古典を読む

秋草を詠む(二):万葉集を読む

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なでしこは、秋の野原や川原にひっそりと咲く。その姿が可憐なことから、女性のイメージと結びつき、「やまとなでしこ」などという言葉が生まれた。万葉集にはなでしこを詠った歌が二十数首収められている。次はその一つ。
  秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも(464)
秋がきたらこれを見て私を思い出してくださいとあの子が植えてくれた撫子が、花を咲かせた、と言う趣旨。あの子にも見せたいものだ、という気持ちが伝わってくる。

秋草を詠む(一):万葉集を読む

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春の七草が七草粥とあるとおり食べるものだとすれば、秋の七草は花を愛でるものであった。その秋の七草を詠った歌がある。万葉集巻八に収められた山上憶良の短歌と旋頭歌である。まず短歌。
  秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種の花(1537)
解説はいらないだろう。秋の野に咲いている花を数えたら七種類あったというのだが、無論それは言葉の綾で、秋に咲く花は他にも沢山あるはずだ。

萩を詠む:万葉集を読む

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萩の花は、万葉人によって最も愛された花だ。万葉集の花の歌の中では、梅よりも多く、百四十首以上も詠まれている。古来日本人は、四季の中でも秋を最も愛したが、萩はその秋を象徴する花だ。漢字からして、秋を象徴している。万葉人にとって秋の草花と言えば萩をさしていた。だから、秋の花を集めた七草の筆頭にも置かれた。その萩を詠んだ歌は、巻八と巻十に集中している。

秋の歌:万葉集を読む

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四季の移り変わりに敏感な我々日本人にとって、もっとも気になる季節は、万葉の時代から秋だったようである。万葉集の歌というのは、何らかの形で季節を詠み込んだ歌が大部分を占めるのだが、一番多いのは秋を詠った歌なのである。その秋を、我々日本人は、まず風で感じた。今の時代でも、まだ暑い盛りの立秋の頃に、朝夕かそかに吹く風に秋の訪れを感じる人は多いと思う。その同じ感性は、すでに万葉時代の人にも共有されていた。というか、太古の日本人の感性を、現代に生きる我々も共有しているということだろう。

夏の草花:万葉集を読む

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夏の草花の代表といえば、あやめぐさ(菖蒲)とその仲間である杜若だろう。万葉集では、菖蒲は十二首(うち長歌七首)、杜若は七首収められている。初夏の花ということで、やはり初夏の花である卯の花同様、ほととぎすと一緒に歌われることが多い。次の歌はその一つ。
  霍公鳥いとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ(1955)
ほととぎすを厭うときなど無論ないが、特にあやめ草を鬘にする五月の節句には、是非ここに来て鳴き渡っておくれ、という趣旨。ほととぎすとあやめ草が端午の節句を通じて結びついているわけであろう。

卯の花を詠む:万葉集を読む

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卯の花は初夏に咲くことから、やはり初夏に咲く藤とともに季節を強く感じさせる。万葉集には、卯の花を詠んだ歌が二十四首あるが、その多くはほととぎすと一緒に歌われていて、この二つは万葉人の心の中で分かち難く結びついていたことが察せられる。卯の花もほととぎすも初夏を告げるものであるから、その二つを結びつけて歌うことで、季節感を最大限に演出する効果が高まるわけである。そんな初夏の季節感を詠んだ一首。
  霍公鳥来鳴き響もす卯の花の伴にや来しと問はましものを(1472)
ほととぎすがやってきて鳴き騒いでいるが、その声を聞くと、卯の花と一緒にやってきたのか、と聞いてみたくなる、という趣旨。初夏には卯の花とほととぎすが一緒にやって来るという想念があるからこそ、こういう歌が生まれるのであろう。

藤を詠む:万葉集を読む

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藤は初夏に花を咲かせるので、夏の季節感を強く感じさせる。その花は、大きな房となって密生し、非常にボリュームを感じさせる。そんなことから藤波と呼ばれることもある。万葉集には、藤を藤波と表現したものが結構ある。それも含めて藤を詠った歌が、万葉集には二十六首ばかりある。

花橘を詠む:万葉集を読む

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橘はミカン科の常緑樹で、日本に自生する唯一の柑橘類という。初夏に花を咲かせ、秋に実がなる。実の大きさはミカンよりひとまわり小さく、金柑をやや大きくした感じである。酸っぱすぎて、そのままでは食べられないので、つぶしてジャムのようにして食べる。もっとも橘の実を食べるという話は、和歌の世界では出てこないのではないか。

ほととぎすを詠む・万葉集を読む

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ほととぎすは初夏に渡ってくる渡り鳥であり、甲高い声で賑やかに鳴くこともあり、夏の季節を感じさせる鳥として親しまれた。鶯が春を代表する鳥だとすれば、ほととぎすは夏を代表する鳥である。万葉集にはそのほととぎすを詠んだ歌が、百五十首以上もある。いかに万葉人に親しまれたかがわかる数だ。

夏の歌:万葉集を読む

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万葉集中春の到来を喜ぶ歌は数多いが、夏の到来については、喜ぶは無論、あえて触れる歌も少ない。そんな中で次の一首が目を引く。
  春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山(28)
これは、藤原の宮に天の下知らしめす天皇の御製歌と詞書にあることから、持統天皇の歌である。趣旨は、春が過ぎて夏が来たようだ、白妙の衣を干している光景が天の香具山に見える、というもので、造営されたばかりの藤原宮から天の香具山を臨みながら詠ったものだと解釈されている。

