古典を読む

夢応の鯉魚(一):雨月物語

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 むかし延長の頃、三井寺に興義といふ僧ありけり。繪に巧なるをもて名を世にゆるされけり。嘗に画く所、佛像山水花鳥を事とせず。寺務の間ある日は湖に小船をうかべて、網引釣する泉郎に錢を与へ、獲たる魚をもとの江に放ちて、其魚の遊躍を見ては画きけるほどに、年を經て細妙にいたりけり。或ときは繪に心を凝して眠をさそへば、ゆめの裏に江に入て、大小の魚とともに遊ぶ。覺れば即見つるまゝを画きて壁に貼し、みづから呼て夢應の鯉魚と名付けり。其繪の妙なるを感でて乞ひ要むるもの前後をあらそへば、只花鳥山水は乞にまかせてあたへ、鯉魚の繪はあながちに惜みて、人毎に戲れていふ。生を殺し鮮を喰ふ凡俗の人に、法師の養ふ魚必しも与へずとなん。其の繪と俳諧とゝもに天下に聞えけり。

浅茅が宿(五):雨月物語

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 勝四郎、翁が高齡をことぶきて、次に京に行きて心ならずも逗まりしより、前夜のあやしきまでを詳にかたりて、翁が塚を築きて祭り玉ふ恩のかたじけなきを告げつゝも涙とゞめがたし。翁いふ。吾主遠くゆき玉ひて後は、夏の比より干戈を揮ひ出て、里人は所々に遁れ、弱き者どもは軍民に召さるゝほどに、桑田にはかに狐兎の叢となる。只烈婦のみ主が秋を約ひ玉ふを守りて、家を出で玉はず。翁も又足蹇ぎて百歩を難しとすれば、深く閉じこもりて出でず。一旦樹神などいふおそろしき鬼の栖所となりたりしを、幼き女子の矢武におはするぞ。老が物見たる中のあはれなりし。秋去り春來りて、其の年の八月十日といふに死に玉ふ。惆しさのあまりに、老が手づから土を運びて柩を藏め、其の終焉に殘し玉ひし筆の跡を塚のしるしとして、みづむけの祭りも心ばかりにものしけるが、翁もとより筆とる事をしもしらねば、其の月日を紀す事もえせず。寺院遠ければ贈号を求むる方もなくて、五とせを過し侍るなり。今の物がたりを聞くに、必づ烈婦の魂の來り給ひて、舊しき恨みを聞え玉ふなるべし。復びかしこに行きて念比にとふらひ給へとて、杖を曳きて前に立ち、相ともに塚のまへに俯して聲を放ちて歎きつゝも、其の夜はそこに念佛して明かしける。

浅茅が宿(四):雨月物語

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 窓の紙松風を啜りて夜もすがら凉しきに、途の長手に勞れうまく寢ねたり。五更の天明けゆく比、現なき心にもすゞろに寒かりければ、衾かづかんとさぐる手に、何物にや籟々<さやさや>と音するに目さめぬ。面にひやひやと物のこぼるゝを、雨や漏りぬるかと見れば、屋根は風にまくられてあれば、有明月のしらみて殘りたるも見ゆ。家は扉もあるやなし。簀垣朽ち頽れたる間より、荻薄高く生ひ出て、朝露うちこぼるゝに、袖濕ぢてしぼるばかりなり。壁には蔦葛延ひかゝり、庭は葎に埋れて、秋ならねども野らなる宿なりけり。

