古典を読む

秋の虫:西行を読む

| コメント(0)
秋風と並んで秋の到来を感じさせるものに秋の虫がある。蝉の声がだんだん弱まってついに聞こえなくなる頃、それに代わって虫の声が聞こえ出す。それが秋の風の吹き始める頃にあたるので、あたかも秋風に乗って秋虫の声が聞こえてきたかの感じを抱かせる。

秋の歌:西行を読む

| コメント(0)
山家集の四季部の歌の中でも秋の部の歌は最も多く二百三十七首を数える。古今集も同じであって、四季の部あわせて三百四十二首のうち秋の歌が百四十五首をしめる。その古今集の秋の部の冒頭は、藤原敏行の有名な歌である。
  秋きぬとめにはさやかにみえねども風のをとにぞおどろかれぬる(古169)

五月雨:西行を読む

| コメント(0)
山家集の夏の部は、ほととぎすについで五月雨を歌った歌が多い。この部だけを対象にざっと数えただけで二十四首ある。五月雨は夏のうっとうしさを代表するようなものなので、かららずしも情緒豊かなものではないが、捉え方によっては歌にもなると、少なくとも西行は考えたのであろう。

ほととぎす:西行を読む

| コメント(0)
古今集の夏の部の歌は九割方ほととぎすを歌った歌が占めている。これは、ほととぎすが夏を代表するものとして人々に受け入れられていたことをあらわすと言えないでもないが、逆に、夏にはほととぎすくらいしか思い浮かばない、つまり夏にはあまり風情を感じない、ということを物語るとも受け取れる。

夏の歌:西行を読む

| コメント(0)
四季のうちでも夏は、長雨や耐え難い暑気のためにとかく敬遠され、歌に歌われることも少なかった。古今集では、秋の歌二百三十七首、春の歌百七十三首に対して夏の歌は八十首で、もっとも数が少ない。山家集でも、夏の歌は三十四首で、冬の歌の二十九首とともに数が少ない。日本人はやはり、春と秋を愛し、その時期に多くの歌を読んできたのである。

梅:西行を読む

| コメント(0)
梅の花は万葉集でも萩の花と並んでもっとも多く歌われた花である。万葉集でただ花とあれば、それは梅の花をさすほどに人気のある花だった。ところが中世以降になると、花といえば桜をさすようになり、梅は花の王座を桜に譲る。これは日本人の美意識が変化した結果だと受け取るべきなのか。興味深いことではある。

西行桜:西行を読む

| コメント(0)
世阿弥の能の傑作に「西行桜」がある。西行の次の歌、
  花見にとむれつつ人の来るのみぞあたらさくらの咎にはありける(山87)
この歌をモチーフにして変則の複式夢幻能に仕立てたものだ。変則というのは、普通複式夢幻能ではシテが前後両段に姿を変えて現れるのに、この能ではシテは桜の樹精となって後段にしか現れないからである。ともあれこの作品に世阿弥は大分自信があったようで、「後の世かかる能書くものやあるまじき」(申楽談義)と語っているほどだ。

浄土と桜:西行を読む

| コメント(1)
  願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃(山77)
これは西行の歌の中でもっとも有名なものの一つだ。生涯桜を愛した西行が、生涯の終わりにも桜を眺めながら死んでゆきたい、と歌ったものだと解釈されるのが普通で、西行の純粋な美意識がこもったものだと受け取られてきた。この歌に、単なる美意識を超えて、西行の浄土信仰が込められていると解釈したのは吉本隆明である(西行論)。

落花:西行を読む

| コメント(0)
桜は咲くとすぐに散ってしまうものであるから、桜の花の散るさまを歌った歌は多い。万葉集から次の二首をあげてみよう。
  阿保山の桜の花は今日もかも散り乱るらん見る人なしに(1867)
  春雨はいたくなふりそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも(1870)
一首目は、阿保山の桜が見る人もなく散ってしまうのは惜しい、という気持を歌ったものであり、二首目は、桜が見る人もなく散るのは惜しいからあまり強く降らないでくれと春雨に呼びかけている。どちらも桜の花が人知れず散ってしまうのが惜しいという感情を歌ったもので、歌としては非常に素直なものだ。

