映画を語る

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ウィトゲンシュタインは、20世紀を代表する哲学者の一人であり、多くの哲学者がそうだったように、同性愛者であった。それをやはり同性愛者であるデレク・ジャーマンが取り上げて、その半生を映画化したのが、1993年の作品「ウィトゲンシュタイン」である。

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エドワード二世は、イギリスの歴史上最も劣悪な王といわれる。その理由は、優柔不断で指導力がなかったこと、同性愛に耽溺し、愛人を不当に優遇して人心の離反を招いたことだ。その挙句、天涯孤立の境遇に陥り、ついには妃であるイザベルに殺されてしまった。そんなエドワード二世の半生を、シェイクスピアのほぼ同時代人で、これも破天荒なスキャンダルをまき散らしたことで有名なクリストファー・マーロウが劇に仕立てた。それをデレク・ジャーマンが映画化したのがこの作品だ。ジャーマンのことであるから、エドワード二世の言動のうち、同性愛の部分に関心が集中しているきらいがあるが、これはマーロウの原作もそうなのであるか、原作を読んでいない小生には判断できない。一応原作を無視して映画に光を当ててみたい。

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デレク・ジャーマンの1990年の映画「ザ・ガーデン(The Garden)」は、同性愛者(男色者)の受難をテーマにした作品だ。この映画が描く受難には二通りある。一つは肉体の受難、もう一つは精神の受難だ。肉体の受難は拷問による死によって、精神の受難は嘲笑によって表現される。

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デレク・ジャーマンの1988年の映画「ウォー・レクイエム」は、ベンジャミン・ブリテンの合唱曲「死者のためのミサ曲」を映画化したものだ。合唱曲の映画化だからミュージカル仕立てになっている。その合唱曲は、戦争詩人として知られるウィルフレッド・オーウェンの詩集を主な材料とし、それにある教会のミサ曲を加えるという形になっている。そのオーウェン詩集の冒頭を飾る「奇妙な出会い」は、イギリス兵とドイツ兵との奇妙な出会いを歌ったものだが、そこにはある物語が含まれていた。その物語をこの映画は、一応メーン・プロットにして、拡散しがちな映像に一定の秩序をもたらしている。その物語というのは、イギリス兵が洞窟の中で出会ったドイツ兵を、かつて自分が殺していたというものだった。そのドイツ兵は、イギリス兵に向って、わたしはお前が殺した敵兵だと言う。それを聞いたイギリス兵は、相手を殺さざるをえなかった自分の境遇を、戦争が強要したことに深い怒りを覚えるというものである。

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「ラスト・オブ・イングランド」は、イギリスの終末という意味だ。終末であるから、イギリスという国の滅亡を意味しているわけだ。世界ではなく、イギリスが滅亡するというのはどういうことか。そこには、デレク・ジャーマンの個人的な事情がひそんでいるようである。ジャーマンは、前作「カラヴァッジオ」の制作を終えた頃、HIVの陽性が判明した。同棲愛者のジャーマンにとっては、宿命的な成り行きだった。ジャーマンは死を強く意識したのだろう。その死の意識がこの映画には反映しているのではないか。ジャーマンにとって、自分が死んだ後も、イギリスが存在し続けることは、ありえなかったのだ。なにしろイギリスは、マクベスを生んだ国だ。そのマクベスは、自分が死んだ後も世界が存在し続けることは絶えられないことだと叫んだのである。ジャーマンにとっては、世界ではなく、とりあえずイギリスが問題だった。そこでイギリスは、自分の死と運命を共にすべきものと考えたのだろう。

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カラヴァッジオは、イタリア・ルネサンス最後の巨人であり、またバロック芸術の先駆者といわれる。その陰影に富んだリアルな画風は、近代絵画のさきがけというにふさわしい。そんなカラヴァッジオだが、私生活はスキャンダルに満ちていた。いかがわしい連中と町を練り歩いてはスキャンダルを引き起こし、その挙句に殺人まで犯して、38歳の若さで死んだ。

