日本文学覚書

ある小説のなかで大江健三郎は、重い障害がある自分の息子が、自分が死んだ後でも生きていくのに迷わぬよう、生き方の定義のようなものを残してやりたいと書いていたが、「生き方の定義」と題したこの書物がそれなのだろうと思って、手に取って読んだ次第だった。ところがこの書物は、冒頭の章で息子の生き方に多少の言及をしたのみで、その後の章では、必ずしも息子の生き方にストレートに役立つような内容には触れられていない。むしろ大江自身の生き方について、自分自身に言い聞かせているふうなのである。もっとも、親としての大江の自分自身の生き方へのこだわりを見せられれば、息子としてもいくばくかの参考になるのかもしれないが。

「ヒロシマ・ノート」と並べ論じられることの多い「沖縄ノート」を大江健三郎が書いたのは、1969年1月から1970年4月にかけてだ。この頃、アメリカのアジア政策に大きな変化がおこり、それを踏まえて佐藤・ニクソン会談が開かれ、沖縄の返還が具体的な日程にのぼりつつあった。ところがこの返還は無条件返還ではなく、米軍基地付きしかも核兵器つき返還だということがミエミエだった。そういう状況に対して、大江なりに抗議したというのが、このノートの性格である。大江は、このノートを通じて、沖縄の人たちの怒りを代弁しているわけである。その怒りは、「ヒロシマ・ノート」にみなぎっていた怒りよりも、強くかつ深い。

大江健三郎は、日本人作家としては珍しいほど政治的な発言をする。その傾向は作家として出発した頃からあった。彼の関心とかコミットメントは色々な方面にわたっているが、最も早くから彼の関心の中心点となったのは核問題だ。「洪水はわが魂に及び」などは、核問題をテーマに据えたものだし、そのほかにも、色々な機会をつかまえて核問題への自分のこだわりを表現した。「ヒロシマ・ノート」と題したエッセーのようなものは、そのひとつの成果である。

この小説の中で大江健三郎は、自身のダンテへのこだわりを、主にギー兄さんを通じて表現している。ギー兄さんは、ダンテの「神曲」を読み続け、ほとんど暗記するほどであって、人生の節目節目に「神曲」の一節を思い出しては、それを生きる指針としている。それほど「神曲」には、今の時代の、しかも日本人という異教徒にとっても、心を励まし叡智をさずけてくれるものがある。そのように大江は、ギー兄さんを通じて、読者に呼びかけているようである。

大江健三郎は、自分が深く心酔した芸術家へのこだわりを作品のなかで表現してきた。ブレイクやマルカム・ラウリーといった作家が、比較的早い時期の大江の作品のなかで、強いこだわりを以て言及されてきたが、「懐かしい年への手紙」では、イェイツとダンテが取り上げられる。イェイツについては、それ以前の作品でも言及したことがあったが、ダンテについて本格的に言及するのは、この作品が初めてだろう。

大江健三郎は、政治的な発言を積極的に行うタイプの作家である。その発言は、戦後民主主義の擁護という動機に支えられている。その動機を大江は、戦時中の幼い頃の体験やら、戦後俄かに盛んになった言論の状況から固めていったようだ。自伝的な作品「懐かしい年への手紙」には、登場人物たちの行動を通して、大江の政治的な傾向が表現されている。

「懐かしい年への手紙」には、大江自身の少年時代の回想がつづられているわけだが、その回想は、大江自身の言葉で語られる一方、ギー兄さんの言葉を通じても語られる。大江自身の言葉として印象的なのは、「数えで五つの時に、ああ、もう生きる年の全体から、五年も減ってしまった、と嘆きの心をいだいた」というふうな、へんにませた子どもとしての印象をもたせるものがあるのだが、その印象はギー兄さんの次のような言葉で打ち消される。十歳になったKちゃん(大江のこと)が、初めてギー兄さんの屋敷の土間に立った時に、ギー兄さんの受けた印象は、「なんという子供っぽい子供だろう、ということだった」のである。

「懐かしい年への手紙」は、自伝的な要素が強い作品である。大江健三郎自身がそのことを認めている。この小説の初版付録に収められたインタビューのなかで、かれは次のように言っているのだ。「確かに僕がこれまでに書いたすべての小説のなかで、もっとも自伝的な仕事といえば、この作品だと思います。それは四国の山間の小さな村で生まれ育った、しかも戦争の間に少年期を過ごした人間の、戦後から安保闘争をへて高度成長にいたる、個人的な同時代史ということにもなるでしょう」

