美を読む

m3101.yd.png

1930年、マティスはアメリカ経由で南太平洋のタヒチに旅行した。動機は、南洋の明るい太陽の光を一身に浴びたいということだった。マティスはそれまでも、明るい太陽を求めて、南仏や北アフリカに拘ってきたわけだが、その拘りが地球的な規模にまで膨らんだというわけだろう。タヒチには数週間滞在し、帰りはスエズ運河経由の航路を取った。

m2802.turkish.jpg

「トルコ風肘掛け椅子のオダリスク(Odalisque au fauteuil turc)」は、1928年に「二人のオダリスク」と前後して描かれた。マティスはこの絵が気に入っていたようで、友人への手紙の中でも、「勝ち誇ったような輝きのなかに、陽光の明るさが満ち溢れているでしょう」(高階秀爾監訳)と書いて自慢している。

m2801.two.jpg

マティスは1925年の夏に、家族を伴ってイタリアに旅行した。その時にミケランジェロの作品を集中的に見て、それを踏まえた多くの習作を生んだ。それらは、いわゆるミケランジェロ・タッチと呼ばれるダイナミックな感じのものだった。マティスもミケランジェロ同様、人体に拘った彫刻家でもあったので、二人の人体の見方と表現の仕方には共通するものがあったのだろう。要するに精神性よりも、肉体性(ボリューム感)を重視するものだ。

m2501.decorative.jpg

「装飾的身体(Figure décorative sur fond ornemental)」は、マティスの代表作の一つである。彼はこの作品を、20年代に多作していたオダリスク像の延長として描いたのだろう。1926年のサロン・デ・チュイルリに出展したところ、大きな反響を呼んだ。その反響には好意的なものと、非難がましいものとの両方があったが、この作品がマティスにとって新たなスタイルを予感させるという評価では一致していた。

m2401.magnolia.jpg

タイトルのマグノリアとは、木蓮科の花のことである。モデルの背後にある衝立らしきものの模様に、そのマグノリアが使われている。衝立の前に横たわっているのは、アンリエットだろう。白い上着と白いスカートを履き、上半身をはだけているポーズは、「赤いキュロットのオダリスク」と似ている。角度が横向きなところが違っているだけだ。

m2102.culottes.jpg

マティスは1920年代に、オダリスクをモチーフにした多くの作品を描いた。オダリスクとは、トルコのハーレムに仕える侍女のことだ。マティスはモロッコに何度も旅をしたが、そのさいにイスラム趣味の一環として、このオダリスクに興味を覚えたのだろう。フランスでは、アングルなどが過去にオダリスクをモチーフにしていたこともあって、なじみのあるテーマでもあった。

m2101.screen.jpg

1920年代に入るとマティスは、再び具象的で色彩豊かな絵を描くようになる。今度の場合は、具象的なフォルムは肉感的になり、色彩もそれに応じて感性的なものになった。この背景には、マティスのたびたびのモロッコ旅行がある。モロッコに旅行したことでマティスは、ある種の異国趣味を搔き立てられ、それを絵の中に反映させようとして、このような感覚的な絵を描くようになったのだと思われる。

m1691.piano.jpg

1910年代の半ばから末にかけて、マティスはある種の転換期を迎えた。それまでの、装飾的で色彩豊かな技法を一旦ペンディングにして、ピカソのキュービズムの実験に共鳴するような、抽象的で理屈ばった絵を描くようになった。構図がいっそう抽象的になり、色彩的には地味でかつ単調さが目立つようになった。この時期のマティスの絵の評価は、マティス本来の傾向からの逸脱であり、したがって退化だとする見方と、新たな芸術の開発に向けての偉大な実験だったとの見方とに分かれている。前者の見方のほうが有力なようである。

m1203.family.jpg

「画家の家族(La famille du peintre)」は1911年に、「赤のアトリエ」を含むアトリエ四部作の一つとして描かれた。他の三作と比較して、この絵にはかなり違ったところがある。全体に装飾的だという印象は変らないが、ほかの三作が単純な色彩配置になっているのに、これはマニアックなほどに微細なタッチで描かれている。そういう点で、この時期のマティスの絵にしては、ユニークなものである。

m1202.conversation.jpg

「赤のアトリエ」同様「会話(La conversation)」も、背景を一色で塗りつぶしたものだ。当初は「赤のアトリエ」と同じく、赤で塗りつぶしていたものを、後に青で塗りなおしたという。暖色の赤と寒色の青では全く正反対の色相なので、塗り替えによる効果はドラスティックに変ったはずだ。マティスが何故、赤から青に塗り替えたか、作品のモチーフと並んで、いろいろな解釈がなされている。

