小川洋子は、多和田葉子とほぼ同じ世代で、ともにノーベル賞の候補者に擬せられていることもあって、色々と比較される。基本的に言うと、この二人には、どちらも女性であるということを除けば、ほとんど似たところはない。多和田は大学を卒業するとすぐにドイツに渡り、そこでいわゆるエクソフォニーの生活を送ってきた。エクソフォニーというのは、母国の外に出ている状態をさす言葉で、要するに故郷喪失者のことを言う。故郷喪失者というと聞こえが悪いので、無国籍者あるいはコスモポリタンと言い換えてもよい。21世紀になって、グローバル化が普遍化し、人々が国境を無視して動き回るようになると、国籍を感じさせない人々が多くなった。そうした人々の感性を文学に反映させたのが多和田葉子という作家である。
日本文学覚書
「妄想気分」は、小川洋子の何冊目かのエッセー集である。同時代の日本人作家としてよく比較される多和田洋子が、ごくわずかなエッセー集しか出していないのに対して、小川は結構な数のエッセー集を出している。その全部に目を通したわけではないので、彼女のエッセー集の傾向をわかっているわけではないが、この「妄想気分」は、自分の創作態度とか自作への言及が多く、また自分自身を回想する文章も多かったりして、いわば自分を語る本という体裁である。
「心と響き合う読書案内」は、小川洋子がFMラジオで話した読書案内を一冊にまとめたものである。40篇の小説を、それぞれ四季に沿った形で分類・配列している。それらを読むと、彼女の本を選ぶ基準とか、読み方がよく伝わってくる。
タイトルにある「小箱」とは、死んだ子どもたちの思い出が詰まった箱のことである。ただ思い出だけではない、死んだ子どもたちはそこで生き続けているのだ。無論、死んでしまっているわけだから、現実の生命を生きているわけではない。かれらが生きているのは、かれらの親であったり、親族であったり、かれらと深いかかわりをもった人々の心の中である。この小説は、そんな、死んだものと生きているものとの、心のつながりをテーマにした作品なのである。
小川洋子の小説「ことり」は、文字通り小鳥に魅せられた男の生涯を描いた話だ。小川には、何かに魅せられた人間をモチーフにした一連の作品がある。「博士の愛した数式」は、数字特に整数に魅せられた人たちの話だし、「ミーナの行進」は、マッチ箱に見せられた少女の話だし、「猫を抱いて象と泳ぐ」は、チェスに魅せられた少年の話だった。そうした、何かに魅せられた人間には独特の輝きがあると、小川は考えているようだ。これらの小説には、劇的な要素はほとんどない。ただ単に、主人公たちの至極単調な生き方を淡々と描いているに過ぎない。そんな生き方に果たしてどれほどの意義があるのかと思えるほどだ。しかし、人間は意義のために生きているのではない。人間が生きているのは、自分がたまたまこの世界に生を受けたからだ。生を受けたからには、それを精一杯生き抜くことが人間として大事なことではないか。どうもそんな、ある種諦観のような、それも非常に静かな諦観のようなものが、小川のこれら一連の小説からは伝わってくるのである。
「猫を抱いて象と泳ぐ」は、チェスに見せられた少年の物語である。小川洋子は小説の中にフェティッシュな対象を持ち込むのが好きだと見え、代表作といわれる「博士の愛した数式」は数字がそのフェティシュの役割を果たしていた。小川はフェティッシュを持ち込むについては、徹底的なこだわりを見せており、対象についての深い理解を示している。「博士の愛した数式」を書くについては、数学者の藤原正彦から整数の性質についてのレッスンを受けているほどだ。この「猫を抱いて象と泳ぐ」を書くに当たっては、チェスのルールに関する知識はもとより、広くチェスにまつわる逸話なども徹底的に読んだようだ。
「ミーナの行進」は、ある女性が自分の少女時代を回想するという設定の小説だ。設定自体はありふれたものだが、小川洋子らしい素直で暖かい文章で書かれており、じつに心を洗われるような気持にさせられる。老年の男性である小生でさえ、心温まる気分を味わったのであるから、女性にとっては、自分自身の少女時代が思い出されて、ノスタルジックな気分を搔きたてられるのではないか。
