美を読む

書類を読む男たち:ゴヤの黒い絵

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聾の家二階サロンの入り口向かい側の壁左手に描かれていたのが、とりあえず「書類を読む男たち」としたこの絵(126×68cm)である。ゴヤの遺産相続目録を作ったブルガーダによって「二人の男」と名づけられ、後イリアルトによって「政治家たち」と名づけなおされた。ブルガーダがなぜ「二人の男」としたかについては、わからないことが多い。というのも、この絵には六人の男が描かれているからである。イリアルトが、「政治家たち」としたことには、一定の辻褄がつけられる。

決闘:ゴヤの黒い絵

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聾の家二階サロンの入り口から向かって左手の壁の、窓を隔てた奥側に描かれていたのが「決闘」と題する長大な絵(123×266cm)である。麦畑と思われる広大な大地の上で、巨大な図体の二人の男が棍棒を振りかざしながら、殴りあっている図柄である。この男たちが巨人であることは、背景との比較から、ほぼ間違いない。

運命:ゴヤの黒い絵

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聾の家二階サロンの入り口から向かって左側手前の壁に描かれていたのが「運命」と題された絵(123×266cm)である。「運命」とは、ギリシャ神話に出てくる運命の女神モイライの三姉妹のことをさす。画面には、その三姉妹とともに正体不明の男が描かれている。男を含めた四人の人物が、夕日を反照した湖の上に浮かんでいる。なんとも不思議な雰囲気に包まれた絵だ。

スープを飲む老人:ゴヤの黒い絵

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この絵(53×85cm)は、とりあえず「スープを飲む老人」としておいたが、題名も、描かれた場所も、確定的なことがわかっていない。場所については、聾の家一回食堂の入り口の上部に描かれたという説と、二階サロンの入り口左手の壁に描かれたという説が拮抗している。ゴヤの研究で知られる堀田善衛は一階説だが、ここでは二階説を取りたい。そうしないと、二階サロンの入り口左手の壁だけが、空白になってしまうからである。

聖イシードロへの巡礼:ゴヤの黒い絵

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聾の家一階食堂の右手側壁に、「魔女の夜宴」と正面から向かい合う形で、「聖イシードロへの巡礼」と題する絵(140×438cm)が描かれていた。二つの絵のサイズはほぼ同じである。

魔女の夜宴:ゴヤの黒い絵

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聾の家一階食堂の左手の側壁に描かれていたのが「魔女の夜宴」と題する長大な絵(140×438cm)である。魔女たちが夜中に集まって、悪魔の主催する宴会を催すという中世以来の民間伝承を下敷きにしており、ゴヤはこの他にも何枚か同じテーマの絵を描いている。その伝承によれば、悪魔は牡山羊の姿であらわれるということになっている。ゲーテのファウストに出てくる「ワルプルギスの夜」の場面も「魔女の夜宴」のテーマを描いたものだが、「ファウスト」の場合、牡山羊は魔女の乗り物とされている。

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聾の家一階食堂正面の壁に、「我が子を食らうサトゥルヌス」の右隣に接して描かれていたのが「ユーディットとホロフェルネス」と題された絵(146×84cm)である。ユーディットは、旧約聖書外典「ユディト書」に出てくる女性であるが、アッシリア王ネブカドネサルによって派遣された将軍ホロフェルネスを、策を用いて寝床に誘い込んだうえに、その首を刎ね、ユダヤ人を危機から救った聖女ということになっている。このテーマは、キリスト教圏の画家たちのインスピレーションを刺激し、ルネサンス以降好んで描かれた。中でも有名なのは、クラナッハの描いたものである。

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聾の家一階食堂入り口を入って正面左手の壁に、「レウカディア」と対面するように描かれているのが「我が子を食らうサトゥルヌス」と題する絵(146×83cm)だ。暗黒をバックに浮かび上がった醜悪な怪物が、子どもを両手で鷲掴みにし、その左腕を食いちぎろうとしている。子どもの頭と右腕は既に食いちぎられていて、その傷跡からは夥しい血が流れ出し、サトゥルヌスの両手を赤く染めている。子どもを貪り食っている怪物の目は、驚愕した人の目のように、怯えた様子に見えるが、それは、我が子を食わねばならぬおぞましい運命に怯えているように見える。