m1101.studio.jpg

「ダンス」と「音楽」は、シチューキンには気に入ってもらえたが、美術批評家たちの反応はさんざんだった。批評の主なものは、構図も色彩も単純すぎる一方、単純さがもつ力強さにも欠け、非常に中途半端な、要するに子どもでも描けるものだというものだった。マティスは絵の中に、筋肉的な躍動感とか音楽的な要素を持ち込もうとしたが、本来視覚の芸術にそんな要素を持ち込むのは邪道だ、という批判もあった。

m1002.music.jpg

「ダンス」が気に入ったシチューキンは、続いて音楽をテーマにした同じようなサイズの絵を注文してきた。彼の三階建てのアトリエの、二階部分のメーンとして飾りたいという意向であった。マティスは二つ返事で請け負った。マティスにとってシチューキンは最大のお得意先だったので、大事にしたのだろう。

m902.dance.water.jpg

ロシア人の美術評論家で、マティスの得意先でもあったシチューキンが、1909年の3月頃、マティスに装飾用パネルの創作を依頼してきた。三階建ての彼のアトリエの一階ホールに飾りたいという趣旨だった。ダンスをテーマに描いて欲しいという。マティスは早速水彩画で習作を描き、それをシチューキンに見せたところ、シチューキンは大いに気に入った。そこでマティスは、油彩による本格的な作品をすばやく完成させた。

m0801.harmony.jpg

1908年の作品「赤い食卓(La desserte rouge)」は、マティスがフォーヴィズムを完全に脱却して、全く新しい境地に入ったことをうかがわせる作品だ。遠近法とか色彩の調和についての従来の常識を悉く覆したこの絵は、絵画という形式の芸術に新しい時代が幕を開けた、と人々に感じさせた。

m0701.lux.jpg
(豪奢Ⅰ 1907年、キャンバスに油彩、210×138cm、パリ、国立現代美術館)

1907年から翌年にかけて二点描かれた「豪奢(Luxe)」と題するシリーズは、マティスのフォーヴィズムからの脱却と飛躍を物語るものとして興味深い。まず1907年に描かれた「豪奢Ⅰ」は、まだフォーヴィズムの印象を色濃く残している。ところが翌年にそれを描きなおした「豪奢Ⅱ」には、フォーヴィズムの面影は殆どなく、マティスが新たな段階に踏み込んだことを如実に物語っている。

m0602.carpet.jpg

1905年から6年にかけて、マティスはフォーヴィズムのスタイルを確立したのだが、それと平行してセザンヌに大きな関心を寄せ、セザンヌにインスピレーションを受けた絵もいくつか描いた。1906年の作品「赤い絨毯(Les tapis rouges)」はその一つだ。

m0601.vivre.jpg

「生きる喜び(La joie de vivre)」は、マティスのフォーヴィズム時代の代表作だ。彼はこの作品を仕上げるために、セーヴル街の修道院跡を借りてアトリエにし、1906年のサロンドートンヌに出品した。すると前年のサロンに出品した「帽子をかぶった女」以上に強い反響を巻き起こした。その中には否定的なものも多かった。シニャックは、この絵を見て、ポインティリズムへの反逆だと非難した。それまでマティスはシニャックに師事してポインティリズムの研究に励み、有力な後継者としてシニャックから期待されていたのだった。それがわずかな期間をおいて、ポインティリズムとは反する傾向にマティスが走ったわけだから、シニャックの落胆も大きかったのである。

m0501.hat.jpg

マティスが画家として一躍脚光を浴びたきっかけは1905年の秋にパリで開かれた第二回目のサロン・ドートンヌ(秋のサロン)だった。このサロンは、春のサロンが伝統的な格式を誇っていたのに対して、始まったばかりということもあって、比較的自由な雰囲気に囲まれていた。そこにマティスは、従来の絵画の常識を覆すような奇想天外な作品をいくつか展示し、それがいろいろな意味で大きな評判となったのだった。「帽子をかぶった女(Femme au chapeau)」はその時に出品された絵の一つであり、もっとも大きな反響を呼び起こした。

m01.matisse.jpg

アンリ・マティス(Henri Matisse)は、ピカソと並んで20世紀を代表する画家で、この二人は20世紀の二大アーティストと言ってよい。20世紀は芸術の世紀と言われるほどで、なかでも絵画のようなヴィジュアル・アートが全盛を誇ったのだが、林立する高峰のなかでも、マティスとピカソは群を抜いて聳える双璧といってよかった。

ver3001.jpg

「ヴァージナルの前に座る女」は、「ヴァージナルの前に立つ女」とともに、フェルメール最晩年の作である。どちらも、ヴァージナルを前にしていること、二人とも全く同じ衣装を着ていることなどが共通している。ただし、ヴァージナルの位置が違う。一方は窓を背にしているのに対して、もう一方は窓の下に置かれている。この窓のある部屋は、「リュートを持つ女」と同じである。

Previous 6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16



最近のコメント

アーカイブ