小川洋子は、多和田葉子と並んで、現代に活躍する日本人作家を代表する人だというので、どんな作風なのだろうかとまず思って手に取った本が「博士の愛した数式」だった。読んでの印象はそれなりにさわやかなものだった。筋書きに特異な点はないし、文章にも癖がない。現代文学にありがちな、焦燥感を以て読者を駆り立てるような切迫も感じさせない。それでいて味わいがある。要するに、よくできた小説なのだ。おそらく紫式部以来のこの国の女流文学の伝統を踏まえているのだろうと思う。日本伝来の女流文学には、読者を喜ばせようという志向が強いが、この小説にもそうした工夫は感じられる。
「寡黙な死骸 みだらな弔い」は、十一の小話からなる連作短編小説集である。それぞれの小話は何らかの形でつながっている。時間的な連続関係であったり、時空は異にしているが何らかの小道具が共通する形で出てきたり、あるいは同じパターンの人間的な触れ合いが反復されるといった具合である。タイトルにあるとおり、死が基調低音になっている。どの小話にも死の影を認めることが出来るのだ。つまり(死というもののかもし出す)同じ雰囲気を基調低音にして、さまざまなつながり方をした小話が、それぞれ互いに響きあうように展開していく。それを読むものは、あたかも幾つかのモチーフによる変奏曲を聴かされているような気持になる。小川洋子にはもともと音楽的な雰囲気を感じさせるところがあるが、この作品はそれが非常によく現われている。
「密やかな結晶」は、人間が置かれた恐ろしい状況を描いている点では、ある種のディストピア小説といえる。ディストピア小説といえば、オーウェルの「1984年」とかカフカの一連の小説が思い浮かぶ。それらの小説は、異常な状況を描いているということもあって、文章も不気味な雰囲気に包まれている。読者はその不気味な文章を通じて、実際には考え難いような奇妙な状況に直面させられるのだ。
小川洋子の短編小説「夕暮れの給食室と雨のプール」は、小さな子どもを連れた男と語り手たる一女性との対話を描いた作品だ。新婚生活を目前に控えた女の前に、雨の降る日に突然あらわれたその男は、語り手に向って、「あなたは、難儀に苦しんでいらっしゃいませんか」と言った。それを聞いた語り手は、その男が「ある種の宗教勧誘員であることに気づいた。その手の訪問者はしばしば悪天候の日を選び、しかも幼児を連れてやってきては、わたしをどきまぎさせるのだ」
ドミトリイというから小生はロシア語の男性名かと思ってしまったのだが、そうではなくて、学生寮のことだった。それならドーミトリイと一文字足してくれればすぐにわかったものを。それはともかくこの小説は、その学生寮を舞台にしたものだ。学生寮というより、その寮の経営者と小説の語り手たるある女性の触れ合いがテーマである。その触れ合いを、女性らしい繊細な文章で語っているのである。
妊娠という事象は、人間に限らずすべての生き物にとって根本的な事柄であるし、これほど生きることの意義をあからさまに突きつけてくるものはない。言ってみれば、生き物が生き物である証のようなものだ。それは人間にとってもかわらない。人間の男女は自然に惹きつけあうが、それは始めは恋愛感情の湧出という形をとり、やがて妊娠という事象にいきつく。その割りに妊娠が文学のテーマになることは少ない。ほとんどないと言ってよいのではないか。文学は、妊娠の手前の性愛の段階で止まってしまっていて、妊娠までは勢力が向かないらしい。
「百年の散歩」を読み出したとき、小生はこれを、都市歩きをテーマにしたルポルタージュのようなものとして受け取った。多和田葉子はベルリン在住の日本人作家だから、そのような資格において、日本人の読者のためにベルリンの街角を紹介しているのだろうと受け取ることができる。じっさいこの作品は、ベルリンについての洒落た案内になっているのである。小生は、一度だけベルリンに旅したことがあり、その折にはミッテ地区のアレクサンダー広場近くのアパルトメントに泊り、ローザ・ルクセンブルグ通りやケーテ・コルヴィッツ広場などを散策したものだ。この本にもそういった場所が出てきて、小生は自分の体験と重ね合わせながら、懐かしい気持で読んだ。しかしこの本は、ベルリンに行ったことがない人でも、読んで面白いものを持っている。
