日本文学覚書

「おかめ笹」には小説としてはめずらしく「はしがき」がついている。その中で小説の題名の由来が触れられている。曰く、「そもそも竹は風雅のものなり。しかるに竹に同じき笹のなかにてもおかめ笹は人にふまれ小便をひっかけられて、いつも野の末路のはたに生い茂り、たまたま偏屈親爺がえせ風流に移して庭に植えよとたのみても園丁さらに意とせざる気の毒さ。つまらなき我が作の心とも見よ」

荷風の小説「腕くらべ」の舞台は新橋の色街である。新橋というと、今日ではJR線新橋駅の西側一帯をさしていうようになったが、この小説の中の新橋は、いまでいう銀座八丁目から五丁目あたりまでの一帯をさしていた。新橋の地名は、外堀にかかる橋からきたが、その橋の近くに東京で初めての鉄道の駅が出来て、それが新橋ステーションと呼ばれた。そのステーションの真ん前の大通り、これは従来の東海道の一部であるが、その通りを洋風に飾って新時代の目抜き通りに仕立て上げた。するとその目抜き通りの周辺に様々な業種の店が集まってきたが、なかでも芸を売る店の勢いがすさまじく、この一帯はあっというまに東京有数の色街になったというわけである。

荷風言うところの賤業婦とは、性を売り物にする女のことである。これは人類史上最古の職業と言ってもよく、日本でも万葉の時代にすでに浮かれ女という名称の賤業婦があった。この賤業婦を荷風は、生涯のテーマとして追い続けた。対象が対象であるから、とかく堕落しがちなこのテーマを、荷風はあくまでも文学的に扱った。であるから荷風の小説の中の賤業婦たちは、みだらさは感じさせるが、堕落したところはない。みな自分の気持に忠実に生きている。その生きざまに荷風は同感したのだろう、彼の賤業婦の描き方には、愛するものをいとおしむ気持ちがこもっている。

永井荷風には、随筆だか小説だか区別のつかない曖昧な作品が多くある。それらは、小説の体裁を借りて随筆を書いているのか、あるいは随筆に小説の趣を添えることで文章に色を添えているのか、どちらともとれない曖昧さがあって、それがまた荷風の良さだとするような見立てもあったりするのだが、ともあれそういう曖昧さを身上とする一連の作品が荷風にはあるということだ。荷風畢生の傑作といわれる「濹東綺譚」はその代表的なものである。初期の短編「妾宅」は、作家としての荷風が自分の作風を確立する過程で楽しんだ寄り道のように見えるが、そこにもすでに「濹東綺譚」で華麗に展開された随筆風小説の技法の冴えがすでに十分に見られるのである。

荷風の小説「すみだ川」は、盂蘭盆会が過ぎたばかりの八月なかばの夏の終わりに始まり、翌年の春と夏の境目で終わっている。一年足らずの期間だが、その間に季節は確実に巡り行く。その季節の巡り行きに重ね合わせるように、物語はあわただしく進行してゆく。その物語とは、一人の青年の切ない恋が破れる話だ。恋に破れた青年が、自暴自棄で自分の命を縮めるところで小説は終わっている。

「すみだ川」は、荷風文学の出発点に位置すると言ってよい。荷風はそれまでも、多数の小説を発表し、いっぱしの文学者として一目置かれるようにはなっていたが、それらは、今読めばそらぞらしい習作の域を脱してはいない。洋行体験を踏まえて書いた小説などは、啄木の罵倒を待つまでもなく、到底読むに堪えるとは言えない。それがこの「すみだ川」に至って、荷風は自分なりの世界を確立した。それは一言で言えば、古い日本へのこだわりと言ってもよいが、その古い日本へのこだわりが、この小説のなかで形を整えたというわけである。以後荷風の小説は、この「すみだ川」の延長上に、ある意味華麗な世界を繰り広げてゆくことになるであろう。

村上春樹は川上未映子が気に入ったらしく、彼女との対談集(「みみずくは黄昏に飛び立つ」)では腹蔵のない会話を楽しんでいるのが伝わってきたが、村上はまた川上の小説家としての才能にも敬意を表していて、その理由として川上の文体の独自さをあげていた。村上自身、作家の才能は文体によってはかられると考えており、また作品の価値も文体によって左右されると思っているようなので、ユニークで迫力のある文体を駆使する川上を高く評価するというわけであろう。

「みみずくは黄昏に飛び立つ」は、女性作家である川上未映子による村上春樹へのインタビューである。「騎士団長殺し」の執筆前後になされたということもあり、「騎士団長殺し」についての舞台裏的な話が多い。タイトルに出てくるみみずくにしてからが、「騎士団長殺し」の中に出てくるキャラクターだ。そのみみずくが黄昏に飛び立つというと、ヘーゲルの有名な言葉「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」を想起するが、ミネルヴァの梟は哲学を体現して飛び立つのに対して、村上のみみずくは物語を抱えて飛び立つのだそうだ。

「桜の森の満開の下」は、坂口安吾の小説の代表作といってよい。短編ながら、坂口らしさがふんだんに盛られている。筋書きもユニークだし、文の運びも軽快だ。それでいて幻想的な雰囲気を存分に醸し出している。こういう幻想的な世界は、上田秋成以外には絶えて描ける人がいなかったもので、そういう点では坂口は、非常に珍しいタイプの作家といってよい。

「白痴」は、作家としての坂口安吾の名声を確立した作品だ。表だったテーマは、一人の男と白痴の女の奇妙な共同生活だが、彼らが直面する東京大空襲の阿鼻叫喚の地獄が、もう一つの大きなテーマになっている。今日的な視点からこの作品を評価するとすれば、東京大空襲をリアルに描いたことに価値があるのではないか。戦後活躍した作家のなかでは、東京大空襲を正面から取り上げたものはいない。歴史の専門家の中にさえ、東京大空襲は人気のないテーマだった。ひとりだけ、これは自分自身が被災者だった早乙女勝元の、地味な努力があるくらいだ。