二人の老人:ゴヤの黒い絵

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「二人の老人」と題されたこの絵(144×66cm)は、「レウカディア」と対をなすように、つんぼの家一階食堂入り口を入った右手の壁に描かれていた。長い杖を両手で持った老人が修道士のような姿をして立っている。その脇には。醜怪な面相の老人が寄り添うようにして立ち、隣の老人の耳に向って、何事か叫んでいるようである。その図柄を、左手の老人がゴヤ自身で、右手の老人は死神だと解釈するむきもある。たしかに、左手の老人は、耳元で大声を出されても聞こえないように見えるので、ゴヤ自身だと解釈するのも無理はない。だが、実際のゴヤは、この絵の中の老人のような白いひげは生やしていなかった。

レウカディア:ゴヤの黒い絵

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聾の家一階食堂の入口を入った手前左手の壁に書かれているのが「レウカディア」と題した絵(147×132cm)である。レウカディアは、妻のホセファ・バイエウが死んだ翌年あたりにゴヤの家の家政婦としてやって来たのだが、すぐにゴヤの愛人になった。彼女がやって来た時、ゴヤはすでに67歳の老人であったが、ホセファに20人もの子を宿らせたほどの勢力はまだ衰えておらず、早速彼女にも子を授けたのであった。その時レウカディアは人妻の身であったが、カトリックのスペインでは離婚が許されなかったので、彼女は不倫という形で、ゴヤと結びついたのだった。その後レウカディアは、ゴヤが死ぬまで一緒に暮し、ゴヤの死をみとった。

ゴヤの黒い絵

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フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco José de Goya y Lucientes 1746年3月30日-1828年4月16日)は、72歳を過ぎた高齢で(1819年)、マドリード近郊にあった通称「聾の家」という建物を買った。所有者が聾唖者であったことからこう名付けられた家に、自身も耳の不自由だったゴヤが何かの因縁を感じて買ったのだろうと推測されている。ゴヤはこの家の、一階食堂と二階サロンの壁に、十四点の壁画を描いた。今日「黒い絵」と称されている連作である。

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セザンヌは、静物画と並んで人物画もよく描いた。だが、セザンヌの人物画の描き方は一風変わっていた。人物画と言えば、モデルの人柄とか雰囲気とかがおのずと漂ってくるように描くのが普通のやり方だが、セザンヌの絵の中の人物たちは、そうした人間的な個性というものを感じさせない。まるで、人間の姿形をした静物であるかのように、人物を描いている。

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「花瓶のある静物(Nature morte au vase pique-fleurs)」と題した1905年のこの絵は、1899年に完成した前掲の二作、「カーテンと水差しのある静物」及び「リンゴとオレンジ」と同じモチーフを描いている。セザンヌは1890年代の末から2000年代の初頭にかけて、このモチーフを6点描いたが、これはそのうちの最後のものである。

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セザンヌは髑髏のオブジェをいくつか所有していて、それらをモチーフに何点か描いている。「髑髏のある静物(Nature morte au crane)」と題した1900年のこの絵は、その代表的なものだ。

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1899年に描かれた「リンゴとオレンジ(Pommes et oranges)」と題するこの絵も、やはり同年に描かれた「カーテンと水差しのある静物」(前掲)とほぼ同じ対象をモチーフとしている。ただ、アングルとモチーフの配置が幾分か異なっている。

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1890年代の末に、セザンヌの静物画はその頂点に達した。構図と言い、色彩と言い、セザンヌが追求してきた絵画の理念が、もっとも完成した域に到達したといってよい。

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「玉ねぎのある静物(Nature morte aux oignons)」と呼ばれるこの絵は、前掲の絵「ペパーミントの瓶(Nature morte à la bouteille de peppermint)」と構図が似ている。背景が広いこと、モチーフが左に偏っていることなのだ。背景が広いことでは、この絵の方がはるかに広いと言ってもよい。というのも、前掲の絵では、背景の壁の一部が窓のようになっていて、その分、だだっ広い感じを相殺していたのが、この絵では、窓も何もない壁が、寒色の色合いのまま、だだっ広く広がっている印象を与えるからである。

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キューピッドの石膏像(l'Amour en plâtre)のある静物画を、セザンヌは何点か描いているが、これはそのうち最も有名になったもの。有名になったわけは、この絵の構図が極めてユニークなことにある。

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1894年には、セザンヌは何点かの静物画で実験的な試みをしているが、中でも「ペパーミントの瓶(Nature morte à la bouteille de peppermint)」と題したこの絵は、最も強い実験性を感じさせる。

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セザンヌは1890年代に入ると、静物画のモチーフの一つとして、模様入りのテーブルクロスを入れるようになる。それ以前には、白いナプキンが用いられていたわけだが、白いナプキンが、果物の効果を盛り上げるための脇役として用いられていたとすれば、模様入りのテーブルクロスは、それ自体に絵画的な効果を盛り込んだものだ。

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