大江健三郎の小説にはかならず語り手が出て来て、誰かに向って親しく語りかけるという形をとる。その誰かは、「同時代ゲーム」におけるように、同じ小説の登場人物ということもあるが、大体はその小説の読者である。語り手は、だいたいが男だったが、「静かな生活」で初めて女性を語り手にした。しかしその語り手は、大江の長女に設定されていたので、完全なかたちでの女性のナレーションションとは言えないところがあった。父親は自分の娘を女とはなかなか見ないものだ。
日本文学覚書
「燃え上がる緑の木」の三部作を書き終えた時、大江健三郎は60歳になったばかりだったが、この小説を最後にもう長編小説を書くことはやめようと思ったというから、この小説を自分の作家としての集大成と考えていたのだと思われる。自分の生涯の集大成と言うからには、大江のそれまでの作家としての営みの成果を集約したものが、この作品には盛られているということだろう。実際この作品にはそう思わせる要素がある。一つには、四国を舞台に展開してきた、彼一流のユートピアへのこだわりがこの作品には見られるし、また障害のある子供を始め、自分自身の家族へのこだわりもある。この二つの要素は、大江のそれまでの作品を貫く太い水脈のようなものであった。その要素を大江は、この作品のなかで融合させ、一つの大河として提示したと言えるだろう。
「静かな生活」は、大江健三郎の義兄にあたる伊丹十三が、そのままのタイトルで映画化していて、小生は原作を読む前にそちらを見たのだったが、その際に、これは原作に必ずしも忠実ではないのではないかとの印象を持った。その理由というか、根拠は二つあった。一つは、別の小説、例えば「性的人間」のプロットの一部が使われていること、もう一つは主人公である少女が、悪い奴に強姦されそうになるシーンがあること。いくら小説とはいえ、自分の娘だと世間に向って表明しているものが、強姦されそうになるところを書くというのは、人間としてどうかという思いがあり、それで大江の原作にはそんなことが書かれているはずがないと、勝手に思い込んだ次第である。
「治療塔」は、副題に「近未来SF」とあるとおり、SF小説である。大江がSFを書くのはこれが初めてだが、SFの狭義の意味ではそういうことになるものの、大江にはもともとファンタスティックな面があるので、読者としては大した違和感は持たずに読める。大江はこの小説ではもう一つ実験をしていて、それは女性を語り手にしていることだ。大江の文章はどちらかといえば男性的なほうなので、というのは骨格がしっかりしていて、論理展開に無理がないという意味だが、そういう文体の大江が、女性に語らせるというのは、かなり思い切ったやり方だと思う。大江は前作の「人生の親戚」で、初めて女性を主人公に据えたのだったが、それでも語り手は男性だった。男性の眼で見た女性を描いたわけだ。大江はそれに飽き足らず、女性の視点から小説を書いてみたいと思ったのだろう。もっともあまり成功しているとは思えないが。
小生は、本を読むについて、それにあとがきが付されていれば、あとがきから読むのを習性にしているので、大江健三郎の新潮文庫版の小説「人生の親戚」についても、まずあとがきから読んだ次第だ。筆者は精神分析家として知られる河合隼雄で、次のような趣旨のことを書いていた。人生の親戚という題からは、まず漱石の道草を思い出した。道草の主人公は、縁が切れたと思っていた養父に思いがけず再会し、それ以来しつこく付きまとわれて嫌な思いをする。その嫌な思いを道草という小説は書いているのだが、その嫌な思いを道草の主人公は、人生の親戚である養父からあじわわされる。この道草の主人公と同様に、誰もが人生の親戚を持っているものだ。だいたいそんな趣旨のことを河合は書いていたので、それを読んだ小生は、大江のこの小説も、道草の主人公が持ったような人生の親戚をテーマにしているのかと思ったものだが、本文を読んで見ると、どうもそうではない。これは人生の親戚といったものではなく、一人の女性の人生そのものを描いているのである。
「キルプの軍団」という小説の題名は、ディケンズの小説「骨董屋」と関連がある。その小説の中にキルプという名の悪党が出て来て、それが小説の主人公である少女を迫害し、ついには死に至らせてしまう。その邪悪な人間の名を冠した連中が、大江のこの小説のなかでも悪行を働くというわけである。