「M/Tと森のフシギの物語」の単行本初版には、数多くの挿絵のほか、すべてのページに版画を印刷してあり、本文はその版画を地にして浮かび上がるような具合になっているので、読者はいきおい版画の図柄を気にしながら文章を読むことになる。これは普通の本ではないことなので、まず驚きが最初に来たが、読み進んでいくと、版画の存在は、特別うるささは感じさせないようだ。版画の印刷が注意深くなされ、読書を妨げないような工夫がなされているせいだろう。また、その版画の図柄がこの小説の雰囲気とつりあっていることも働いているようだ。

「M/Tと森のフシギの物語」は、「同時代ゲーム」のアナザー・ヴァージョンといえる。「同時代ゲーム」においては、語り手の僕が双子の妹に向けた手紙のなかで、彼らが生まれ育った村、それは村=国家=小宇宙と呼ばれていたのだったが、その村の神話と歴史について語り掛けるという体裁をとっていたものを、この「M/Tと森のフシギの物語」では、語り手である僕は不特定多数の読者に向けて語るという体裁に変わっている。小説としての「同時代ゲーム」では、語り手が語る村=国家=少宇宙の神話と歴史と並行する形で、僕自身の苦い体験やら、僕とその兄弟たちにまつわる話が展開するのだが、そしてその展開の中では、僕とその双子の妹とがセクシュアリティによって強く結ばれていることが暗示されるのであったが、この「M/Tと森のフシギの物語」において語られるのは、僕が生まれ育った村の神話と伝説だけである。その村はもはや「村=国家=小宇宙」と呼ばれることはないが、そこに伝わっている神話と伝説は、「同時代ゲーム」における「村=国家=小宇宙」のそれとほとんど変わらない。

「河馬に噛まれる」を構成する作品群のうち「死に先立つ苦痛について」は他の作品からは孤立した印象を与えるが、しかしまったく場違いとはいえない。というのもこのやや長めの短編は、「河馬に噛まれる」が全体としてテーマにしている連合赤軍事件を、凝縮して表現しているところがあるからだ。いわば、全体としての「河馬に噛まれる」のミニチュア版といったところなのだ。

大江健三郎は、連動赤軍に思い入れがあるらしく、浅間山荘事件の翌年に「洪水はわが魂に及び」を書いている。この作品は、ストレートな形では連合赤軍をイメージさせるものではなかったが、物語の枠組みとかプロットの組み立て方に連合赤軍を想起させるものがあった。核シェルターを舞台にした青年たちと国家権力の戦いは浅間山荘事件を思い出させるし、仲間の殺害は連合赤軍が引き起こした一連のリンチ殺人事件を想起させる。ただ大江はこの作品のなかに、核戦争の脅威という人類の大きな課題をもちこみ、また精神薄弱な息子を登場させることによって、物語の構造を重層化させていたので、連合赤軍をあからさまにテーマにしたものだとの印象をやわらげてはいた。

大江健三郎は、三島由紀夫に対して屈折した気持ちを持っていたようだ。三島は大江にとっては年長の作家として、デビュー当時は高く評価してくれたが、「個人的な体験」以降は、否定的になった。その理由は、文学論的には、大江の小説には私小説的な甘えがあるということだったが、それ以上に、大江の左翼的な言説が気に入らなかったためだと思われる。そうした三島からの否定的な評価について、大江はそれなりに屈折した気持ちを抱いたのではないか。

大江健三郎には、権力への強い対抗意識、反権力意識ともいうべきものがある。それがもっとも鮮やかな形で表現されたのは、「万延元年のフットボール」であり、「洪水はわが魂に及び」であり、「同時代ゲーム」であった。「万延元年」の場合には、権力に対抗する一揆をテーマにしたわけだが、その一揆が現代に繰り返されると、それは喜劇的な性格を帯びざるをえなかった。「洪水」では、権力に対抗しようとした若者たちの試みは粉砕され、主人公は世界から自分が疎外されていることを確認せざるをえなかった。また「同時代ゲーム」においては、語り手は、あらゆる権力から解放されたユートピアを建設しようとして、ついにそれを果たせなかった。このように大江の小説で反権力が取り上げられるときは、それは挫折せざるをえない道行になるのではあるが、挫折のなかでも、どうして権力に対抗するのかという、その問題意識は徹底的に追及されている。大江は筋金入りの反権力主義者といってよい。