吉野の桜:西行を読む

| コメント(0)
桜といえば真っ先に吉野の名が出るほどに、吉野は桜の名所として知られる。吉野に桜が植えられたのは平安時代からだというので、西行の時代にはその最初のブームが訪れたものと思われる。その吉野の桜を西行はこよなく愛し、夥しい数の歌を読んでは、その感慨を吐露している。感慨の内容は、桜の視覚的な美しさを歌ったものよりも、それが見るものの心に訴えるものを表現したというものが多い。

花の歌:西行を読む

| コメント(0)
花と言えば桜、というほどに、日本人にとって桜は特別な花である。だが神代の昔からそうだったかと言えば、必ずしもそうとは言えないようである。万葉集には多くの花が歌われているが、そのうち最も多いのは秋に咲く萩で百四十二首、その次は梅で百十九首が歌われている。これに対して桜は四十六首である。数が少ないだけではない、万葉集で単に花と言えば、梅をさすのが殆どである。ということは、万葉の時代までは、梅が最も日本人に愛された花であり、桜はそうでもなかったということになる。

春の歌:西行を読む

| コメント(0)
西行自選の歌集「山家集」の構成は、春以下四季それぞれの部に始まり、恋の部、雑の部と続く。これは基本的には古今集の構成に従ったもので、古今集で賀、離別、羇旅、物名、哀傷、雑とあるものを雑の部としてまとめたものである。歌を四季以下こういう分類基準で構成するのはいわゆる八大集をはじめすべての勅撰和歌集に共通したものであり、歌というものについての日本人の向き合い方が反映されているといってよい。西行もまた、日本人のそうした姿勢に従ったということであろう。

貧福論(四):雨月物語

| コメント(0)
 左内いよいよ興に乘じて、靈の議論きはめて炒なり、舊しき疑念も今夜に消じつくしぬ。試みにふたゝび問はん。今豊臣の戚風四海を靡し、五畿七道漸しづかなるに似たれども、亡國の義士彼此に潜み竄れ、或は大國の主に身を托せて世の変をうかゞひ、かねて志を遂げんと策る。民も又戰國の民なれば、耒を釈てて矛に易え、農事をことゝせず、士たるもの枕を高くして眠るべからず。今の躰にては長く不朽の政にもあらじ。誰か一統して民をやすきに居しめんや。又誰にか合し給はんや。

貧福論(三):雨月物語

| コメント(0)
 翁いふ。君が問ひ玉ふは徃古より論じ尽さゞることわりなり。かの佛の御法を聞けば、富と貧しきは前生の脩否<よきあしき>によるとや。此はあらましなる教へぞかし。前生にありしときおのれをよく脩め、慈悲の心專らに、他人にもなさけふかく接はりし人の、その善報によりて、今此生に富貴の家にうまれきたり、おのがたからをたのみて他人にいきほひをふるひ、あらぬ狂言をいひのゝじり、あさましき夷こゝろをも見するは、前生の善心かくまでなりくだる事はいかなるむくひのなせるにや。佛菩薩は名聞利要を嫌み給ふとこそ聞つる物を、など貧福の事に係づらひ給ふべき。

貧福論(二):雨月物語

| コメント(0)
 恒の産なきは恒の心なし。百姓は勤めて穀<たなつもの>を出し、工匠等修めてこれを助け、商賈務めて此を通はし、おのれおのれが産を治め家を富まして、祖を祭り子孫を謀る外、人たるもの何をか爲ん。諺にもいへり。千金の子は市に死せず。富貴の人は王者とたのしみを同じうすとなん。まことに渕深ければ魚よくあそび、山長ければ獸よくそだつは天の隨なることわりなり。

