古典を読む

 あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉見過しがたく、濱千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不盡の高嶺の煙、浮嶋がはら、清見が関、大磯小いその浦々、むらさき艶ふ武藏野の原、塩竃の和<なぎ>たる朝げしき、象潟の蜑が笘や、佐野の舟梁、木曾の棧橋、心のとゞまらぬわたぞなきに、猶西の國の哥枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭がちる難波を經て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行々讚岐の眞尾坂<みをざか>の林といふにしばらく杖を植<とゞ>む。草枕はるけき旅路の勞にもあらで、觀念修行の便せし庵なりけり。

灌頂の巻最終章は、後白河法皇が去った後、改めて平家一門の滅亡が思いやられると確認した上で、建礼門院の最後について語る。その最後は、女院が一本の糸で阿弥陀如来像の手とつながり、西のほうを向きながら念仏を唱えるうちに、静かに息を引き取ったというものだった。時に「西に紫雲たなびき、異香室にみち、音楽空にきこゆ」とあるのは、女院が成仏できたことを語っているのであろう。

後白河法皇と対面した建礼門院は、自分の生涯を振り返り、それを六道の転変に喩えた。それに対して法王は、唐の三蔵法師や日本の日蔵法師が、いずれも成仏に先立って六道を見たという言い伝えを引き出して、あなたも六道を見たからにはきっと成仏できますよと暗にほのめかす。

灌頂の巻は、平家物語の後日談として、清盛の娘であり安徳天皇の生母であった建礼門院の最後について語る。この部分の平家物語における位置づけについては、さまざまな見方があるが、文体などからして、もとは独立の語り物であったものが、後に平家物語本体に加えられたと考えられなくもない。和文主体の嫋嫋たる文体で、建礼門院の最後の日々について語っている。その内容は、女院の出家から大原の寂光院への入御、寂光院への後白河法皇の訪問、法王を前にして女院が自分の生涯を六道の転変として振り返ることなどからなり、最後は女院の極楽往生=女人成仏で締めくくっている。

平家物語の本文は、平家の嫡流六代の死を以て終わる。六代の死は平家の完全な滅亡を意味し、それを語ることは、平家物語を締めくくるに相応しいと言えよう。その象徴的な場面に登場するのが文覚上人である。文覚は、巻第六で登場し、頼朝の命を救う為に大活躍した後、高雄の神護寺に引きこもって、当面は舞台から消え去っていたのであるが、平家の嫡男六代が、頼朝の命によって殺されそうだと聞き、その命乞いのために一肌脱ぐのである。平家を滅亡させた頼朝の命を救ったその文覚が、今度は平家の嫡男の命を救う為に尽力するという構図は、平家物語に奥行きをもたらしているといえる。

土佐坊が義経に殺されたことを知った頼朝は、弟の範頼に命じて義経を討たそうとするが、範頼はなにかと言いつくろって言うことを聞かない。そこで怒った頼朝は範頼を殺してしまう。一方身の危険を感じた義経は、京都を出て九州へ避難しようと思う。そこで九州の豪族たちが義経の意向に従うよう、法皇に院宣を書いてもらう。法皇や公卿たちは、とにかく災いのもとである義経を都からいなくなって欲しい一年で、義経の願いを入れて院宣を与えてしまうのである。

義経の力を恐れた頼朝は、義経殺害を決意する。義経のいる京都に大軍を派遣して、力で追討しようとも考えたが、それでは宇治・瀬田の橋がはずされ、京都が大混乱に陥るだろうから、自分の評判を悪くすると思って躊躇した。そこで刺客を京都に派遣して、義経を暗殺させようと企む。刺客に選ばれたのは、僧兵上がりの土佐坊昌俊であった。頼朝は昌俊に向かって、物詣をすると見せかけ、折りを見て義経を殺せと命令する。

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(平家物語絵巻から 腰越)

義経は、平家の総大将重衡を、生け捕りにしたまま鎌倉に運んだが、重衡を頼朝側に引き渡した後、自分自身は鎌倉入りを許されず、腰越に退却する。この思いがけない仕打ちに義経はどう対応していいかわからず、とりあえず頼朝宛の書状を書いて、それを頼朝の腹心大江広元に託した。腰越状と飛ばれる訴状である。その中で義経は、自分がいかに源氏再興のために働いたかを強調、そんな自分を梶原景時の讒言を信じて兄頼朝が遠ざけるのは道理に合わないといって、頼朝に諄々と訴えるのである。

安徳天皇が、祖母と共に入水した後、母の建礼門院も海に飛び込んだが、源氏方の侍に熊手で髪を引っ掛けられ、船に引き上げられてしまう。その後、教盛・経盛兄弟、資盛・有盛兄弟など平家一門の人々が、手に手をとって次々と海中に身を投じて死んだ。宗盛・清宗父子は、死に切れずにためらっていたところを、家臣によって海に突き落とされた。それでも彼らは、泳ぎの心得もあったりして、なかなか死なないでいる。そこを源氏方によって船に引き上げられ、生け捕りにされてしまう。