大江健三郎は、自分の小説「キルプの軍団」に自分で注釈をつけて、これは少年が大人になるうえで経験しなければならぬ通過儀礼(イニシエーション)を描いたものだと書いた。興味深いのは、その少年というのが、高校生になった大江自身の次男だということだ。大江は、障害をもって生まれて来た長男については、「個人的な体験」以来、ずっと小説のなかで取り上げ続けてきたのだったが、次男について取り上げることは、主題的な形では一度もなかった。その次男を、高校生という微妙な時期に焦点を合わせて、初めて小説の主題的なテーマにしたのが、この「キルプの軍団」という小説なのである。しかもこの小説は、当該の少年自身の語ったこととして語られる。ということは、彼のイニシエーションが、第三者の目から見た形で語られるのではなく、少年自身の体験として生々しく語られるということだ。
ある小説のなかで大江健三郎は、重い障害がある自分の息子が、自分が死んだ後でも生きていくのに迷わぬよう、生き方の定義のようなものを残してやりたいと書いていたが、「生き方の定義」と題したこの書物がそれなのだろうと思って、手に取って読んだ次第だった。ところがこの書物は、冒頭の章で息子の生き方に多少の言及をしたのみで、その後の章では、必ずしも息子の生き方にストレートに役立つような内容には触れられていない。むしろ大江自身の生き方について、自分自身に言い聞かせているふうなのである。もっとも、親としての大江の自分自身の生き方へのこだわりを見せられれば、息子としてもいくばくかの参考になるのかもしれないが。
「ヒロシマ・ノート」と並べ論じられることの多い「沖縄ノート」を大江健三郎が書いたのは、1969年1月から1970年4月にかけてだ。この頃、アメリカのアジア政策に大きな変化がおこり、それを踏まえて佐藤・ニクソン会談が開かれ、沖縄の返還が具体的な日程にのぼりつつあった。ところがこの返還は無条件返還ではなく、米軍基地付きしかも核兵器つき返還だということがミエミエだった。そういう状況に対して、大江なりに抗議したというのが、このノートの性格である。大江は、このノートを通じて、沖縄の人たちの怒りを代弁しているわけである。その怒りは、「ヒロシマ・ノート」にみなぎっていた怒りよりも、強くかつ深い。
大江健三郎は、日本人作家としては珍しいほど政治的な発言をする。その傾向は作家として出発した頃からあった。彼の関心とかコミットメントは色々な方面にわたっているが、最も早くから彼の関心の中心点となったのは核問題だ。「洪水はわが魂に及び」などは、核問題をテーマに据えたものだし、そのほかにも、色々な機会をつかまえて核問題への自分のこだわりを表現した。「ヒロシマ・ノート」と題したエッセーのようなものは、そのひとつの成果である。
この小説の中で大江健三郎は、自身のダンテへのこだわりを、主にギー兄さんを通じて表現している。ギー兄さんは、ダンテの「神曲」を読み続け、ほとんど暗記するほどであって、人生の節目節目に「神曲」の一節を思い出しては、それを生きる指針としている。それほど「神曲」には、今の時代の、しかも日本人という異教徒にとっても、心を励まし叡智をさずけてくれるものがある。そのように大江は、ギー兄さんを通じて、読者に呼びかけているようである。
大江健三郎は、自分が深く心酔した芸術家へのこだわりを作品のなかで表現してきた。ブレイクやマルカム・ラウリーといった作家が、比較的早い時期の大江の作品のなかで、強いこだわりを以て言及されてきたが、「懐かしい年への手紙」では、イェイツとダンテが取り上げられる。イェイツについては、それ以前の作品でも言及したことがあったが、ダンテについて本格的に言及するのは、この作品が初めてだろう。
大江健三郎は、政治的な発言を積極的に行うタイプの作家である。その発言は、戦後民主主義の擁護という動機に支えられている。その動機を大江は、戦時中の幼い頃の体験やら、戦後俄かに盛んになった言論の状況から固めていったようだ。自伝的な作品「懐かしい年への手紙」には、登場人物たちの行動を通して、大江の政治的な傾向が表現されている。
