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1883年、モネはオシュデの妻アリスとその子供たちとともにジヴェルニーに移り住んだ。ジヴェルニーはモネの最後に落ち着いた土地である。後年その土地に立派な家を建てたモネは、アリスと正式に結婚し、睡蓮の花を描きながら、幸福な晩年を送るようになる。

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モネは1881年にヴェトゥイユを去ってポワシーに移った。自分の息子たちのほか、アリス・オシュデとその娘たちを伴なって。モネとアリスは、もはや離れられない関係になっていたようだ。そのポワシーに滞在中、モネは家族を伴なってノルマンディーに創作旅行に出かけた。「崖の上の散歩(Le promenade sur la falaise, Pourville)」と題したこの絵は、その折のものだ。

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カミーユが死んだ後、モネは残された二人の子供とともにヴェトゥイユの家に住み続けたのだが、同じ家に同居していたオシュデの妻アリスと急速に親密になった。アリスは夫のエルネストが仕事でパリに滞在しても、モネの二人の息子の面倒を見ると言って、ヴェトゥイユの家に残った。この絵は、そんなモネの周辺を描いたものだ。

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1878年の冬、モネ一家はアルジャントュイユを引き払い、やはりセーヌ川沿いの街ヴェトゥイユに移り、そこでオシュデの家族とともに暮らした。オシュデは美術商で、妻のほかに6人の子どもがいた。その妻とモネは、カミーユの死後懇ろになるのである。そしてやがて二人は再婚することとなる。

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1878年1月、モネはアルジャントゥイユを去り、パリのエダンブール街に数か月仮住まいした。その間に革命記念日の喧騒に遭遇し、それを見た興奮を一点の作品に表現した。「モントルグイユ通り」と題したこの作品は、パリ革命の最初の記念日6月30日の町の喧騒を描いたものだ。

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1877年にモネは、サン・ラザール駅をモチーフにした一連の絵の制作に熱中した。このために彼は、駅付近のモンソー街にアトリエを借りたほどだ。そして描き上げた作品九点をその年に開かれた第三回目の印象派展に出展した。例によって文学者のエミール・ゾラが絶賛してくれた。これらの絵を、「大画面に繰り広げられた近代絵画である」と言って。

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アルジャントゥイユでモネが借りて住んだ家は、アパルトマン形式だったようだが、庭付きの洒落た住まいだった。この絵はその住まいを背景にして、息子のジャンを描いたものだ。この絵を見ると、モネの家族愛が伝わってくる。

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妻カミーユと息子のジャンをモデルにしたこの作品「散歩(La Promenade)」は、モネの前半生を飾る傑作といえる。モネはこの絵を、アルジャントゥイユの草原にイーゼルを立てながら、眼に入る光景を直接キャンバスに表現したのだったが、その光景は、刻々動く光と、ざわめく風とがうつろう壊れやすい眺めだった。その壊れやすい一瞬の眺めを、モネはキャンバスに定着させることで、そこに永遠へのつながりを見ようとしたのではなかったか。

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「ラ・ジャポネーズ(La Japonaise)」には日本人女性という意味もあるが、この絵の中の女性は日本人ではない。モネ自身が後に言っているように、最初の妻カミーユである。そのカミーユに日本風の衣装を着せて描いたわけである。ジャポネーズには日本風という意味合いもある。

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「読書する女(La liseuse)」とも、あるいは「春(Printemps)とも呼ばれるこの絵も、アルジャントゥイユでののどかな暮らしをテーマにしたものだ。草むらで腰かけて本を読んでいる女性は、妻のカミーユと思われる。彼女は大きな日よけ用の帽子をかぶり、ゆったりとした服を着て、熱心に本を読んでいる。

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この絵は。アルジャントゥイユの家におけるモネ家族の生活の一端を描いたものである。手前のほうの、庭の一角にはテーブルが添えられ、食事した様子が伺われる。その様子から見て食事が終わったばかりなのだろう。息子のジャンは満腹して、積み木のような遊びをしているし、背後の庭の片隅では、妻のカミーユらしい女性がもうひとりの女性と歩いている。おそらく食後の腹ごなしなのだろう。