「献燈使」は、近未来におけるディストピアを描いた小説だ。ディストピア小説といえば、オーウェルの「1984」が反射的に思い浮かぶ。そのオーウェルのディストピアは、専制権力による野蛮な支配がテーマだった。そんなディストピアなら、我々の周辺にいつ出現してもおかしくない。それだけに妙な切実感を以て迫ってくるところがある。人類規模のベストセラーになった所以だと思う。それに対して多和田洋子のディストピアは、政治的な要因で生じた世界ではなく、地球の物理的な破壊によって生じたようである。その破壊はどうやら原発事故によるものらしい。その結果、世界中の国々は互いに国境を閉ざしてしまったし、国内においても、都道府県相互の往来はタブーになってしまった。そればかりではない。人間の健康に重大な変質が起こった。老人たちは死ぬことができなくなって、いつまでも若者扱いされる一方、若い人たちは虚弱体質になって、元気な老人の介護なしでは暮らしていけなくなった。そういう倒錯した世界を、多和田のディストピア小説「献燈使」は描いている。
多和田葉子は、22歳の時にドイツに移住して以来、ドイツ語を日常的に話す一方、日本人とも話し続けてきたわけで、要するにバイリンガルな生活を送ってきたわけだ。おそらくそのためだろう、言葉というものに常に自覚的だったようだ。そんな彼女が、「日本語とドイツ語を話す哺乳動物としての自分を観察しながら一種の観察日記をつけてみることにした」のが、この「言葉と歩く日本語」という本である。タイトルからは、主に日本語を論じているように伝わって来るが、それはドイツ語と比較したうえでの日本語なので、当然ドイツ語についても語っているわけである。
「雲をつかむ話」は、多和田葉子の小説としては比較的骨格のはっきりした作品だ。多和田の小説は大部分が半分以上エッセーの要素からなっていて、筋書きには乏しい。ほとんどないに等しい場合が多い。語り手が様々な土地を移動しながら、行った先で様々な人と出会い、それらの人達との間で会話を交したり、それらの会話を通じて語り手の感性がエッセーという形で表出されたり、といったものがほとんどだ。ところがこの「雲をつかむ話」は、一応筋書きらしいものがあるし、登場人物にもはっきりした輪郭を持った人物が出てくる。そしてそれらの人物たちが互いに深く結びついている。他の小説のように、互いに何の関係もない人たちが、漫然と入れ替わりながら過ぎていくというのではなく、互いに響きあっているのだ。
「雪の練習生」は、ホッキョクグマによる語りという体裁をとっている。語っているのは、親子三代にわたるホッキョクグマたちだ。最初は祖母が語り、ついでその子が語り、最後に孫が語るという構成に、基本的にはなっている。基本的にはというわけは、子のパートにおいては、語り手が分裂しているからだ。まずウルズラという名の人間の女性が、サーカスの相棒であるホッキョクグマのことを語り、ついでそのホッキョクグマがウルズラと自分のことを語るというふうになっている。しかもそのトスカという名のホッキョクグマは、自己同一性を保った存在ではなく、途中で生まれ変わったということになっている。
尼僧というと、小生などは修道院で禁欲的に暮す女性を思い浮かべ、したがってカトリックと結び付けてしまう。じっさいそのとおりらしく、プロテスタントには原則として修道院はないそうだ。原則として、というのは、例外もあるということで、この小説が描いているのは、そうした例外的な修道院で暮す尼僧たちの生き方なのである。ドイツでは、ルソーが宗教改革を起したとき、カトリック教会を攻撃したが、修道院をあえてつぶそうとはしなかった。それで一部の修道院が生き残り、そこに生きていた尼僧たちも生活拠点を失わないでもすんだという。この小説が描いているのは、そんな古い修道院に暮す尼僧たちなのである。
「ボルドーの義兄」は小説とエッセーの中間のような作品だ。中間という言葉は相応しくないかもしれない。中間というと、純粋な小説でもなくまた純粋なエッセーでもなく、両者の谷間のようなイメージがあるが、この作品は小説の要素も持っているし、エッセーの要素も持っている。だからその両者の中間と言うよりは、合成と言ったほうがよいようだ。合成ということになれば、小説的エッセーあるいはエッセー的小説といったほうが実情に合っている。
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