霞と春雨:万葉集を読む

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春といえば霞というくらい、春霞は春を象徴する事象だ。万葉集にも春霞を詠った歌は多い。中でも、巻十春雑歌冒頭を飾る七首の歌々は、いずれも霞に春の訪れを感じ取ったものとして、非常に余韻に富んだものである。これらは柿本人麻呂歌集からとったと詞書にある。次はその七首の冒頭の歌。
  ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春たつらしも(1812)
天の香具山にはこの夕べに霞がたなびくのが見える、春がきたらしい、という趣旨の歌で、非常に伸びやかで柄の大きさを感じさせる歌である。このことから茂吉は、人麻呂本人の作かもしれないと言っている。

春の鳥を詠む:万葉集を読む

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日本は野鳥の豊かな国で、山に野に水辺に、季節ごとに様々な鳥の姿を見、その声を聞くことができる。特に渡り鳥は、それぞれに季節を感じさせるので、季節に敏感な日本人は、好んで渡り鳥を詠ってきた。そのことは万葉人も同じだ。というより季節に敏感な万葉人の感性を、我々現代に生きる人間も受け継いでいるということだろう。

春草を詠む:万葉集を読む

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春は植物が芽吹き、生命の更新を感じさせる季節だ。現代人の我々も、春になれば心の騒ぐのを感じるものだが、万葉人もまた同様だったようだ。春の訪れに生命の息吹を感じ、生きている喜びを詠った歌が多く収められている。とりわけ萌え出づる植物に、恋心の高まりを重ね合わせている次の歌などは、万葉人の純真な心を感じさせてほほえましい。
  冬こもり春の大野を焼く人は焼き足らねかも我が心焼く(1336)

柳を詠む:万葉集を読む

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柳は中国人がこよなく愛した木で、漢詩では繰り返し歌われてきた。それが日本にもたらされ、日本人も愛するようになった。日本に入ってきた柳は、しだれ柳で、そのしおたれた枝がなよなよと風に吹かれる眺めや、春先に芽を吹く可憐な姿が、日本人にも訴えたのだろうと思われる。

桜を詠む:万葉集を読む

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桜は日本に自生する木であるし、もともと日本人の感性に訴えるところがあったに違いない。さればこそ万葉集にも、梅ほどの数ではないが、桜を歌った歌が四十首も収められているのであろう。その桜の花は、梅が春の訪れを知らせる花とすれば、春の盛りを飾る花であった。梅花の宴の歌の中でも、桜は梅に続いて咲く花として意識されている。
  梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや(829)
薬師張子福子の歌。梅の花が散ってしまったら、そのあと引き続いて桜の花が咲くのでしょうな、と歌っている。目の前には梅の花が散る光景が広がっているのだろう。桜はまだ咲いていないが、梅が散れば桜が咲くのもそう遠いことではない。桜が咲けば、それこそ春の盛りだ、とうきうきしたような気分を感じさせる歌である。

梅を詠む:万葉集を読む

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梢に高く咲く花のうちで万葉の人々がもっとも愛したのは梅だったようだ。というのも、万葉集には梅を歌った歌が百二十首も載せられており、これは花を歌った歌としては萩についで多い。桜を歌った歌は四十首ばかりだから、それと比べても、いかに梅が愛されていたか推測される。何故万葉の人がかくも梅を愛したか。民俗史的な関心を引くところだが、考えられるのは、梅が春の訪れを真っ先に知らせる花だということ、そして梅の花から漂い来る香が、万葉の人々に訴えたのだろうということだ。日本人は古代から、香に敏感な民族だ。

春の歌:万葉集を読む

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万葉集巻八の冒頭は、春の雑歌として「志貴皇子の懽びの歌」として次の歌を載せている。
  石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(1418)
志貴皇子については、このサイトの別の部分で言及したので詳しくはふれない。天智天皇の皇子で、天武系の血脈がとだえたあと、志貴皇子の子つまり天智天皇の孫(光仁天皇)が即位し、それ以降天智系が皇統を継ぐようになった。

四季の歌:万葉集を読む

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万葉集巻八は、春雑歌、春相聞という具合に、春夏秋冬の季節ごとに雑歌と相聞歌とに分けて配列されている。この季節ごとの分類は巻十にも採用されている。両者の違いは、巻八が作者のわかっている歌を制作年代順に並べているのに対して、巻十のほうは、作者未詳のものを、テーマ別に並べていることだ。そのテーマというのは、春雑歌の場合には、鳥を詠む、霞を詠む、という具合に季節の景物に即したものであり、春相聞歌のほうは、鳥に寄する、霞に寄する、という具合に、季節の風物にことよせて恋を詠ったものである。

芭蕉と西行

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西行が出家後初めての陸奥への旅について、能因法師を強く意識していたように、それから五百年後に芭蕉が行った陸奥への旅について、芭蕉が西行を強く意識していたことはよく言われることである。芭蕉がこの旅をした元禄二年(1689)が、西行の五百年忌にあたっていたことからも、そのことは伺える。もっとも、「奥の細道」の中には、直接西行に言及した記事は殆ど無い。西行と同じ道を芭蕉も又たどったことから、芭蕉が西行を強く意識していたことを推測するのみである。ただ一つ、西行の歌を引用した箇所がある。それは加賀と越前との境にある汐越の松を舟で尋ねたときのことで、その歌は
  終夜嵐に波をはこばせて月をたれたる汐越の松
という歌だが、これは芭蕉の間違いで、西行ではなく蓮如の作だと言う。

明恵と慈円:西行を読む

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西行は、自分の手では歌論らしきものを残していないが、彼と触れ合いのあった人々が、その一端に触れているものはある。たとえば、伊勢神社の神官で、西行の歌の弟子となった荒木田満良が蓮阿という名で紹介しているものなどである。ここでは、西行の晩年の歌境に触れているものとして、明恵と慈円を紹介しよう。

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