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菊花の約(二):雨月物語

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 故出雲の國松江の郷に生長<ひとゝなり>て、赤穴宗右衞門といふ者なるが、わづかに兵書の旨を察<あきらめ>しによりて、冨田の城主塩冶掃部介、吾を師として物斈<まな>び玉ひしに、近江の佐々木氏綱に密の使にえらばれて、かの舘にとゞまるうち、前の城主尼子經久、山中黨をかたらひて大三十日の夜不慮に城を乘とりしかば、掃部殿も討死ありしなり。もとより雲州は佐々木の持國にて、塩冶は守護代なれば、三沢三刀屋を助けて、經久を亡ぼし玉へとすゝむれども、氏綱は外勇にして内怯たる愚將なれば果さず。かへりて吾を國に逗む。故なき所に永く居らじと、己が身ひとつを竊みて國に還る路に、此疾にかゝりて、思ひがけずも師を勞しむるは、身にあまりたる御恩にこそ。吾半世の命をもて必づ報ひたてまつらん。

菊花の約(一):雨月物語

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 青々たる春の柳、家園に種ゆることなかれ。交りは輕薄の人と結ぶことなかれ。楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。輕薄の人は交りやすくして亦速やかなり。楊柳いくたび春に染むれども、輕薄の人は絶えて訪ふ日なし。

白峰四:雨月物語を読む

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 時に峯谷ゆすり動きて、風叢林を僵<たを>すがごとく、沙石を空に卷上る。見る見る一段の陰火、君が膝の下より燃上りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につらつら御氣色を見たてまつるに、朱をそゝぎたる龍顔に、荊<おどろ>の髪膝にかゝるまで乱れ、白眼を吊りあげ。熱き嘘<いき>をくるしげにつがせ玉ふ。御衣は柿色のいたうすゝびたるに、手足の爪は獣のごとく生ひのびて、さながら魔王の形あさましくもおそろし。空にむかひて相模々々と叫せ給ふ。あと答へて、鳶のごとくの化鳥翔け來り、前に伏して詔をまつ。

白峰(三):雨月物語を読む

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 院、長嘘<ながいき>をつがせ玉ひ、今事を正して罪をとふ、ことわりなきにあらず。されどいかにせん。この嶋に謫れて、高遠が松山の家に困められ、日に三たびの御膳すゝむるよりは、まいりつかふる者もなし。只天とぶ鴈の小夜の枕におとづるゝを聞けば、都にや行くらんとなつかしく、曉の千鳥の洲畸にさわぐも、心をくだく種となる。烏の頭は白くなるとも、都には還るべき期もあらねば、定めて海畔の鬼とならんずらん。ひたすら後世のためにとて、五部の大乘經をうつしてけるが、貝鐘の音も聞えぬ荒磯にとどめんもかなし。せめては筆の跡ばかりを洛の中に入れさせ玉へと、仁和寺の御室の許へ、經にそへてよみておくりける
  濱千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音をのみぞ鳴く
しかるに少納言信西がはからひとして、若咒咀<もしじゆそ>の心にやと奏しけるより、そがまゝにかへされしぞうらみなれ。

白峰(二):雨月物語を読む

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 新院呵々と笑はせ給ひ、汝しらず、近來の世の乱は朕がなす事なり。生きてありし日より魔道にこゝろざしをかたふけて、平治の乱を發さしめ、死して猶朝家に祟りをなす。見よ見よやがて天が下に大乱を生ぜしめんといふ。西行此詔に涙をとどめて、こは淺ましき御こゝろばへをうけ玉はるものかな。君はもとよりも聡明の聞えましませば、王道のことわりはあきらめさせ玉ふ。こゝろみに討ね請すべし。そも保元の御謀叛は天の神の教へ玉ふことわりにも違はじとておぼし立せ玉ふか。又みづからの人慾より計策り玉ふか。詳に告せ玉へと奏す。

