古典を読む

 御堂のうしろの方に仏法々々と啼く音ちかく聞ゆるに、貴人杯をあげ玉ひて、例の鳥絶えて鳴かざりしに、今夜の酒宴に榮あるぞ、紹巴いかにと課せ玉ふ。法師かしこまりて、某が短句公にも御耳すゝびましまさん。こゝに旅人の通夜しけるが、今の世の俳諧風をまうして侍る。公にはめづらしくおはさんに召して聞かせ玉へといふ。それ召せと課せらるゝに、若きさむらひ夢然が方へむかひ、召し玉ふぞ、ちかうまゐれと云ふ。夢現ともわかで、おそろしさのまゝに御まのあたりへはひ出づる。法師夢然にむかひ、前によみつる詞を公に申し上げよといふ。夢然恐る恐る、何をか申しつる更に覺え侍らず。只赦し給はれと云ふ。法師かさねて、秘密の山とは申さゞるや。殿下の問はせ玉ふ。いそぎ申し上げよといふ。夢然いよいよ恐れて、殿下と課せ出され侍るは誰にてわたらせ玉ひ、かゝる深山に夜宴をもよほし給ふや。更にいぶかしき事に侍るといふ。

 貴人又曰はく。絶て紹巴が説話を聞かず、召せとの給ふに、呼びつぐやうなりしが、我跪くまりし背の方より、大なる法師の、面うちひらめきて、目鼻あざやかなる人の、僧衣かいつくろひて座の未にまゐれり。貴人古語かれこれ問ひ弁へ給ふに、詳に答へたてまつるを、いといと感でさせ玉ふて、他に録とらせよとの給ふ。一人の武士かの法師に問ひていふ。此の山は大徳の啓き玉ふて、土石草木も靈なきはあらずと聞く。さるに玉川の流には毒あり。人飮む時は斃るが故に、大師のよませ玉ふ哥とて
   わすれても汲みやしつらん旅人の高野の奧の玉川の水
といふことを聞き傳へたり。大徳のさすがに、此の毒ある流をば、など涸せては果し給はぬや。いぶかしき事を足下にはいかに弁へ玉ふ。

 御廟のうしろの林にと覺えて、仏法々々となく鳥の音山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然目さむる心ちして、あなめづらし、あの啼く鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此山に栖みつるとは聞しかど、まさに其の音を聞きしといふ人もなきに、こよひのやどりまことに滅罪生善の祥なるや。かの鳥は清淨の地をえらみてすめるよしなり。上野の國迦葉山、下野の國二荒山、山城の醍醐の峯、河内の杵長山。就中此の山にすむ事、大師の詩偈ありて世の人よくしれり
  寒林獨坐草堂曉  
  三寶之聲聞一鳥  
  一鳥有聲人有心  
  性心雲水倶了々  
又ふるき歌に
  松の尾の峯静かなる曙にあふざて聞けば佛法僧啼く

 うらやすの國ひさしく、民作業をたのしむあまりに、春は花の下に息らひ、秋は錦の林を尋ね、しらぬ火の筑紫路もしらではと械まくらする人の、冨士筑波の嶺々を心にしむるぞそゞろなるかな。

 急にも飢ゑて食ほしげなるに、彼此にあさり得ずして狂ひゆくほどに、忽ち文四が釣を垂るにあふ。其の餌はなはだ香し。心又河伯の戒を守りて思ふ。我は佛の御弟子なり。しばし食を求め得ずとも、なぞもあさましく魚の餌を飮むべきとてそこを去る。しばしありて飢ますます甚しければ、かさねて思ふに、今は堪へがたし。たとへ此の餌を飮むとも嗚呼に捕れんやは。もとより他は相識るものなれば、何のはゞかりかあらんとて遂に餌をのむ。

 我此の頃病にくるしみて堪がたきあまり、其の死したるをもしらず、あつきこゝちすこしさまさんものをと、杖に扶けられて門を出れば、病もやゝ忘れたるやうにて篭の鳥の雲井にかへるこゝちす。山となく里となく行々て、又江の畔に出づ。湖水の碧なるを見るより、現つなき心に浴て遊びなんとて、そこに衣を脱ぎ去て、身を跳らして深きに飛び入りつも、彼此に游びめぐるに、幼より水に狎れたるにもあらぬが、慾ふにまかせて戲れけり。今思へば愚なる夢ごゝろなりし。