坂口安吾は、敗戦直後に発表した「堕落論」の中で、同時代の日本人に懐疑的な目を向けたが、彼のそういう傾向は、敗戦後にわかに表面化したというより、敗戦以前から伏在していたものが、敗戦を契機にして顕在化したということのようである。彼の日本への懐疑的な見方を感じさせる文章は、敗戦前にも書かれている。昭和17年の2月に発表した「日本文化私観」がそれだ。

坂口安吾が「堕落論」の中で、議論の素材として取り上げたのは、日本の伝統的な価値観というべきものだ。それを坂口は、日本婦人の貞操、特攻隊に象徴される皇軍兵士の愛国心、そして天皇制への敬意で代表させたわけであるが、そのいずれについても、茶化すような言い方をして、批判というか、断罪をしている。これに対して当時の日本人は拍手喝采を以て答えた。坂口といえば、敗戦前には風変わりな小説を書くマイナーな作家ぐらいにしか受け止められていなかったのだが、この堕落論によって、いっぱしの文明批評家として時代の寵児になったのである。

「反劇的人間」は、アメリカ人のドナルド・キーンと日本人である安部公房の対話だから、どうしてもお互いの民族性が、だいたい無意識的にではあるが、背後で働くという具合になる。ところで安部公房ほど、日本人でありながら日本らしさに拘らない作家はいない。彼の小説や演劇は、無国籍と言ってもよい、いわばコスモポリタンな世界を描いている。そのことをキーンのほうも感じ取っていて、安部はなぜ日本らしさに拘らないのか、素朴な疑問を呈している。それに対する安部の答えが面白い。戦時中に満州で経験したことが、日本人に対する自分の見方に大きな作用を及ぼし、それ以来日本を斜めに見る癖がついたと言うのである。

安部公房のエッセー集「内なる辺境」に収められた三篇の小文はいづれも異端をテーマにしている。安部がこれらの文章を書いたのは、1970年頃のことだが、どういうつもりでこんなテーマを取り上げたのか。異端といえばカミュの「異邦人」の提起した問題意識につながるが、「異邦人」の衝撃は1970年頃にはもう収まっていたはずだから、その影響がこれらの文章を書かせたとはいえないようだ。やはり安部自身の内部に、異端をとりあげさせる動機が潜んでいたのだろう。安部は、正統と異端という対立軸にてらせば当然異端の部類に入るのだろうし、本人もまたそれを自覚していたに違いない。だから彼が自分の生涯の一定の時期に、異端というものを通じて自分に改めて向かい合おうという気になったとしても、それは不自然ではない。

安部公房の小説世界は、デビューしたてのしょっぱなから独特の空間感覚に彩られていた。たとえば「壁」では、現実界と異界とが壁一つを隔てて接しあっていたし、「水中都市」では現実界としての日常空間が異界としての水中空間に突然変化するといった具合だ。そうした安部独特の空間感覚が本格的に表明されたのが1960年の短編小説「賭」だ。この小説の中で安部は、日常空間の中に織り込まれた異界空間を描いている。その空間は日常空間の隙間をふさぐようにして忍び込んだ空間であるとされるから、イメージとしては歪曲しているように受け取れる。それを今流行の異次元空間といわずに歪曲空間というべきなのは、そのためである。

安部公房の短編小説「人魚伝」は、異種間結婚をテーマにした作品だ。異種間結婚というのは、人間がほかの動物との間で結婚したり愛し合ったりする物語で、世界中に分布している。日本にも「鶴の恩返し」をはじめとして、多くの伝説や逸話が流布している。それらの話は、動物が何らかの事情で人間との間の交流を求め、人間の姿となって人間に近づき、人間と結婚するのだが、いつかは真実を告白して動物の姿にもどり、異界へと去ってゆくというパターンのものが多い。ところが安部のこの小説の場合には、人間が人魚をその姿のまま愛してしまい、幸福なひとときを過ごした後、その人魚を殺してしまうという不幸な結末になっている。その辺が、安部独特の話法が働いているところだ。

安部公房は、本格的な小説を書く合間に、短編小説を書いて、コンディションを整えていたフシがある。特に、1951年の「壁」から1962年の「砂の女」までの約十年間は、長編には力作が無く、短編小説にすぐれた作品が多い。新潮文庫の「無関係な死・時の崖」に収められた十篇の短編小説は、そうした作品を代表するものだ。

カフカ的不条理を描き続けてきた安部公房が、「密会」では、その不条理を一段と掘り下げようとして、いまひとつ宙ぶらりんな仕上がりになった、ということではないか。この小説で安部は、カフカを越えようとして二つの試みを行っているのだが、それがどうも読者の目には、いかにも作り物めいてしっくりしないところがある。それがこの小説に中途半端な印象を与えるのである。

「騎士団長殺し」の最終章は、妻と縒りを戻した私の数年後のことを描いている。その数年後の三月十一日、私は「東日本一帯に大きな地震が起った」ことをテレビニュースで知って、ショックを受ける。そのショックは数年前に私がそのあたりをプジョー205に乗って、あてもなく旅していた記憶を呼び覚ます。

村上春樹には、書き物のなかで自分の趣味を披露するのを楽しむ傾向が強い。彼の趣味といえば音楽を聞くことと身体運動をすることらしく、この二つの分野について、小説やエッセーの中でことこまかく、それこそマニアックなまでに拘っている。「騎士団長殺し」も例外ではないようだ。音楽へのこだわりは相変わらずだし、身体運動についても、登場人物の一人である免色を通じて、細かく言及している。

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