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羊飼いの礼拝:エル・グレコの幻想

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エル・グレコは、1612年から14年にかけて、トレドのサント・ドミンゴ・エル・アネィグォ聖堂の自分自身の墓所を飾る祭壇画を描いた。「羊飼いの礼拝」のテーマによるこの絵は、その中心となるものである。自分自身の墓所を飾るとあって、この作品へのエル・グレコの力の入れ方は相当なもので、他の作品のように工房の手を入れさせることなく、すべて自分の手で描いたと考えられる。

ラオコーン:エル・グレコの幻想

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「ラオコーン」は、ギリシャ人であるエル・グレコが、ギリシャ神話に題材をとった唯一の作品である。この神話を題材にした彫刻が1世紀後半に作られたが、それが16世紀初頭に出土してローマのヴァチカン内に置かれていた。エル・グレコはその彫刻をもとにして、この絵を作ったのだと考えられている。

無原罪のお宿り:エル・グレコの幻想

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エル・グレコは、1607年に、トレドのサン・ビセンテ聖堂の礼拝堂のために装飾画の作成を請け負った。この礼拝堂は、ペルーで財産をなしたイサベル・デ・オバーリエによって創立されたもので、エル・グレコはこの仕事をするにあたっては、彼女の事績を大いに考慮してやった。祭壇ヴォールトに嵌め込まれた衝立に、ここに提示した絵を飾るほかに、左右の壁にはイサベルの夫ペテロにちなんだ聖ペトロの肖像とトレドの聖人イルデフォンドの肖像を配し、天井には聖母のエリザベツ訪問の絵を配した。エリザベツは、スペイン語ではイサベルという。

十字架のキリスト:エル・グレコの幻想

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「十字架のキリスト」もエル・グレコの好んで描いた主題であり、多数のバージンが残されている。日本の国立西洋美術館が所蔵するこの絵は、晩年のものである。このように多数のバージョンがあるということは、それだけ需要が高かったということだろう。多くの需要に応えるために、工房の手も入ったと思われるが、この絵にも明らかにグレコ以外の、弟子たちの手が入っていることが指摘されている。

トレドの眺望:エル・グレコの幻想

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トレドは、スペインにおけるエル・グレコの活動拠点となった都市だ。エル・グレコがここを選んだ最大の理由は、ここにギリシャ人のコロニーがあったことだと言われるが、それと並んで重要なことは、この都市が反宗教改革の拠点であっという点だ。反宗教改革の拠点としてこの都市は、カトリックの宗教的雰囲気を濃厚に醸し出していた。エル・グレコにはその点が非常に魅力的だったのだろう。

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「オリーヴ山のキリスト」と題されたこの絵は、以前紹介した「菜園の苦悩」のテーマを縦長に描いたものである。「菜園の苦悩」では、キリストの傍らの草むらで小さく横たわって描かれている三人の使徒たちを、手前の広々とした空間に大きく描いている。その分、キリストと天使の姿は、相対的に小さくなっている。一方、ユダが兵士たちにキリストを売り渡すところは、前作同様、画面右側の後景として小さく描かれている。

羊飼いの礼拝:エル・グレコの幻想

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「羊飼いの礼拝」は、エル・グレコが好んで取り上げたテーマである。ヴェネチア時代から晩年に至るまで、繰り返し描いている。中でもこの作品は、晩年の成熟期に描かれたもので、プラド美術館に所蔵されている最晩年のものとともに、エル・グレコの同一テーマによる宗教画の傑作とみなされている。

聖母戴冠:エル・グレコの幻想

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エル・グレコは1603年に、イリェリカスにあるカリダード施療院と、祭壇画の制作請負契約を結んだ。イリェリカスは、マドリードとトレドのほぼ中間にある都市で、カリダード施療院は伝説的な雰囲気に包まれたところだった。というのも、ここには、聖ルカが自ら彫刻し、聖ペテロがスペインに運んで来たという聖マリア像を本尊としていたからだ。

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キリストが布教の途中で、商人たちを神殿から追い払った話は福音書に出て来る。たとえばヨハネ伝は、その様子を次のように記している。「さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。そして牛、羊、鳩を売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、縄で鞭を造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、鳩を売る人々には『これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな』と言われた」(ヨハネ伝2:13-16)