白峰(一):雨月物語を読む

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 あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉見過しがたく、濱千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不盡の高嶺の煙、浮嶋がはら、清見が関、大磯小いその浦々、むらさき艶ふ武藏野の原、塩竃の和<なぎ>たる朝げしき、象潟の蜑が笘や、佐野の舟梁、木曾の棧橋、心のとゞまらぬわたぞなきに、猶西の國の哥枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭がちる難波を經て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行々讚岐の眞尾坂<みをざか>の林といふにしばらく杖を植<とゞ>む。草枕はるけき旅路の勞にもあらで、觀念修行の便せし庵なりけり。

女院死去:平家物語灌頂の巻

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灌頂の巻最終章は、後白河法皇が去った後、改めて平家一門の滅亡が思いやられると確認した上で、建礼門院の最後について語る。その最後は、女院が一本の糸で阿弥陀如来像の手とつながり、西のほうを向きながら念仏を唱えるうちに、静かに息を引き取ったというものだった。時に「西に紫雲たなびき、異香室にみち、音楽空にきこゆ」とあるのは、女院が成仏できたことを語っているのであろう。

六道之沙汰:平家物語灌頂の巻

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後白河法皇と対面した建礼門院は、自分の生涯を振り返り、それを六道の転変に喩えた。それに対して法王は、唐の三蔵法師や日本の日蔵法師が、いずれも成仏に先立って六道を見たという言い伝えを引き出して、あなたも六道を見たからにはきっと成仏できますよと暗にほのめかす。

大原御幸:平家物語灌頂の巻

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灌頂の巻は、平家物語の後日談として、清盛の娘であり安徳天皇の生母であった建礼門院の最後について語る。この部分の平家物語における位置づけについては、さまざまな見方があるが、文体などからして、もとは独立の語り物であったものが、後に平家物語本体に加えられたと考えられなくもない。和文主体の嫋嫋たる文体で、建礼門院の最後の日々について語っている。その内容は、女院の出家から大原の寂光院への入御、寂光院への後白河法皇の訪問、法王を前にして女院が自分の生涯を六道の転変として振り返ることなどからなり、最後は女院の極楽往生=女人成仏で締めくくっている。

六代:平家物語巻第十二

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平家物語の本文は、平家の嫡流六代の死を以て終わる。六代の死は平家の完全な滅亡を意味し、それを語ることは、平家物語を締めくくるに相応しいと言えよう。その象徴的な場面に登場するのが文覚上人である。文覚は、巻第六で登場し、頼朝の命を救う為に大活躍した後、高雄の神護寺に引きこもって、当面は舞台から消え去っていたのであるが、平家の嫡男六代が、頼朝の命によって殺されそうだと聞き、その命乞いのために一肌脱ぐのである。平家を滅亡させた頼朝の命を救ったその文覚が、今度は平家の嫡男の命を救う為に尽力するという構図は、平家物語に奥行きをもたらしているといえる。

判官都落:平家物語巻第十二

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土佐坊が義経に殺されたことを知った頼朝は、弟の範頼に命じて義経を討たそうとするが、範頼はなにかと言いつくろって言うことを聞かない。そこで怒った頼朝は範頼を殺してしまう。一方身の危険を感じた義経は、京都を出て九州へ避難しようと思う。そこで九州の豪族たちが義経の意向に従うよう、法皇に院宣を書いてもらう。法皇や公卿たちは、とにかく災いのもとである義経を都からいなくなって欲しい一年で、義経の願いを入れて院宣を与えてしまうのである。

土佐房:平家物語巻第十二

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義経の力を恐れた頼朝は、義経殺害を決意する。義経のいる京都に大軍を派遣して、力で追討しようとも考えたが、それでは宇治・瀬田の橋がはずされ、京都が大混乱に陥るだろうから、自分の評判を悪くすると思って躊躇した。そこで刺客を京都に派遣して、義経を暗殺させようと企む。刺客に選ばれたのは、僧兵上がりの土佐坊昌俊であった。頼朝は昌俊に向かって、物詣をすると見せかけ、折りを見て義経を殺せと命令する。

腰越:平家物語巻十一

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(平家物語絵巻から 腰越)