浅茅が宿(三):雨月物語

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 此の時、日ははや西に沈みて、雨雲はおちかゝるばかりに闇けれど、舊しく住みなれし里なれば迷ふべうもあらじと、夏野わけ行くに、いにしへの繼橋も川瀬におちたれば、げに駒の足音もせぬに、田畑は荒たきまゝにすさみて、舊の道もわからず、ありつる人居もなし。たまたまこゝかしこに殘る家に人の住むとは見ゆるもあれど、昔には似つゝもあらね。いづれか我が住みし家ぞと立ち惑ふに、こゝ二十歩ばかりを去りて、雷に摧かれし松の聳えて立てるが、雲間の星のひかりに見えたるを、げに我が軒の標こそ見えつると、先づ喜しきこゝちしてあゆむに、家は故にかはらであり。人も住むと見えて、古戸の間より燈火の影もれて輝々とするに、他人や住む、もし其の人や在すかと心躁しく、門に立ちよりて咳すれば、内にも速く聞とりて、誰そと咎む。いたうねびたれど正しく妻の聲なるを聞きて、夢かと胸のみさわがれて、我こそ歸りまゐりたり。かはらで獨自淺茅が原に住みつることの不思議さよといふを、聞きしりたればやがて戸を明るに、いといたう黒く垢づきて、眼はおち入りたるやうに、結げたる髪も脊にかゝりて、故の人とも思はれず。夫を見て物をもいはで潸然となく。

浅茅が宿(二):雨月物語

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 年あらたまりぬれども猶をさまらず、あまさへ去年の秋、京家の下知として、美渡の國郡上の主、東の下野守常縁に御旗を給びて、下野の領所にくだり、氏族千葉の実胤とはかりて責むるにより、御所方も固く守りて拒ぎ戰ひけるほどに、いつ果つべきとも見えず。野伏等はこゝかしこに寨をかまへ、火を放ちて財を奪ふ。八州すべて安き所もなく、淺ましき世の費なりけり。

浅茅が宿(一):雨月物語

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 下総の國葛錺都眞間の郷に、勝四郎といふ男ありけり。祖父より舊しくこゝに住み、田畠あまた主づきて家豊かに暮しけるが、生長りて物にかゝはらぬ性より、農作をうたてき物に厭ひけるまゝに、はた家貧しくなりにけり。さるほどに親族おほくにも疎じられけるを、朽をしきことに思ひしみて、いかにもして家を興しなんものをと左右にはかりける。其の比雀部の曾次といふ人、足利染の絹を交易するために、年々京よりくだりけるが、此郷に氏族のありけるを屡來訪らひしかば、かねてより親しかりけるまゝに、商人となりて京にまうのぼらんことを頼みしに、雀部いとやすく肯がひて、いつの比はまかるべしと聞えける。他がたのもしきをよろこびて、殘る田をも販りつくして金に代へ、絹素あまた買積みて、京にゆく日をもよほしける。

菊花の約(五):雨月物語

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 明くる日、左門母を拝していふ。吾幼なきより身を翰墨に托するといへども、國に忠義の聞えなく、家に孝信をつくすことあたはず。徒に天地のあひだに生るゝのみ。兄長赤穴は一生を信義の爲に終る。小弟けふより出雲に下り、せめては骨を藏めて信を全うせん。公尊體を保ち給ふて、しばらくの暇を玉ふべし。老母云ふ。吾兒かしこに去るとも、はやく歸りて老が心を休めよ。永く逗まりてけふを舊しき日となすことなかれ。左門いふ。生は浮きたる泡のごとく、旦にゆふべに定めがたくとも、やがて歸りまいるべしとて、泪を振ふて家を出づ。佐用氏にゆきて老母の介抱を苦<ねんごろ>にあつらへ、出雲の國にまかる路に、飢ゑて食を思はず、寒きに衣をわすれて、まどろめば夢にも哭きあかしつゝ、十日を経て冨田の大城にいたりぬ。

菊花の約(四):雨月物語

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 左門いふ。井臼の力はもてなすに足らざれども、己が心なり。いやしみ玉ふことなかれ。赤穴猶答へもせで、長嘘をつぎつゝ、しばししていふ。賢弟が信ある饗應をなどいなむべきことわりやあらん。欺くに詞なければ、実をもて告ぐるなり。必ずしもあやしみ給ひそ。吾は陽世<うつせみ>の人にあらず。きたなき靈のかりに形を見えつるなり。