 むかし延長の頃、三井寺に興義といふ僧ありけり。繪に巧なるをもて名を世にゆるされけり。嘗に画く所、佛像山水花鳥を事とせず。寺務の間ある日は湖に小船をうかべて、網引釣する泉郎に錢を与へ、獲たる魚をもとの江に放ちて、其魚の遊躍を見ては画きけるほどに、年を經て細妙にいたりけり。或ときは繪に心を凝して眠をさそへば、ゆめの裏に江に入て、大小の魚とともに遊ぶ。覺れば即見つるまゝを画きて壁に貼し、みづから呼て夢應の鯉魚と名付けり。其繪の妙なるを感でて乞ひ要むるもの前後をあらそへば、只花鳥山水は乞にまかせてあたへ、鯉魚の繪はあながちに惜みて、人毎に戲れていふ。生を殺し鮮を喰ふ凡俗の人に、法師の養ふ魚必しも与へずとなん。其の繪と俳諧とゝもに天下に聞えけり。

 勝四郎、翁が高齡をことぶきて、次に京に行きて心ならずも逗まりしより、前夜のあやしきまでを詳にかたりて、翁が塚を築きて祭り玉ふ恩のかたじけなきを告げつゝも涙とゞめがたし。翁いふ。吾主遠くゆき玉ひて後は、夏の比より干戈を揮ひ出て、里人は所々に遁れ、弱き者どもは軍民に召さるゝほどに、桑田にはかに狐兎の叢となる。只烈婦のみ主が秋を約ひ玉ふを守りて、家を出で玉はず。翁も又足蹇ぎて百歩を難しとすれば、深く閉じこもりて出でず。一旦樹神などいふおそろしき鬼の栖所となりたりしを、幼き女子の矢武におはするぞ。老が物見たる中のあはれなりし。秋去り春來りて、其の年の八月十日といふに死に玉ふ。惆しさのあまりに、老が手づから土を運びて柩を藏め、其の終焉に殘し玉ひし筆の跡を塚のしるしとして、みづむけの祭りも心ばかりにものしけるが、翁もとより筆とる事をしもしらねば、其の月日を紀す事もえせず。寺院遠ければ贈号を求むる方もなくて、五とせを過し侍るなり。今の物がたりを聞くに、必づ烈婦の魂の來り給ひて、舊しき恨みを聞え玉ふなるべし。復びかしこに行きて念比にとふらひ給へとて、杖を曳きて前に立ち、相ともに塚のまへに俯して聲を放ちて歎きつゝも、其の夜はそこに念佛して明かしける。

 窓の紙松風を啜りて夜もすがら凉しきに、途の長手に勞れうまく寢ねたり。五更の天明けゆく比、現なき心にもすゞろに寒かりければ、衾かづかんとさぐる手に、何物にや籟々<さやさや>と音するに目さめぬ。面にひやひやと物のこぼるゝを、雨や漏りぬるかと見れば、屋根は風にまくられてあれば、有明月のしらみて殘りたるも見ゆ。家は扉もあるやなし。簀垣朽ち頽れたる間より、荻薄高く生ひ出て、朝露うちこぼるゝに、袖濕ぢてしぼるばかりなり。壁には蔦葛延ひかゝり、庭は葎に埋れて、秋ならねども野らなる宿なりけり。