義経は、平家の総大将重衡を、生け捕りにしたまま鎌倉に運んだが、重衡を頼朝側に引き渡した後、自分自身は鎌倉入りを許されず、腰越に退却する。この思いがけない仕打ちに義経はどう対応していいかわからず、とりあえず頼朝宛の書状を書いて、それを頼朝の腹心大江広元に託した。腰越状と飛ばれる訴状である。その中で義経は、自分がいかに源氏再興のために働いたかを強調、そんな自分を梶原景時の讒言を信じて兄頼朝が遠ざけるのは道理に合わないといって、頼朝に諄々と訴えるのである。

能登殿最期:平家物語巻第十一

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安徳天皇が、祖母と共に入水した後、母の建礼門院も海に飛び込んだが、源氏方の侍に熊手で髪を引っ掛けられ、船に引き上げられてしまう。その後、教盛・経盛兄弟、資盛・有盛兄弟など平家一門の人々が、手に手をとって次々と海中に身を投じて死んだ。宗盛・清宗父子は、死に切れずにためらっていたところを、家臣によって海に突き落とされた。それでも彼らは、泳ぎの心得もあったりして、なかなか死なないでいる。そこを源氏方によって船に引き上げられ、生け捕りにされてしまう。

先帝身投:平家物語巻第十一

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(平家物語から 先帝御入水)

壇の浦の戦いは、当初は平家が圧倒的に優勢だった。だがやがて、空から白旗が舞い降りてきたり,海豚の大群が不思議な行動をしたりして、源氏の勝利が予言されると、それをきっかけにするように、源氏が攻勢に転じた。その様子に促されて、阿波重能が裏切ったのをはじめとして、四国、九州の武将も次々と源氏方に寝返った。

鶏合壇浦合戦:平家物語巻第十一

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(平家物語絵巻から 壇ノ浦合戦)

平家物語のクライマックスは、壇ノ浦での源平決戦と、敗れた平家の象徴である安徳天皇が入水する場面である。屋島で平家に勝った源氏は、逃げる平家を追って壇の浦まで攻めてくる。その様子を見た熊野や安房の豪族が、次々と源氏に味方する。熊野の別当などは、源平どちらにつくべきか、鶏あわせをして占い、その結果源氏の旗色の鶏が勝ったので、源氏に味方する決心をつけた。こうして源氏の軍は膨れ上がり、船団の規模も平家をしのぐほどになる。

弓流:平家物語巻第十一

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那須与一の美技に興奮した平家の老兵が船の上で浮かれて踊り出す。与一はこれをも射殺する。すると怒った平家の兵が五人陸に上がって源氏に襲い掛かる。先頭は平家切っての剛のものたる悪七兵衛景清だ。景清は源氏方の三保谷十郎を馬から引き落として散々に痛めつける。たまらぬ三保谷は味方の影へと逃げ回る。あまりいいところがない平家の侍のなかで景清だけは例外で、勇猛な武将として描かれている。

那須与一:平家物語巻第十一

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(平家物語絵巻から 那須与一)

「那須与一」の章は、平家物語の中でもっとも演劇的な場面だ。海を挟んで対面した源平両軍の兵士たちの目の前で、船の上で扇をかざした若い女房と、これもまた若い関東武者が向かい合い、女房のかざした扇に向かって若武者が矢を射ると、それが見事に命中する。その様子を見守っていた源平両軍の人々は、互いに敵であることを忘れて拍手喝采する。戦場というよりは、野外劇場で行われるパフォーマンスを見るような具合だ。

嗣信最期:平家物語巻第十一

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船で四国に上陸した義経は、土地の豪族を味方にして、七・八十騎で屋島を急襲した。平家のほうは、源氏が大軍で押し寄せてきたと勘違いし、海上に逃れたが、敵が少数と知ると、能登守教経が先頭になって、反撃に転じた。戦いの火蓋は、双方の舌戦で落とされた。平家方は義経を、孤児だとか金商人の従者だとか言って罵ったが、源氏側の放った矢が平家の武将を倒すと舌戦は終わり、戦闘が始まった。

逆櫓:平家物語巻十一

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平家物語巻第十一「逆櫓」の章は、屋島の平家軍に義経が奇襲をかけるところを語る。この奇襲をめぐって、義経と梶原景時との間に論争が起こり、それがもとになって景時が義経を深く怨むようになり、やがて義経の野望を頼朝に讒言して、義経を破滅させることへとつながっていく。

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