日本文学覚書

一人称と性的言語:痴人の愛

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谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」のすごさというか迫力の源泉は、その独自の言語空間ともいうべきものに由来している。谷崎はこの小説において、語り方としては一人称形式を用い、語られる内容には性的言語を多用した。そこから、主人公の主観的な意識を通じて展開されるお話の世界が、それでなくとも融通無碍な性格を帯びがちなところに、性的言語が氾濫することによって、非日常的で祝祭的な雰囲気さえ帯びるようになる。谷崎は、彼独自の言語空間をうまく活用することで、この小説の表現しようと意図するところの倒錯的な世界を、じめじめした陰鬱なものとしてではなく、明るく祝祭的なものとして描き出しているのである。

痴人の愛

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谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」を、筆者が初めて読んだのは高校生の時だったこと、その時には何とも嫌な気分になって、それがきっかけで、谷崎作品に先入見のようなものを感じるようになった次第については、先稿で書いたとおりである。この小説の何が、思春期の筆者をして拒絶反応を引き起こさせたのか。老人となった今、この小説を読み返して、改めて考えてみた。

野口富士男「我が荷風」

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永井荷風といえば、いまでは「断腸亭日常」や「日和下駄」などを通じて、日記作者あるいは東京散策の案内者といったイメージが強いが、かつては偉大な小説家として、日本文学史に屹立する大作家だった。そんな荷風の小説家としての業績を、その生涯の足跡と照らし合わせながら読み解いたものに、野口富士男の「我が荷風」がある。これは、荷風の文人としての全体像に迫ろうとするもので、筆者のような荷風ファンにとっては、非常に裨益されるところの多い研究である。

荷風と谷崎:新藤兼人の永井荷風論

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新藤兼人が荷風の日記に接したのは「罹災日録」が最初だったそうだ。もともと荷風の日記に大した興味を持っていたわけではなかったが、これを読んで偏奇館焼亡やその後の放浪、また折に触れて吐露する戦争についての考え方などを通じて、荷風という人間に非常な興味を覚えるようになり、それがもとで彼の日記断腸亭日乗全巻を繰り返し読むようなマニアになってしまった。ただ単にマニアの読者たるにとどまらず、断腸亭日乗をもとにして一本の映画を作るまでに至った。

新藤兼人の「断腸亭日乗」を読む

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新藤兼人監督には「墨東綺譚」という作品がある。筆者も見たことがある。津川雅彦扮する主人公に荷風の面影を見、その主人公の女性遍歴を透かして、荷風が生きた時代の雰囲気の一端を感じた気になったものだった。

母を恋ふる記:谷崎潤一郎の母親像

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谷崎潤一郎の母関は美しかったらしい。浮世絵にもなったというから、相当の美人だったに違いない。関には姉妹が二人あって、彼女らもまた浮世絵になるほど美しかったらしいが、潤一郎の母関は群を抜いて美しかった。少なくとも息子の潤一郎はそう思い込んでいたようである。
谷崎潤一郎の二遍の中編小説「神童」と「異端者の悲しみ」は、ともに谷崎自身の自伝的色彩が強い作品だと解釈されている。前者が少年時代を、後者が作家としてデビューする直前の青年時代を描いたものだということになっている。

永井荷風の谷崎潤一郎論

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永井荷風は谷崎潤一郎を高く評価した最初の人だった。谷崎は荷風の高い評価によって、文壇にゆるぎない地位を築くことができたといってもよいほどである。そのことを谷崎は深く感謝して、生涯を通じて荷風を畏敬し続けた。戦争末期に荷風が空襲から焼き出されて関西方面を放浪していた時、谷崎が岡山県の疎開先で荷風の面倒をみたのも、そうした感謝の現れだった。谷崎はある面で非常に義理堅いのである。

谷崎潤一郎初期の短編小説

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筆者が谷崎潤一郎を初めて読んだのは、まだ高校生の頃だった。「刺青」はじめ短編小説を何本か読んだあと「痴人の愛」を読んだのだが、その濃艶な文体と異様な人間心理の描写に圧倒されながらも、何ともいやな気分に陥り、それ以上読みすすむのを放擲してしまった。この文学はどこかに異常なところがある、それは単にそれ自身が異常であるばかりか、読むものまで異常にしてしまう、こんなものばかり読んでいると、きっと頭がおかしくなってしまうにちがいない。筆者は未発達で青臭い知性を以て、そんな風に考えたのだった。

高橋英夫「友情の文学誌」

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高橋英夫氏が雑誌「図書」に連載している荷風に関する記事が面白くて、ずっと楽しみにしている。フランス語の弟子になった阿部雪子との淡い師弟関係や、晩年になって荷風に近づいてきた相磯凌雪との交友が、興味深く描かれている文章からは、「断腸亭日乗」を丁寧に読み込んだもののみが発見できる、荷風独特の心象風景が浮かび上がってくる。一荷風ファンとしては、答えられない贅沢だ。

井上靖「あすなろ物語」

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井上靖の小説「あすなろ物語」を読んだ。先日読んだ「しろばんば」がなかなか面白かったので、やはり井上の自伝的小説として名高いこの作品も読んで見ようという気になったのである。だが読後感は、期待していたほどのものではない、と言うのが正直なところだ。「しろばんば」に比べて非常に粗削りだし、自伝的小説と言うより、自伝そのものを読まされているような気がした。「しろばんば」にくらべると、文学的な香気というものが足りない、そんな印象を持った。
井上靖の自伝的小説「しろばんば」には、古き良き時代の日本の子どもたちが生き生きと描かれている。それを読んでいると、非常に複雑な気持ちにさせられる。かつては、日本のどんな片隅でも見られたこうした子どもたちの風景は、今では殆ど見られなくなってしまった。そんな半分哀惜の感情と懐かしさの感情とが入り混じる不思議な気持ちにさせられるのだ。

井上靖「しろばんば」

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井上靖は自伝的な小説をいくつか書いているが、「しろばんば」は彼の幼年時代を書いたものだ。井上が特異な幼年時代を過ごしたことは、彼の母親とのかかわりを描いた映画「わが母の記」で知ったところだったが、映画ではちらりとだけ言及されていた「おぬい婆さん」との共同生活が、「しろばんば」では実に情緒豊かに描かれていて、筆者は読みながら大きな感動に包まれた。

丸谷才一の折口信夫論

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丸谷才一さんは折口信夫に随分熱中しているのだそうだ。なにしろ、古本屋の店先で「哲学入門」という本を見かけると、「折口学入門」と読み違える程だというから、その熱中ぶりが察せられるというものである。
高橋源一郎を読んでみようという気になったのは、たしか内田樹の評論「村上春樹にご用心」を読んだのがきっかけだったような気がする。内田が村上と高橋を並べて、高橋もまたたいした作家のような言い方をするものだから、気になったのが始まりだ。そのうち、高橋本人の書いた文章を新聞で読んで、面白い人間のようだなと感心した。そこで、本格的な文章を読んでみる次第になったのだと思う。
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