 此の時、日ははや西に沈みて、雨雲はおちかゝるばかりに闇けれど、舊しく住みなれし里なれば迷ふべうもあらじと、夏野わけ行くに、いにしへの繼橋も川瀬におちたれば、げに駒の足音もせぬに、田畑は荒たきまゝにすさみて、舊の道もわからず、ありつる人居もなし。たまたまこゝかしこに殘る家に人の住むとは見ゆるもあれど、昔には似つゝもあらね。いづれか我が住みし家ぞと立ち惑ふに、こゝ二十歩ばかりを去りて、雷に摧かれし松の聳えて立てるが、雲間の星のひかりに見えたるを、げに我が軒の標こそ見えつると、先づ喜しきこゝちしてあゆむに、家は故にかはらであり。人も住むと見えて、古戸の間より燈火の影もれて輝々とするに、他人や住む、もし其の人や在すかと心躁しく、門に立ちよりて咳すれば、内にも速く聞とりて、誰そと咎む。いたうねびたれど正しく妻の聲なるを聞きて、夢かと胸のみさわがれて、我こそ歸りまゐりたり。かはらで獨自淺茅が原に住みつることの不思議さよといふを、聞きしりたればやがて戸を明るに、いといたう黒く垢づきて、眼はおち入りたるやうに、結げたる髪も脊にかゝりて、故の人とも思はれず。夫を見て物をもいはで潸然となく。

 年あらたまりぬれども猶をさまらず、あまさへ去年の秋、京家の下知として、美渡の國郡上の主、東の下野守常縁に御旗を給びて、下野の領所にくだり、氏族千葉の実胤とはかりて責むるにより、御所方も固く守りて拒ぎ戰ひけるほどに、いつ果つべきとも見えず。野伏等はこゝかしこに寨をかまへ、火を放ちて財を奪ふ。八州すべて安き所もなく、淺ましき世の費なりけり。

 下総の國葛錺都眞間の郷に、勝四郎といふ男ありけり。祖父より舊しくこゝに住み、田畠あまた主づきて家豊かに暮しけるが、生長りて物にかゝはらぬ性より、農作をうたてき物に厭ひけるまゝに、はた家貧しくなりにけり。さるほどに親族おほくにも疎じられけるを、朽をしきことに思ひしみて、いかにもして家を興しなんものをと左右にはかりける。其の比雀部の曾次といふ人、足利染の絹を交易するために、年々京よりくだりけるが、此郷に氏族のありけるを屡來訪らひしかば、かねてより親しかりけるまゝに、商人となりて京にまうのぼらんことを頼みしに、雀部いとやすく肯がひて、いつの比はまかるべしと聞えける。他がたのもしきをよろこびて、殘る田をも販りつくして金に代へ、絹素あまた買積みて、京にゆく日をもよほしける。

 明くる日、左門母を拝していふ。吾幼なきより身を翰墨に托するといへども、國に忠義の聞えなく、家に孝信をつくすことあたはず。徒に天地のあひだに生るゝのみ。兄長赤穴は一生を信義の爲に終る。小弟けふより出雲に下り、せめては骨を藏めて信を全うせん。公尊體を保ち給ふて、しばらくの暇を玉ふべし。老母云ふ。吾兒かしこに去るとも、はやく歸りて老が心を休めよ。永く逗まりてけふを舊しき日となすことなかれ。左門いふ。生は浮きたる泡のごとく、旦にゆふべに定めがたくとも、やがて歸りまいるべしとて、泪を振ふて家を出づ。佐用氏にゆきて老母の介抱を苦<ねんごろ>にあつらへ、出雲の國にまかる路に、飢ゑて食を思はず、寒きに衣をわすれて、まどろめば夢にも哭きあかしつゝ、十日を経て冨田の大城にいたりぬ。

 左門いふ。井臼の力はもてなすに足らざれども、己が心なり。いやしみ玉ふことなかれ。赤穴猶答へもせで、長嘘をつぎつゝ、しばししていふ。賢弟が信ある饗應をなどいなむべきことわりやあらん。欺くに詞なければ、実をもて告ぐるなり。必ずしもあやしみ給ひそ。吾は陽世<うつせみ>の人にあらず。きたなき靈のかりに形を見えつるなり。

