美を読む

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「赤のアトリエ」同様「会話(La conversation)」も、背景を一色で塗りつぶしたものだ。当初は「赤のアトリエ」と同じく、赤で塗りつぶしていたものを、後に青で塗りなおしたという。暖色の赤と寒色の青では全く正反対の色相なので、塗り替えによる効果はドラスティックに変ったはずだ。マティスが何故、赤から青に塗り替えたか、作品のモチーフと並んで、いろいろな解釈がなされている。

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「ダンス」と「音楽」は、シチューキンには気に入ってもらえたが、美術批評家たちの反応はさんざんだった。批評の主なものは、構図も色彩も単純すぎる一方、単純さがもつ力強さにも欠け、非常に中途半端な、要するに子どもでも描けるものだというものだった。マティスは絵の中に、筋肉的な躍動感とか音楽的な要素を持ち込もうとしたが、本来視覚の芸術にそんな要素を持ち込むのは邪道だ、という批判もあった。

音楽(La musique):マティス、色彩の魔術

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「ダンス」が気に入ったシチューキンは、続いて音楽をテーマにした同じようなサイズの絵を注文してきた。彼の三階建てのアトリエの、二階部分のメーンとして飾りたいという意向であった。マティスは二つ返事で請け負った。マティスにとってシチューキンは最大のお得意先だったので、大事にしたのだろう。

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ロシア人の美術評論家で、マティスの得意先でもあったシチューキンが、1909年の3月頃、マティスに装飾用パネルの創作を依頼してきた。三階建ての彼のアトリエの一階ホールに飾りたいという趣旨だった。ダンスをテーマに描いて欲しいという。マティスは早速水彩画で習作を描き、それをシチューキンに見せたところ、シチューキンは大いに気に入った。そこでマティスは、油彩による本格的な作品をすばやく完成させた。

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1908年の作品「赤い食卓(La desserte rouge)」は、マティスがフォーヴィズムを完全に脱却して、全く新しい境地に入ったことをうかがわせる作品だ。遠近法とか色彩の調和についての従来の常識を悉く覆したこの絵は、絵画という形式の芸術に新しい時代が幕を開けた、と人々に感じさせた。

豪奢(Luxe):マティス、色彩の魔術

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(豪奢Ⅰ 1907年、キャンバスに油彩、210×138cm、パリ、国立現代美術館)

1907年から翌年にかけて二点描かれた「豪奢(Luxe)」と題するシリーズは、マティスのフォーヴィズムからの脱却と飛躍を物語るものとして興味深い。まず1907年に描かれた「豪奢Ⅰ」は、まだフォーヴィズムの印象を色濃く残している。ところが翌年にそれを描きなおした「豪奢Ⅱ」には、フォーヴィズムの面影は殆どなく、マティスが新たな段階に踏み込んだことを如実に物語っている。

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1905年から6年にかけて、マティスはフォーヴィズムのスタイルを確立したのだが、それと平行してセザンヌに大きな関心を寄せ、セザンヌにインスピレーションを受けた絵もいくつか描いた。1906年の作品「赤い絨毯(Les tapis rouges)」はその一つだ。

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「生きる喜び(La joie de vivre)」は、マティスのフォーヴィズム時代の代表作だ。彼はこの作品を仕上げるために、セーヴル街の修道院跡を借りてアトリエにし、1906年のサロンドートンヌに出品した。すると前年のサロンに出品した「帽子をかぶった女」以上に強い反響を巻き起こした。その中には否定的なものも多かった。シニャックは、この絵を見て、ポインティリズムへの反逆だと非難した。それまでマティスはシニャックに師事してポインティリズムの研究に励み、有力な後継者としてシニャックから期待されていたのだった。それがわずかな期間をおいて、ポインティリズムとは反する傾向にマティスが走ったわけだから、シニャックの落胆も大きかったのである。

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マティスが画家として一躍脚光を浴びたきっかけは1905年の秋にパリで開かれた第二回目のサロン・ドートンヌ(秋のサロン)だった。このサロンは、春のサロンが伝統的な格式を誇っていたのに対して、始まったばかりということもあって、比較的自由な雰囲気に囲まれていた。そこにマティスは、従来の絵画の常識を覆すような奇想天外な作品をいくつか展示し、それがいろいろな意味で大きな評判となったのだった。「帽子をかぶった女(Femme au chapeau)」はその時に出品された絵の一つであり、もっとも大きな反響を呼び起こした。

マティス、色彩の魔術

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アンリ・マティス(Henri Matisse)は、ピカソと並んで20世紀を代表する画家で、この二人は20世紀の二大アーティストと言ってよい。20世紀は芸術の世紀と言われるほどで、なかでも絵画のようなヴィジュアル・アートが全盛を誇ったのだが、林立する高峰のなかでも、マティスとピカソは群を抜いて聳える双璧といってよかった。