菊花の約(三):雨月物語

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 あら玉の月日はやく經ゆきて、下技の茱萸色づき、垣根の野ら菊艶<にほ>ひやかに、九月にもなりぬ。九日はいつよりも蚤<はや>く起出て、草の屋の席をはらひ、黄菊しら菊二枝三枝小瓶に挿し、嚢をかたふけて酒飯の設けをす。老母云ふ。かの八雲たつ國は山陰の果にありて、こゝには百里を隔つると聞けば、けふとも定めがたきに、其の來しを見ても物すとも遲からじ。左門云ふ。赤穴は信ある武士なれば必ず約を誤らじ。其人を見てあはたゝしからんは思はんことの恥かしとて、美酒を沽ひ鮮魚を宰て厨に備ふ。

菊花の約(二):雨月物語

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 故出雲の國松江の郷に生長<ひとゝなり>て、赤穴宗右衞門といふ者なるが、わづかに兵書の旨を察<あきらめ>しによりて、冨田の城主塩冶掃部介、吾を師として物斈<まな>び玉ひしに、近江の佐々木氏綱に密の使にえらばれて、かの舘にとゞまるうち、前の城主尼子經久、山中黨をかたらひて大三十日の夜不慮に城を乘とりしかば、掃部殿も討死ありしなり。もとより雲州は佐々木の持國にて、塩冶は守護代なれば、三沢三刀屋を助けて、經久を亡ぼし玉へとすゝむれども、氏綱は外勇にして内怯たる愚將なれば果さず。かへりて吾を國に逗む。故なき所に永く居らじと、己が身ひとつを竊みて國に還る路に、此疾にかゝりて、思ひがけずも師を勞しむるは、身にあまりたる御恩にこそ。吾半世の命をもて必づ報ひたてまつらん。

菊花の約(一):雨月物語

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 青々たる春の柳、家園に種ゆることなかれ。交りは輕薄の人と結ぶことなかれ。楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。輕薄の人は交りやすくして亦速やかなり。楊柳いくたび春に染むれども、輕薄の人は絶えて訪ふ日なし。

白峰四:雨月物語を読む

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 時に峯谷ゆすり動きて、風叢林を僵<たを>すがごとく、沙石を空に卷上る。見る見る一段の陰火、君が膝の下より燃上りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につらつら御氣色を見たてまつるに、朱をそゝぎたる龍顔に、荊<おどろ>の髪膝にかゝるまで乱れ、白眼を吊りあげ。熱き嘘<いき>をくるしげにつがせ玉ふ。御衣は柿色のいたうすゝびたるに、手足の爪は獣のごとく生ひのびて、さながら魔王の形あさましくもおそろし。空にむかひて相模々々と叫せ給ふ。あと答へて、鳶のごとくの化鳥翔け來り、前に伏して詔をまつ。

白峰(三):雨月物語を読む

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 院、長嘘<ながいき>をつがせ玉ひ、今事を正して罪をとふ、ことわりなきにあらず。されどいかにせん。この嶋に謫れて、高遠が松山の家に困められ、日に三たびの御膳すゝむるよりは、まいりつかふる者もなし。只天とぶ鴈の小夜の枕におとづるゝを聞けば、都にや行くらんとなつかしく、曉の千鳥の洲畸にさわぐも、心をくだく種となる。烏の頭は白くなるとも、都には還るべき期もあらねば、定めて海畔の鬼とならんずらん。ひたすら後世のためにとて、五部の大乘經をうつしてけるが、貝鐘の音も聞えぬ荒磯にとどめんもかなし。せめては筆の跡ばかりを洛の中に入れさせ玉へと、仁和寺の御室の許へ、經にそへてよみておくりける
  濱千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音をのみぞ鳴く
しかるに少納言信西がはからひとして、若咒咀<もしじゆそ>の心にやと奏しけるより、そがまゝにかへされしぞうらみなれ。