 あら玉の月日はやく經ゆきて、下技の茱萸色づき、垣根の野ら菊艶<にほ>ひやかに、九月にもなりぬ。九日はいつよりも蚤<はや>く起出て、草の屋の席をはらひ、黄菊しら菊二枝三枝小瓶に挿し、嚢をかたふけて酒飯の設けをす。老母云ふ。かの八雲たつ國は山陰の果にありて、こゝには百里を隔つると聞けば、けふとも定めがたきに、其の來しを見ても物すとも遲からじ。左門云ふ。赤穴は信ある武士なれば必ず約を誤らじ。其人を見てあはたゝしからんは思はんことの恥かしとて、美酒を沽ひ鮮魚を宰て厨に備ふ。

 故出雲の國松江の郷に生長<ひとゝなり>て、赤穴宗右衞門といふ者なるが、わづかに兵書の旨を察<あきらめ>しによりて、冨田の城主塩冶掃部介、吾を師として物斈<まな>び玉ひしに、近江の佐々木氏綱に密の使にえらばれて、かの舘にとゞまるうち、前の城主尼子經久、山中黨をかたらひて大三十日の夜不慮に城を乘とりしかば、掃部殿も討死ありしなり。もとより雲州は佐々木の持國にて、塩冶は守護代なれば、三沢三刀屋を助けて、經久を亡ぼし玉へとすゝむれども、氏綱は外勇にして内怯たる愚將なれば果さず。かへりて吾を國に逗む。故なき所に永く居らじと、己が身ひとつを竊みて國に還る路に、此疾にかゝりて、思ひがけずも師を勞しむるは、身にあまりたる御恩にこそ。吾半世の命をもて必づ報ひたてまつらん。

 青々たる春の柳、家園に種ゆることなかれ。交りは輕薄の人と結ぶことなかれ。楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。輕薄の人は交りやすくして亦速やかなり。楊柳いくたび春に染むれども、輕薄の人は絶えて訪ふ日なし。

 時に峯谷ゆすり動きて、風叢林を僵<たを>すがごとく、沙石を空に卷上る。見る見る一段の陰火、君が膝の下より燃上りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につらつら御氣色を見たてまつるに、朱をそゝぎたる龍顔に、荊<おどろ>の髪膝にかゝるまで乱れ、白眼を吊りあげ。熱き嘘<いき>をくるしげにつがせ玉ふ。御衣は柿色のいたうすゝびたるに、手足の爪は獣のごとく生ひのびて、さながら魔王の形あさましくもおそろし。空にむかひて相模々々と叫せ給ふ。あと答へて、鳶のごとくの化鳥翔け來り、前に伏して詔をまつ。

 院、長嘘<ながいき>をつがせ玉ひ、今事を正して罪をとふ、ことわりなきにあらず。されどいかにせん。この嶋に謫れて、高遠が松山の家に困められ、日に三たびの御膳すゝむるよりは、まいりつかふる者もなし。只天とぶ鴈の小夜の枕におとづるゝを聞けば、都にや行くらんとなつかしく、曉の千鳥の洲畸にさわぐも、心をくだく種となる。烏の頭は白くなるとも、都には還るべき期もあらねば、定めて海畔の鬼とならんずらん。ひたすら後世のためにとて、五部の大乘經をうつしてけるが、貝鐘の音も聞えぬ荒磯にとどめんもかなし。せめては筆の跡ばかりを洛の中に入れさせ玉へと、仁和寺の御室の許へ、經にそへてよみておくりける
  濱千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音をのみぞ鳴く
しかるに少納言信西がはからひとして、若咒咀<もしじゆそ>の心にやと奏しけるより、そがまゝにかへされしぞうらみなれ。

 新院呵々と笑はせ給ひ、汝しらず、近來の世の乱は朕がなす事なり。生きてありし日より魔道にこゝろざしをかたふけて、平治の乱を發さしめ、死して猶朝家に祟りをなす。見よ見よやがて天が下に大乱を生ぜしめんといふ。西行此詔に涙をとどめて、こは淺ましき御こゝろばへをうけ玉はるものかな。君はもとよりも聡明の聞えましませば、王道のことわりはあきらめさせ玉ふ。こゝろみに討ね請すべし。そも保元の御謀叛は天の神の教へ玉ふことわりにも違はじとておぼし立せ玉ふか。又みづからの人慾より計策り玉ふか。詳に告せ玉へと奏す。

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