これは「マントの橋(Le pont de Mantes)」を描いた作品。セーヌ川にかかるこの石造りの中世風の橋を、コローは大変気にいり、十数点もの作品が残されている。コローは、若い頃イタリアに旅した折、古代の面影を残す風景に心を奪われ、「ナルニの橋」などを描いているが、そうした古代趣味が、マントの風景によってかき立てられたようである。
コローはサロンで評価されることを重視していて、ほぼ毎年サロンに出展した。だがなかなか高い評価を受けることはなかった。出展作の大部分は風景画であり、なかでもフォンテーヌブローの森を描いたものが多かった。「フォンテーヌブローの森(Forêt de Fontainebleau)」と題したこの作品は、1846年のサロンに出展され、みごと入選した。
ヴィル・ダヴレーはパリ近郊の村。コローが21歳のとき、父親がこの地に別荘をたてたので、コローはこの別荘に頻繁に滞在して、多くの風景画を描いた。「ヴィル・ダヴレーのカバスュ邸(Maison Cabassud à Ville d'Avray)」は、1935年から40年にかけて製作したもので、数多くあるヴィル・ダヴレーもののなかでも傑作というべきものである。
コローは、1831年にフォンテーヌブローの森をモチーフにした作品を4点サロンに出展して以来、数年にわたってフォンテーヌブローにこだわり続けた。「フォンテーヌブローの森の浅瀬(Forêt de Fontainebleau)」と題したこの作品は、1933年のサロンに出展され、次点に輝いた。これがきっかけで、コローは新しい風景画の旗手として、広く世に認められるようになる。
「神殿を追われるヘリオドロス(Héliodore chassé du temple)」は、聖シュルビス聖堂の礼拝堂の壁画として製作された。1850年頃にとりかかり、完成したのは1861年のことであった。晩年のドラクロアは数多くの大作の注文を受けており、それらを平行して手がけたので、時間がかかったのである。
「レベッカの略奪(L'Enlèvement de Rebecca)」と題したこの絵は、ウォルター・スコットの有名な小説「アイヴァンホー」に取材した作品。「アイヴァンホー」は十字軍時代のイギリスの騎士の活躍を描いた作品で、非常に人気を博していた。ドラクロアはその中の、テンプル騎士団の一員ギルベールが、ユダヤ人の娘レベッカを愛し、城から略奪する場面を取り上げた。
「火刑台の上のオリンデとソフロニア(Olinde et Sophronie sur le bucher)」と題したこの絵は、ルネサンス期イタリアの詩人タッソーの長編詩「解放されたエルサレム」に取材した作品。この長編詩は、十字軍をテーマにしており、同じテーマを扱ったアリオストの長編詩「狂乱のオルランド」とともに、非常に人気を博したという。
「大蛇ピュトンに打ち勝つアポロン(Apollon vainqueur du serpent Phyton)」と題したこの作品は、ルーヴル宮殿の天井画として制作された。アポロンをモチーフにしたのは、アポロンの間を飾るものだったからだ。ドラクロアはこのモチーフを、オヴィディウスの「メタモルフォーズ」をもとにイメージ化した。
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