白峰(二):雨月物語を読む

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 新院呵々と笑はせ給ひ、汝しらず、近來の世の乱は朕がなす事なり。生きてありし日より魔道にこゝろざしをかたふけて、平治の乱を發さしめ、死して猶朝家に祟りをなす。見よ見よやがて天が下に大乱を生ぜしめんといふ。西行此詔に涙をとどめて、こは淺ましき御こゝろばへをうけ玉はるものかな。君はもとよりも聡明の聞えましませば、王道のことわりはあきらめさせ玉ふ。こゝろみに討ね請すべし。そも保元の御謀叛は天の神の教へ玉ふことわりにも違はじとておぼし立せ玉ふか。又みづからの人慾より計策り玉ふか。詳に告せ玉へと奏す。

白峰(一):雨月物語を読む

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 あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉見過しがたく、濱千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不盡の高嶺の煙、浮嶋がはら、清見が関、大磯小いその浦々、むらさき艶ふ武藏野の原、塩竃の和<なぎ>たる朝げしき、象潟の蜑が笘や、佐野の舟梁、木曾の棧橋、心のとゞまらぬわたぞなきに、猶西の國の哥枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭がちる難波を經て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行々讚岐の眞尾坂<みをざか>の林といふにしばらく杖を植<とゞ>む。草枕はるけき旅路の勞にもあらで、觀念修行の便せし庵なりけり。

女院死去:平家物語灌頂の巻

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灌頂の巻最終章は、後白河法皇が去った後、改めて平家一門の滅亡が思いやられると確認した上で、建礼門院の最後について語る。その最後は、女院が一本の糸で阿弥陀如来像の手とつながり、西のほうを向きながら念仏を唱えるうちに、静かに息を引き取ったというものだった。時に「西に紫雲たなびき、異香室にみち、音楽空にきこゆ」とあるのは、女院が成仏できたことを語っているのであろう。

六道之沙汰:平家物語灌頂の巻

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後白河法皇と対面した建礼門院は、自分の生涯を振り返り、それを六道の転変に喩えた。それに対して法王は、唐の三蔵法師や日本の日蔵法師が、いずれも成仏に先立って六道を見たという言い伝えを引き出して、あなたも六道を見たからにはきっと成仏できますよと暗にほのめかす。

大原御幸:平家物語灌頂の巻

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灌頂の巻は、平家物語の後日談として、清盛の娘であり安徳天皇の生母であった建礼門院の最後について語る。この部分の平家物語における位置づけについては、さまざまな見方があるが、文体などからして、もとは独立の語り物であったものが、後に平家物語本体に加えられたと考えられなくもない。和文主体の嫋嫋たる文体で、建礼門院の最後の日々について語っている。その内容は、女院の出家から大原の寂光院への入御、寂光院への後白河法皇の訪問、法王を前にして女院が自分の生涯を六道の転変として振り返ることなどからなり、最後は女院の極楽往生=女人成仏で締めくくっている。

六代:平家物語巻第十二

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平家物語の本文は、平家の嫡流六代の死を以て終わる。六代の死は平家の完全な滅亡を意味し、それを語ることは、平家物語を締めくくるに相応しいと言えよう。その象徴的な場面に登場するのが文覚上人である。文覚は、巻第六で登場し、頼朝の命を救う為に大活躍した後、高雄の神護寺に引きこもって、当面は舞台から消え去っていたのであるが、平家の嫡男六代が、頼朝の命によって殺されそうだと聞き、その命乞いのために一肌脱ぐのである。平家を滅亡させた頼朝の命を救ったその文覚が、今度は平家の嫡男の命を救う為に尽力するという構図は、平家物語に奥行きをもたらしているといえる。

判官都落:平家物語巻第十二

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土佐坊が義経に殺されたことを知った頼朝は、弟の範頼に命じて義経を討たそうとするが、範頼はなにかと言いつくろって言うことを聞かない。そこで怒った頼朝は範頼を殺してしまう。一方身の危険を感じた義経は、京都を出て九州へ避難しようと思う。そこで九州の豪族たちが義経の意向に従うよう、法皇に院宣を書いてもらう。法皇や公卿たちは、とにかく災いのもとである義経を都からいなくなって欲しい一年で、義経の願いを入れて院宣を与えてしまうのである。

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