美を読む

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ドーミエは政治的な風刺版画のほかに、同時代のパリの風俗をテーマにした版画も多く作った。とくに、「カリカチュール」が発行できなくなってからは、そうした風俗版画を多作したが、それらにもやはり、政治的な視線を感じさせるものがある。

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この作品も「ロベール・マケール」シリーズの一つ。ここではロベール・マケールは慈善家に扮している。慈善家というのは皮肉で、健康増進剤として浣腸を売りつけ、大儲けしていた商人をモチーフにしたもの。その商人は、自分のやっていることはただの商売ではなく、慈善行為だと開き直っていた。

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「聖書商人ロベール・マケール(Robert-Macaire Md de bibles)」と題されたこの石版画は、新聞王ジラルダンを風刺した作品。ジラルダンはラ・プレスほか有力な新聞を発行し、それに広告の機能を持たせることで、巨万の富を得た。そのやり方は、誇大広告で人々の購買意欲をあおるというもので、それに対してシャリヴァリによるフィリポンとドーミエは強く反発した。

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1834年4月のリヨンにおける暴動に引き続き、1835年7月にはルイ・フィリップ暗殺未遂事件が起きる。これらの事件を深刻に受け取った政権は、強圧的な弾圧政策に踏み切る。その最たるものは、表現出版の自由を制限するものだった。内務大臣ティエールの主導のもとで、政府に批判的なメディアがことごとく廃刊に追い込まれた。ドーミエがかかわっていた「カリカチュール」も、1835年8月に廃刊を余儀なくされた。

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「ラファイエットはくたばった、ざまあみろ(Lafayette!...Attrappe, Mon Vieux)」と出されたこの作品は、英雄ラファイエットの葬儀をテーマにしたもの。とはいっても、ラファイエットの葬儀の様子は遠景として描かれ、全面いっぱいにルイ・フィリップが描かれている。

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「トランスノナン街(Rue Transnonain)」と題されたこの石版画は、1834年4月にリヨンを舞台にして起こった労働者の運動への大弾圧を告発したもの。この運動は、ルイ・フィリップへの批判的グループ「人間の諸権利協会」が、リヨンの絹織物職工組合を組織して行ったもので、8000人以上の労働者が参加した。それに対して、内務大臣ティエールが軍隊まで動員して弾圧にとりかかり、労働者側に192人、軍隊側にも129人の死者をだすなど、内乱状態といってよいような状況を呈した。

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ドーミエは、ルイ・フィリップの下で権力の座に就いた人間たちを、痛快なタッチで風刺した石版画を多く作った。「立法府の腹(Le Ventre législatif)」と題されたこの作品は、そうした風刺的人物画の集大成といわれるものである。

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「過去・現在・未来(Le passé. Le présent. L'avenir)」と題されたこの石版画は、ルイ・フィリップの顔を皮肉っぽく描いたものだ。ルイ・フィリップの顔は、下膨れなところが洋梨を想起させたので、人々はかれを「洋梨」とあだ名した。この絵を見ると、たしかにルイ・フィリップは洋梨が人間の真似をしているように見える。

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「悪夢(Le Cauchemar)」と題されたこの石版画は、ラマルティーヌとルイ・フィリップの関係を皮肉ったもの。ラマルティーヌはフランス革命の英雄として庶民に人気があった。1930年の七月革命でも指導的な役割を果たした。だが、革命が成功するや、ルイ・フィリップがかれを利用しにかかった。かれを抱きこむことで、自分の権力を強化しようと考えたのだ。

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1930年の七月革命は、大衆の蜂起によって成功したのだったが、革命がもたらしたのはルイ・フィリップによる王政でり、かれを担いだブルジョワジーの勝利であった。その一方、革命を成功させた大衆は、見向きもされなかった。「七月の英雄(Un Héros de Juillet)」と題したこの版画は、そうした無視された大衆を象徴する人物像である。

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1830年代のフランスは、ジャーナリズムが勃興した時代だった。新聞雑誌があいついで発行され、その紙面を石版画が埋めた。写真技術がまだなかった当時にあって、大衆向けの表現手段としては、石版画がもっとも便利だったのである。この時代、多くの石版画家が活躍したが、ドーミエはその中心的な人物であった。

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「14歳の小さな踊り子( La Petite Danseuse de Quatorze Ans)」と題されたこの彫刻は、1881年の印象派展に出展され、それなりの反響を呼んだ。例によって、善意に受け取るものと悪意に満ちた受け止め方が混在したが、悪意ある批評のほうが多かったという。

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「開演前(Avant la représentation)」と題されたこの作品は、ドガ最晩年の踊り子群像。この絵を描いたとき、ドガは62歳であったが、ほとんど失明に近い状態だったという。それゆえ余計に、光に敏感になっていたものと思える。この作品にも、光があふれている。

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晩年のドガの絵には、輪郭がはっきりせず、どぎつい色彩のものが多い。これは、中年時代に始まった視力の衰えがすすみ、半ば弱視気味になったことにともなうものだった。かれは、対象の輪郭を明瞭にとらえることができなかったので、輪郭を曖昧化して、色彩で対象を再構成しようとした。それもかなり強烈な、原色主体の色彩である。

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ドガは横に長い画面を好んで描いた。踊り子の群像を描くのに適していると考えたからであろう。「階段を上る踊り子たち(Danseuses montant un escalier)」と題されたこの絵も、横に長い画面に踊り子の群像を描いた作品だ。

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1880年代のドガは、多くの風俗画と並んで、女性の裸体画を数多く描いた。なかでも、浴槽の中の女シリーズが有名だ。これはその中でもっともよく知られた作品。浴槽の中でしゃがみ込み、髪の手入れをしている女を描いている。

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ドガは、庶民の生活ぶりをスナップショット的に描くことでは、やや先輩ながらほぼ同時代の画家ドーミエと似たところがある。だが、大きな相違もあった。ドーミエは、同時代のフランス社会の矛盾のようなものを批判的に描いたものだったが、ドガにはそうした批判意識は認められない。かれは単に、人間の動作に造形的な関心を寄せたに過ぎない。

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ドガは、1870年代末から80年代にかけて、踊り子群像のほか、風俗画風の作品を多く手掛けるようになる。町で憂さ晴らしをする女たち、仕事ちゅうの女たち、そして湯浴みなどの日常生活の一コマを、スナップショット風に切り取った構図で描いた。「帽子店(Chez la modiste)」と題されたこの作品は、女性用の帽子店で品定めをする女たちを描いている。

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「稽古中の踊り子(La leçon de danse Madame Cardinal)」と題されるこの絵は、副題からして、画面手前で新聞を読んでいる夫人を強く意識したものだ。この婦人がマダム・カルディナルなのだろう。どんな人物なのかはわからない。このバレー教室の関係者だとも、あるいは踊り子の母親とも言われる。庶民的な服装からして、踊り子の母親である可能性が高い。



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「ダンスのレッスン(La Leçon de danse)」と題されたこの絵は、ダンスのレッスンの合間に一休みする少女たちを描いている。右手前の二人の少女は、脚の筋肉をほぐしたり、緊張をゆるめるために放心したりしている。画面中央で立っている少女は、和風の扇子を扇いで汗を沈めているのだろう。一方、画面の背景部分では、まさにレッスンに励んでいる少女たちが描かれている。

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