キリストの復活:エル・グレコの幻想

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「キリストの復活」と題するこの大きな絵は、「受胎告知」とともに、ドニャ・マリア・デ・アラゴン学院聖堂祭壇の衝立を飾っていた絵と考えられている。まったく同じ構図の縮小したものがセント・ルイスのワシントン大学に保存されているが、これは受胎告知における大作とその縮小画と同じ関係にあるものと思われる。

受胎告知:エル・グレコの幻想

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1596年から1600年にかけて、エル・グレコは、マドリードのドニャ・マリア・デ・アラゴン学院付属聖堂祭壇画の注文を受けたが、それに際してメインとなる絵の縮小画を作って提示した。これは、本物の三分の一の大きさで、しかも習作としての位置づけなのだが、後期のエル・グレコの画風の始まりを告げる傑作と言う評価が高い。

菜園の苦悩:エル・グレコの幻想

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「菜園の苦悩」と題するこの絵は、エル・グレコの中期の代表作との評価が高い。同じテーマでいくつかのヴァージョンを描いているが、アメリカのトレド美術館にあるこの作品が最初に描かれたとされている。ロンドンのナショナル・ギャラリーにも、ほぼ同じ内容の絵が収蔵されている。

オルガス伯の埋葬:エル・グレコの幻想

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エル・グレコは、スペインに渡ってきたそもそもの目的である宮廷画家になることには失敗したが、画家として失敗したわけではなかった。フェリペ二世の評価はもらえなかったが、トレドの大商人や大寺院の贔屓を得て、注文が山ほど舞い込んできたのである。大商人には自分や家族の肖像画を依頼された。大寺院には聖堂を飾る絵を依頼されたのである。

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スペイン国王フェリペ二世の依頼に基づいて書かれた二点の絵のうち、「聖マウリティウスの殉教」と題するこの絵は、エル・エスコリアル修道院の聖堂を飾る祭壇画のメインとなる絵であった。高さが4メートルを超えるこの巨大な絵を、エル・グレコは修道院の完成セレモニーにあわせる形で仕上げたのであったが、それを見たフェリペ二世は、これを修道院の聖堂に飾ることを許さなかった。人々の信仰を掻き立てるよりも、萎えさせるというのがその理由であった。

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エル・グレコはスペインに来て間もなく、フェリペ二世から二点の絵の注文を貰った。造営中だったエル・エスコリアル修道院の礼拝堂を飾るための絵だった。もし、この仕事に成功すれば、エル・グレコにはスペイン王家の宮廷画家としての道が開かれるはずだった。エル・グレコがスペインに来た最大の目的はそのことだったのである。

聖衣剥奪:エル・グレコの幻想

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スペインにやって来たエル・グレコは、トレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂の祭壇衝立の制作に続いて、トレド大聖堂聖具室の祭壇画制作を請け負った。この絵は、その中心となるものである。

聖母被昇天:エル・グレコの幻想

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エル・グレコがスペインに渡ってきたのは1576年のことで、最初に手掛けた仕事はトレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂の祭壇衝立を作る事であった。この祭壇衝立は、当時のトレドの人々の度肝を抜くほど巨大なもので、七面の宗教画と五体の人物像の彫刻、そして建築的な装飾からなっていた。エル・グレコはこのプロジェクトの親方を勤め、自ら七面の絵を描いたが、それ以外は地元の建築家フアン・バウティスタ・モネグロにゆだねた。

受胎告知:エル・グレコの幻想

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受胎告知はキリスト教宗教画の中でも最も重要なテーマの一つであるから、エル・グレコもそれを繰り返し描いた。この作品は、エル・グレコがスペインに向かって出発する直前に描いたものとされる。

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この作品は、エル・グレコがスペインへ渡る以前、イタリアのローマで描いた初期の傑作である。エル・グレコは、1567年の中ごろに、故郷のクレタ島からイタリアのヴェネチアに渡り、そこでティツィアーノの工房に入って、いわゆるヴェネチア派の画風を身に着けた。その後、1570年の暮頃にローマに移り、枢機卿などを出した名門ファルネーゼ家に寄寓した。スペインへ渡ったのは1576年のことだが、それまでずっとローマにいたのか、あるいは一旦ヴェネチアに戻ったのか、たしかなことはわからない。

エル・グレコの幻想

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エル・グレコが高い評価を以て見直されるのは20世紀になってからである。それまでは、マニエリズムの亜流くらいの位置づけにすぎなかった。それが高く評価されるようになったのには、ビザンチン美術が20世紀になって高く評価されるようになったことが働いている。エル・グレコはこのビザンチン美術の伝統の上に改めて位置付けられたのである。

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