貧福論(一):雨月物語

| コメント(0)
 陸奧の國蒲生氏郷の家に、岡左内といふ武士あり。祿おもく、譽たかく、丈夫の名を關の東に震ふ。此の士いと偏固なる事あり。富貴をねがふ心常の武扁にひとしからず。儉約を宗として家の掟をせしほどに、年を疊みて富昌<さか>へけり。かつ軍を調練<たなら>す間には、茶味翫香を娯しまず。廳上<ひとま>なる所に許多の金を布き班べて、心を和さむる事、世の人の月花にあそぶに勝れり。人みな左内が行跡をあやしみて、吝嗇野情の人なりとて、爪はぢきをして惡みけり。

青頭巾(四):雨月物語

| コメント(0)
 一とせ速くたちて、むかふ年の冬十月の初旬、快庵大徳、奧路のかへるさに又こゝを過ぎ給ふが、かの一宿のあるじが莊に立ちよりて、僧が消息を尋ね玉ふ。莊主よろこび迎へて、御僧の大徳によりて鬼ふたゝび山をくだらねば、人皆淨土にうまれ出でたるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて、一人としてのぼるものなし。さるから消息をしり侍らねど、など今まで活きては侍らじ。今夜の御泊りにかの菩提をとふらひ給へ。誰も隨縁したてまつらんといふ。

青頭巾(三):雨月物語

| コメント(0)
 山院人とゞまらねば、樓門は荊棘おひかゝり、經閣もむなしく苔蒸しぬ。蜘網をむすびて諸佛を繋ぎ、燕子の糞護摩の牀をうづみ、方丈廊房すべて物すざましく荒れはてぬ。日の影申にかたふく比、快庵禪師寺に入りて錫を鳴らし給ひ、遍參の僧今夜ばかりの宿をかし給へと、あまたたび叫どもさらに應へなし。眠藏より痩槁たる僧の漸々とあゆみ出で、咳たる聲して、御僧は何地へ通るとてこゝに來るや、此の寺はさる由縁ありてかく荒れはて、人も住まぬ野らとなりしかば、一粒の齋糧もなく、一宿をかすべきはかりこともなし、はやく里に出でよといふ。

青頭巾(二):雨月物語

| コメント(0)
 快庵この物がたりを聞せ給ふて、世には不可思議の事もあるものかな、凡そ人とうまれて、佛菩薩の教の廣大なるをもしらず、愚なるまゝ、慳<かだま>しきまゝに世を終るものは、其の愛慾邪念の業障に攬れて、或は故の形をあらはして恚を報ひ、或は鬼となり蟒<みづち>となりて祟りをなすためし、徃古より今にいたるまで算ふるに尽しがたし。又人活きながらにして鬼に化するもあり。楚王の宮人は蛇となり、王含が母は夜刄となり、呉生が妻は蛾となる。又いにしへある僧卑しき家に旅寢せしに、其の夜雨風はげしく、燈さへなきわびしさにいも寢られぬを、夜ふけて羊の鳴くこゑの聞えけるが、頃刻<しばらく>して僧のねふりをうかゞひてしきりに嗅ぐものあり。僧異しと見て、枕におきたる禪杖をもてつよく撃ちければ、大きに叫んでそこにたをる。この音に主の嫗なるもの燈を照し來るに見れば、若き女の打たをれてぞありける。嫗泣々命を乞ふ。いかゞせん。捨てて其の家を出でしが、其のち又たよりにつきて其の里を過ぎしに、田中に人多く集ひてものを見る。僧も立ちよりて何なるぞと尋ねしに、里人いふ、鬼に化したる女を捉へて、今土にうづむなりとかたりしとなり。

青頭巾(一):雨月物語

| コメント(0)
 むかし快菴禪師といふ大徳の聖おはしましけり。総角より教外の旨をあきらめ給ひて、常に身を雲水にまかせたまふ。美濃の國の龍泰寺に一夏を滿たしめ、此の秋は奧羽のかたに住ふとて、旅立ち玉ふ。ゆきゆきて下野の國に入り玉ふ。

Previous 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