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「ヴァージナルの前に座る女」は、「ヴァージナルの前に立つ女」とともに、フェルメール最晩年の作である。どちらも、ヴァージナルを前にしていること、二人とも全く同じ衣装を着ていることなどが共通している。ただし、ヴァージナルの位置が違う。一方は窓を背にしているのに対して、もう一方は窓の下に置かれている。この窓のある部屋は、「リュートを持つ女」と同じである。

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フェルメールは、楽器を演奏する女性の姿を描くのが好きで、最晩年になってもなおそうした姿を描いた。ヴァージナルを演奏している女性を描いた二つの作品がそれだ。これはその一つ、「ヴァージナルの前に立つ女」である。一人の女性が、ヴァージナルの前に立ち、両手を鍵盤に置きながら、顔をこちら側に向けている。フェルメール好みのポーズだ。

信仰の寓意:フェルメールの女性たち

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「信仰の寓意」は、「絵画芸術」とよく比較される。どちらもフェルメールとしては非常に大きな画面であること、また構図的にも非常に似ていることが、主な理由である。構図については、これが同じ部屋の中を、同じ角度から描いていることがわかる。小道具の種類や置き場所については異同があるが、天井と床、それに左手の分厚いカーテンなど、全く同じ場所であるし、遠近法の演出方法も同じである。

絵画芸術:フェルメールの女性たち

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「絵画芸術」の制作年代については、説が分かれている。構図上の類似性から「合奏」と同じ頃、1660年代の半ば過ぎだとする説と、最晩年に近い頃だとする説とがある。前者は、構図や彩色に完成度の高さが見られるのは、最晩年ではなく円熟期に属する証拠だと主張し、後者は、フェルメールはこの絵を寓意画として描いたのであり、その意図がこの絵の完成度を推し進めたのだと解釈する。ここでは、最晩年に属する一点と考えたい。

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「ギターを弾く女」は、フェルメールの最晩年に近い頃(1670年代初め)の作品だと考えられる。最晩年のフェルメールは、全盛期に比べて構図に締りがなくなり、彩色技術にも手抜きが目立つという厳しい評価があるが、この絵はそうした評価が(残念ながら)あてはまる作品だと言えよう。

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「手紙を書く女と召使」は、手紙を読んだり書いたりする女を描くことで、手紙にこだわり続けてきたフェルメールにとって、手紙をモチーフにした最後の作品である。このモチーフでの最後の作品とあって、それまでに現れていた要素が繰り返され、いわばこのモチーフの絵の集大成のようなところがある。

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「レースを編む女」は、「牛乳を注ぐ女」と同様家事にいそしむ女性の姿を描いたものである。レースに限らず布を編んだり裁縫をしたりは、当時のフランドル社会では最も女性に相応しい仕事とされ、それらにいそしむ女性の姿は非常に素晴らしいと受け取られていた。そのような社会的背景があったために、当時はこのような主題の風俗画が多く製作された。フェルメールのこの絵も、そのような時代の動きを反映したものと考えられる。

恋文:フェルメールの女性たち

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「恋文」も、「女主人と召使」同様、女主人と彼女のもとに手紙をもたらした召使をモチーフにしている。「女主人」のほうは、テーブルを前にして手紙を書いている途中の女主人のもとに、召使が届いたばかりの手紙、おそらく恋文を手渡そうとしているところを描いているが、こちらは暖炉のそばに腰掛けてマンドリンを弾いている最中の女主人に、召使が手紙を手渡した瞬間を描いている。

女主人と召使:フェルメールの女性たち

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「女主人と召使」は、構図的には「手紙を書く女」と似ているところがある。どちらも、大きなテーブルを前に女が座って手紙を書いている。テーブルにかけられたクロスや女の着ている上着も全く同じものだ。女の配置の仕方が画面の前に出てきているのも共通している。一方異なっている点は、女のほかにもう一人の人物である召使が加わっているのと、女がその召使のほうへ顔を向けているところだ。

手紙を書く女:フェルメールの女性たち

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フェルメールは絵の中に手紙を取り入れることが好きだったようで、手紙を読む女を二点、手紙を書く女を三点描いている。これは、手紙を書く女のうちの一点。このモチーフとしては最初のものだ。フェルメールが、手紙に拘ったのは、時代の流行と関係があるらしい。1650年代のフランドルでは、手紙を書く女をモチーフにした絵が流行したが、フェルメールはそれを意識して、1660年代に手紙をモチーフにした絵を描いたのではないか。

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