大江健三郎は、「個人的な体験」で取り組み始め、「ピンチランナー調書」で中断していたテーマを、「新しい人よ眼ざめよ」で再開した。そのテーマとは、脳に生涯を持って生まれ、知恵遅れとなった息子との共存あるいは共生である。この共生は、息子がまだ小さかった時には、ある種の調和に包まれて、時には厳しい局面に陥るとしても、基本的には幸福な境地にひたることができたが、息子が成長して、やがて親離れすべき時期にさしかかると、幸福な境地にひたってばかりもいられない。親は次第に老いてゆくし、息子は自立しなければならない。その自立に向けての準備を、親なりにしなければならない。そういう切羽詰まった思いが、大江にこの作品を書かせたのだろう。この作品は、世の中の常識で一人前の年齢になりつつある知恵遅れの息子に対する、父親としての向かい方をテーマにしているのだ。「新しい人よ眼ざめよ」という題名は、この小説の最後の部分で出て来る言葉に関連しているが、この言葉を通じて大江は、知恵遅れの息子の人間としての新たな旅立ちを願っているようなのだ。

小説集「『雨の木』を聴く女たち」の五番目、つまり最後に位置する中編小説は、先行する四つの短編小説とは多少趣を異にする。というのも、この中編小説は、もともと他の短編小説とは違う問題意識にもとづいて書かれたものだからだ。この中編小説には、小説としてはめずらしく、序文が付されていて、その中で作者は、「雨の木」を主題にした長編小説を書く一方で、それと並行して、いくつかの短編小説を書いていたといい、短編小説はそのままの形で発表できるものとなったが、長編小説は出来が悪かったので、自分はその長編小説から「雨の木」にかかわる細部を削除して、中編小説として書き直し、それに「泳ぐ男」という題名を冠したと書いている。

「『雨の木』を聴く女たち」は、相互に関連しあう四つの短編小説と、一つの中編小説からなっている。そのどれもが「雨の木」という言葉をタイトルの中に含んでいる通り、この五つの小説群は「雨の木」をめぐって展開していくのである。

双子の妹に向かって、村=国家=小宇宙の神話と歴史を、手紙という形で語って来た僕が、最後の手紙で、いまや行方が知れなくなった妹に向って語るのは、自分自身が人々から「天狗のカゲマ」と呼ばれるようになった原因となる出来事についてだった。その出来事というか、体験は、僕が真にわれわれの共同体の一員となったことを自覚できるようなものだった。その体験が僕の記憶の基層にいつまでもわだかまっていたからこそ、僕は父=神主への反感から一度は、といっても数十年にわたる長い間にわたることだが、村=国家=小宇宙の神話と歴史を語ることを拒絶したにかかわらず、ついにはそれを語る決意を僕に起こさせたわけなのだった。

五人の同胞のうちの双子の兄妹の片割れである僕が、村=国家=小宇宙の神話と歴史をもう一人の片割れである妹に向って語ることになったことには、相応の理由がある。僕がその語りかけをする気になった時点では、五人のうちの他の同胞はみな死んでしまい、父=神主に対してはわだかまりがあったという事情もあるが、それ以上に、この双子は特別の絆によって結ばれていたということがあった。この双子に特別の目をかけた父=神主は、男の子であるぼくを村=国家=小宇宙の神話と歴史の語り手として特別にスパルタ教育を施してきたのだし、女の子は村=国家=小宇宙の英雄である壊す人の巫女として育てて来たのだ。それ故この双子は、村=国家=小宇宙のある種の再興を期待された特別の存在だったわけだ。そんな双子の片割れである僕が、もうひとりの片割れである妹に向って、村=国家=小宇宙の神話と歴史を語りたいと思うのには、相応の理由がある。いったい他の誰に向かって語りかけたらよいのか。

小説の語り手であり、村=国家=小宇宙の神話と歴史を書く者たる僕には、双子の妹の外三人の兄弟があった。これら五人の同胞たちは、父=神主が旅芸人の女に産ませたのだった。その女は興業が終わったあと、いったん村の外へ去ったのだったが、やがて戻って来て、谷間の家に住みついた。その家へ、丘の上の神社から父=神主が通ってきて、奇怪な叫び声を上げながらその家に入り、次々と子を孕ませたのだった。その母親は、僕が三歳の時に夫=神主から追放されて村外に去り、失意のうちに、五人の子どもたちを気づかいながら死んだということになっている。語り手である僕は、母親と別れたときに幼かったこともあり、あまり感情移入してはいないようである。ただ、僕を含めた五人の同胞たちが、内側から盛り上がって来るような目をしているのは、母親からの賜物だというのみである。

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