げられるとは限らないからである。精神疾患として我々がイメージしているのは、この望まれた鋳型からはみ出てしまい、したがって通常の人間の自己とは異なったあり方を呈するに至ったものなのである。

デカルト以来、人間の個人としての主体性をあらわす言葉として、「自我」という言葉が用いられてきた。「自我」という日本語は、無論西洋哲学の翻訳語であるが、内実としては、西洋哲学における「エゴ」に対応している。デカルトの言葉で言えば、「 je pense,donc je suis 」の「 je 」に相当する。

分裂病(統合失調症)などの精神病は、とりあえずは精神の異常として捉えられる。異常というからには、正常が前提とされているわけである。正常な精神状態というものがまずイメージされていて、そこから逸脱しているものが、正常の反対としての異常という具合に定義される。たしかに、異常とは正常の反対のように見えるが、はたして本当にそうか。もしそうなら、異常の反対が正常だということになるが、本当にそうなのか。こんな疑問を提起しながら、異常とは必ずしも正常の反対ではない、ということについて木村敏は論理的な操作をしながら解き明かしていく(木村敏「異常の構造」)。

共通感覚は、すでにアリストテレスが取り上げているほどだから、哲学上の古いテーマであったわけだが、その割に論じられることは少なかった。近世になると、デカルトが常識との関連で論じ、またヴィーコが人間の判断との関連で論じたが、哲学上の主要テーマとなるには至らなかった。これが主要なテーマとなったのは、哲学ではなく、精神病理学の分野においてだった。1970年代に盛んになった現象学的精神病理学において、共通感覚が、心の異常を解く鍵を握るものとして、俄かに注目を浴びたのである。日本においてその議論をリードしたのが、木村敏だった。哲学上の共通感覚論といえば、日本では中村雄二郎の議論が有名だが、それは木村敏の議論に触発されたといってもよい。

木村敏にとって「人と人との間」という概念装置は、精神病理現象を解明するための最初の手がかりになったものだが、彼はこれを、日本人のメランコリー親和性の分析を通じて導き出した。木村によれば、日本人というのは、西洋人と比較して非常にメランコリーになりやすい傾向がある。なぜそうなのか。メランコリーというのは、対人関係の気遣いに主な原因があって、他人に対して非常に気を使うことから起こる。つまり、他人に対してすまないことをしたような場合に、自責の念に駆られて意気が消沈する、そうした事態を称してわれわれはメランコリーというのだが、日本人は特にそれにかかりやすい。それは日本人が、規範の源泉を人と人との間から汲み取り、人と人との間に成立する拘束性に基づいて行動しているからだ、と木村はいうわけなのである。

精神疾患へのアプローチには、伝統的に二つの大きな流れがあった。ひとつは、精神疾患の原因を、脳など中枢神経系を中心とした身体の特定の部位の変調に求め、したがって治療方法も薬物投与などの物理的な手段が中心となる。これは、客観的あるいは科学的アプローチといってよい。それに対して、精神疾患の原因を心の変調に求める立場である。これは主観的あるいは心理的アプローチといってよい。20世紀の後半まで、この両者は互いに拮抗しあっていたのだが、近年は科学的アプローチが主流となってきて、心理的アプローチは旗色が悪くなってきたといわれる。そんななかで、心理的アプローチの有効性にいまだにこだわっているのが、精神病理学者で、しかも精神科医でもある木村敏である。

ハイデガーの哲学史上の意義についてはさまざまな評価があるが、いづれにしても、彼の思想が二十世紀の哲学に深刻な影響を及ぼしたとする点では異論がないであろう。或る意味、ハイデガーとは対極的な立場をとる廣松渉でさえ、その哲学史上の意義を高く評価している。それは、単純化して言えば、ハイデガーが、西洋哲学の伝統的な枠組を根本から覆し、まったく新しい枠組の可能性を、広く認識させたということにある。

廣松渉は、「メルロ=ポンティと間主体性の哲学」と題した論文の中で、自分の立場と比較しながら、メルロ=ポンティの哲学の特徴と限界について論じている。そのメルロ=ポンティの哲学の特徴を廣松は「身体に定位せる間主体性の哲学」と簡潔に表現しているが、けだし言い得て妙な表現といえよう。

廣松渉の表情論は、哲学的な議論としてはかなりユニークである。表情という言葉で、人はふつう顔を思い浮かべるであろう。顔があるのは、人間や、せいぜいが動物などの生き物だから、表情が認められるのはそうした生き物に限られる、と思いがちだが、廣松の場合には、生き物に留まらず、森羅万象あらゆるものに表情があるという。あるいは表情性があるのだという。

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