「懐かしい年への手紙」には、大江自身の少年時代の回想がつづられているわけだが、その回想は、大江自身の言葉で語られる一方、ギー兄さんの言葉を通じても語られる。大江自身の言葉として印象的なのは、「数えで五つの時に、ああ、もう生きる年の全体から、五年も減ってしまった、と嘆きの心をいだいた」というふうな、へんにませた子どもとしての印象をもたせるものがあるのだが、その印象はギー兄さんの次のような言葉で打ち消される。十歳になったKちゃん(大江のこと)が、初めてギー兄さんの屋敷の土間に立った時に、ギー兄さんの受けた印象は、「なんという子供っぽい子供だろう、ということだった」のである。
「懐かしい年への手紙」は、自伝的な要素が強い作品である。大江健三郎自身がそのことを認めている。この小説の初版付録に収められたインタビューのなかで、かれは次のように言っているのだ。「確かに僕がこれまでに書いたすべての小説のなかで、もっとも自伝的な仕事といえば、この作品だと思います。それは四国の山間の小さな村で生まれ育った、しかも戦争の間に少年期を過ごした人間の、戦後から安保闘争をへて高度成長にいたる、個人的な同時代史ということにもなるでしょう」
「M/Tと森のフシギの物語」の単行本初版には、数多くの挿絵のほか、すべてのページに版画を印刷してあり、本文はその版画を地にして浮かび上がるような具合になっているので、読者はいきおい版画の図柄を気にしながら文章を読むことになる。これは普通の本ではないことなので、まず驚きが最初に来たが、読み進んでいくと、版画の存在は、特別うるささは感じさせないようだ。版画の印刷が注意深くなされ、読書を妨げないような工夫がなされているせいだろう。また、その版画の図柄がこの小説の雰囲気とつりあっていることも働いているようだ。
「M/Tと森のフシギの物語」は、「同時代ゲーム」のアナザー・ヴァージョンといえる。「同時代ゲーム」においては、語り手の僕が双子の妹に向けた手紙のなかで、彼らが生まれ育った村、それは村=国家=小宇宙と呼ばれていたのだったが、その村の神話と歴史について語り掛けるという体裁をとっていたものを、この「M/Tと森のフシギの物語」では、語り手である僕は不特定多数の読者に向けて語るという体裁に変わっている。小説としての「同時代ゲーム」では、語り手が語る村=国家=少宇宙の神話と歴史と並行する形で、僕自身の苦い体験やら、僕とその兄弟たちにまつわる話が展開するのだが、そしてその展開の中では、僕とその双子の妹とがセクシュアリティによって強く結ばれていることが暗示されるのであったが、この「M/Tと森のフシギの物語」において語られるのは、僕が生まれ育った村の神話と伝説だけである。その村はもはや「村=国家=小宇宙」と呼ばれることはないが、そこに伝わっている神話と伝説は、「同時代ゲーム」における「村=国家=小宇宙」のそれとほとんど変わらない。
「河馬に噛まれる」を構成する作品群のうち「死に先立つ苦痛について」は他の作品からは孤立した印象を与えるが、しかしまったく場違いとはいえない。というのもこのやや長めの短編は、「河馬に噛まれる」が全体としてテーマにしている連合赤軍事件を、凝縮して表現しているところがあるからだ。いわば、全体としての「河馬に噛まれる」のミニチュア版といったところなのだ。
大江健三郎は、連動赤軍に思い入れがあるらしく、浅間山荘事件の翌年に「洪水はわが魂に及び」を書いている。この作品は、ストレートな形では連合赤軍をイメージさせるものではなかったが、物語の枠組みとかプロットの組み立て方に連合赤軍を想起させるものがあった。核シェルターを舞台にした青年たちと国家権力の戦いは浅間山荘事件を思い出させるし、仲間の殺害は連合赤軍が引き起こした一連のリンチ殺人事件を想起させる。ただ大江はこの作品のなかに、核戦争の脅威という人類の大きな課題をもちこみ、また精神薄弱な息子を登場させることによって、物語の構造を重層化させていたので、連合赤軍をあからさまにテーマにしたものだとの印象をやわらげてはいた。
大江健三郎は、三島由紀夫に対して屈折した気持ちを持っていたようだ。三島は大江にとっては年長の作家として、デビュー当時は高く評価してくれたが、「個人的な体験」以降は、否定的になった。その理由は、文学論的には、大江の小説には私小説的な甘えがあるということだったが、それ以上に、大江の左翼的な言説が気に入らなかったためだと思われる。そうした三島からの否定的な評価について、大江はそれなりに屈折した気持ちを抱いたのではないか。
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