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モネら印象派の仲間たちはキャプシーヌ大通りに面した写真家ナダールのアトリエの二階で第一回展覧会を開いたが、その際に出展したモネの絵の一枚がこれである。「キャプシーヌ大通り(La boulevard des Capicines)」と題されたこの絵は、展覧会場となった部屋からの眺めを描いたものだ。したがって訪問客は、自分が眼前に見ている眺めと同じ光景をこの絵に見たわけである。

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モネは1870年にカミーユと正式に結婚し、翌71年に妻子とアルジャントゥイユに移り住んだ。アルジャントゥイユはパリ北西のセーヌ川沿いの町である。ここでモネはセーヌの水辺や、近くの田園地帯を好んで描いた。この「アルジャントゥイユのひなげし(Les coquelicos a Argenteuil)」は、そうしたものの一点で、「印象」などとともに第一回目の印象派展に出展された。

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官展に落選しつづけた若い印象派の画家たちが、モネを調整役として結社をつくり、自分たちだけの作品を展示する展覧会を開いた。1874年4月のことである。その結社は、「画家、彫刻家、版画家などによる共同会社」というそっけない名前だったが、ピサロ、ルノワール、シスレー、ベルト・モリゾなどが参加していた。彼らはキャプシーヌ大通りにある写真家ナダールのスタジオを展覧会の会場とし、合わせて165点の作品を持ち寄った。モネも5点の絵を出品した。「印象、日の出(Impression, soleil levant)」と題するこの絵は、そのうち最も注目を集めたものである。

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1869年の秋、モネは友人のルノアールとカンバスを並べてラ・グルヌイエールと言われる行楽地の光景を描いた。この行楽地はパリの西、セーヌ川沿いの町ブージバルの近くにあり、パリから日帰りで行ける行楽地として人気があった。かのナポレオン三世も、妻とともに遊んだと言う。

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1868年の春、モネはパリの百キロ以上西のセーヌ川添いの町ボニエール・シュル・セーヌ近くのベンヌクールに滞在し、そこでセーヌの水辺の光景を描いた。「水辺、ベンヌクール(Au bord de l'eau, Bennecourt)」と題するこの絵がそれである。この絵を通じてモネは、水の表現に夢中になった。やがてモネは、水の表現を完璧のものにして、晩年の一連の睡蓮の絵を描くわけだ。

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「サン・タドレスのテラス(Terrace à Sainte-Adresse)」は、海辺の自然の中に人物を配したもので、自然と人物との調和をテーマにした一連の作品の一つである。この絵でモネは初めて海景を表現したが、海辺の日光はきわめて強烈なので、モネは光の効果を最大限表現することができた。

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「草上の昼食」を中断したモネは、同じようなテーマでもう一枚描くことを決意した。今度は、「草上の昼食」より小さなサイズで、戸外で完成させるように意図した。とはいっても、絵のサイズは2.5×2.0㎝もある。このカンバスの上部を描くためにモネは、地上に竪穴を掘ってそこにカンバスを埋め込んだのだった。そうすれば脚立を用意しなくとも描くことができる。

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モネは、1866年の官展のために用意してきた「草上の昼食」を未完成のまま放棄し、かわりに恋人カミーユを描いたこの絵に取り掛かった。等身大のこの巨大な肖像画「カミーユ(Camille ou femme à la robe verte)」を、モネはわずか四日間で完成させた。そして早速官展に出展したのだったが、結果は大成功だった。モネはこの絵によって、一躍時代の旗手として躍り出たのである。

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クロード・モネが、彼の画業の出発点ともいうべき「草上の昼食(Le déjeuner sur l'herbe)」を描いたのは、1865年、二十代半ばのことだった。彼はこの絵を、恋人のカミーユと友人のバジールとともに出かけたフォンテンブローの森で、彼らをモデルにした下絵を描いたうえで、それをパリのアトリエで完成させようとした。できたら翌年の官展に出展するつもりだった。しかし完成を途中であきらめてしまった。理由は定かではない。もし完成していたら、4.6×6.0メートルという途方もない大きさになるはずだった。しかし遺された未完成品は、その部分図が二点であった。

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