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(平家物語から 先帝御入水)

壇の浦の戦いは、当初は平家が圧倒的に優勢だった。だがやがて、空から白旗が舞い降りてきたり,海豚の大群が不思議な行動をしたりして、源氏の勝利が予言されると、それをきっかけにするように、源氏が攻勢に転じた。その様子に促されて、阿波重能が裏切ったのをはじめとして、四国、九州の武将も次々と源氏方に寝返った。

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(平家物語絵巻から 壇ノ浦合戦)

平家物語のクライマックスは、壇ノ浦での源平決戦と、敗れた平家の象徴である安徳天皇が入水する場面である。屋島で平家に勝った源氏は、逃げる平家を追って壇の浦まで攻めてくる。その様子を見た熊野や安房の豪族が、次々と源氏に味方する。熊野の別当などは、源平どちらにつくべきか、鶏あわせをして占い、その結果源氏の旗色の鶏が勝ったので、源氏に味方する決心をつけた。こうして源氏の軍は膨れ上がり、船団の規模も平家をしのぐほどになる。

那須与一の美技に興奮した平家の老兵が船の上で浮かれて踊り出す。与一はこれをも射殺する。すると怒った平家の兵が五人陸に上がって源氏に襲い掛かる。先頭は平家切っての剛のものたる悪七兵衛景清だ。景清は源氏方の三保谷十郎を馬から引き落として散々に痛めつける。たまらぬ三保谷は味方の影へと逃げ回る。あまりいいところがない平家の侍のなかで景清だけは例外で、勇猛な武将として描かれている。

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(平家物語絵巻から 那須与一)

「那須与一」の章は、平家物語の中でもっとも演劇的な場面だ。海を挟んで対面した源平両軍の兵士たちの目の前で、船の上で扇をかざした若い女房と、これもまた若い関東武者が向かい合い、女房のかざした扇に向かって若武者が矢を射ると、それが見事に命中する。その様子を見守っていた源平両軍の人々は、互いに敵であることを忘れて拍手喝采する。戦場というよりは、野外劇場で行われるパフォーマンスを見るような具合だ。

船で四国に上陸した義経は、土地の豪族を味方にして、七・八十騎で屋島を急襲した。平家のほうは、源氏が大軍で押し寄せてきたと勘違いし、海上に逃れたが、敵が少数と知ると、能登守教経が先頭になって、反撃に転じた。戦いの火蓋は、双方の舌戦で落とされた。平家方は義経を、孤児だとか金商人の従者だとか言って罵ったが、源氏側の放った矢が平家の武将を倒すと舌戦は終わり、戦闘が始まった。

平家物語巻第十一「逆櫓」の章は、屋島の平家軍に義経が奇襲をかけるところを語る。この奇襲をめぐって、義経と梶原景時との間に論争が起こり、それがもとになって景時が義経を深く怨むようになり、やがて義経の野望を頼朝に讒言して、義経を破滅させることへとつながっていく。

平惟盛は、平家の嫡流として一門を代表すべき立場だったが、戦は苦手で戦場には立たなかった。一の谷で平家が大敗したことを聞くと、屋島を脱出して、三人の従者(重景、石童丸、武里)とともに高野山へ向かった。高野山には、かつての家臣で今は僧形となった滝口入道がいた。入道の導きで高野山に参拝し、出家をすると、入道を伴って熊野へ向かった。

平重衡は生け捕りにされたが、それは彼の命と引き換えに三種の神器をとりもどそうという配慮からだった。後白河法皇はその旨を記した院宣を平家の一門に届けさせるが、一門では会議を開いた結果申し出を拒絶することとした。

平知盛は生田の森の大将軍として、平家軍の正面を守り、最後まで踏みとどまっていたが、やがて味方は四散、息子の知章、侍の監物頼方と、合せて三騎だけになってしまった。そこで、平家の助け舟を求めて汀のほうへ向かったが、そこへ追っ手の集団が背後から迫ってきた。

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(平家物語絵巻から 敦盛最期)

忠度の最後と並んでひとしお哀れさを催させるのが敦盛の最後である。まだ数え年十七歳の敦盛が、海上を馬に乗って味方の船に向かう途中に、熊谷直実に呼びかけられて岸へと引き返し、直実によって首を掻き切られる。切ったほうの直実は、深い無常観に打たれて出家し、敦盛の菩提を弔うことに自分の半生を捧げたという話だが、これが日本人の心の琴線に触れたと見え、平家物語の中でも最も愛されるところとなった。能(敦盛、生田敦盛)や幸若舞(敦盛)に取り上げられたほか、浄瑠璃や歌舞伎(一谷嫩軍記)にもなった

一の谷の戦いでは、平家一門の多くが死んだり生け捕りにされたりした。その中で、死に様がとりわけ人々の涙を誘ったものとして、平家物語はいくつかの挿話を挟んでいる。「忠度最期」もその一つである。

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