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デレク・ジャーマンの1979年の映画「テンペスト」は、シェイクスピア晩年の有名な戯曲を映画化したものだ。筋書きとしては原作にかなり忠実であり、台詞も原作どおりだ。したがって非常にリズミカルに聞こえる。その一方で、ジャーマンらしい演出もある。登場人物がやたらに裸体になることやら、画面が陰惨なブルーに覆われていることなどだ。その陰惨な画面は、室内の人工的な灯りしかないケースにはそれらしく受け取れるが、屋外の光があふれているべき場面でも、同じように陰惨なブルーが支配している。というわけで、この陰惨なブルーは、デレク・ジャーマンのこだわりの色なのだろうと推測したりもする。

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デレク・ジャーマンは、いまではイギリス映画を代表する監督の一人に数えられている。みずから同性愛者であることを公表し、エイズにかかって52歳で死んだ。かれの作品には、同性愛を謳歌するようなところがあり、そのため男色映画というレッテルを貼られることもあった。

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殿山泰司は味のある脇役として日本映画には欠くことができない存在だった。新藤兼人の映画にも、新藤の監督デビュー作「愛妻物語」を手始めに、数多く出演している。この二人は、単なる監督と俳優という間柄を超えて、共通の目的を追求するいわば戦友のような関係だったようだ。だから殿山が死んだ後、新藤は「三文役者の死」という本を書いて、殿山の霊を慰めた。また、その本をもとに殿山の映画人としての半生を描いた。三文役者というが、なにも茶化した言い方ではない。殿山自身が自分を称してそう言っていたのを、殿山の人柄をよく物語るものとして、新藤が採用したということだ。

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新藤兼人の1999年の映画「生きたい」は、姨捨山伝説にからませながら、現代人が直面している老人問題を、新藤らしくユーモラスに描いたものだ。姨捨伝説は、役立たずになった老人を、口減らしのために捨てることをテーマにしていたが、同じような問題は現代にもある。と言うか、現代は寿命が延びて長生きするようになった部分、役立たずの老人が多く生み出されている。そういう老人を、現代人は老人ホームに収容しているが、これは形をかえた、体裁のいい姨捨ではないのか。この映画には、そんな問題意識が込められているようである。

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新藤兼人は荷風が好きらしく、「断腸亭日乗を読む」という本も出している。その断腸亭日常をベースにした映画も作っている。1992年の作品「濹東綺譚」がそれだ。この映画は、「断腸亭日乗」をもとに、荷風の半生を描きながら、その中に「濹東綺譚」の内容を挿話風に挟むという趣向になっており、あたかも荷風が「濹東綺譚」の世界を実際に生きたというふうに仕上げてある。

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新藤兼人の1988年の映画「さくら隊散る」は、演劇人の広島での被爆をテーマにしたものだ。被爆した人々の悲惨な死を描いている。新藤は、「原爆の子」を作って、広島原爆の非人間性を訴えたものだが、そこでは被曝による悲惨な死を直接描いたわけではなかった。この映画では、被爆した人々が、苦しみながら死んでいく過程を、至近距離から描いた。

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新藤兼人の1981年の映画「北斎漫画」は、葛飾北斎の生涯を描いたものだ。画家としての北斎の全盛期よりは、駆け出しの時代と最晩年期に焦点を当てている。この頃の浮世絵師は、春画で稼いでいたようで、北斎も例外ではない。その春画をこの映画は漫画と言いたいようだが、北斎自身が出版した「北斎漫画」では、春画はほとんど見られない。その春画のうちでも最も有名なのが、女が巨大な蛸と戯れている図柄だが、その図柄のモデルになった女を、まだ若々しい樋口可南子が演じている。一方北斎は緒形拳が、北斎の娘お栄を田中裕子が演じている。その田中裕子演じるお栄は、夏の厚さに裸で寝ているが、その姿が小娘のように見える。田中裕子はこの時もう二十六歳になっていたはずだ。

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新藤兼人の1979年の映画「絞殺」は、その前々年に実際に起きた事件に触発されたものである。その事件とは、高校生が父親に絞殺されるというものだったが、その高校生が進学校として有名な開成高校の生徒だったことで、世間の注目を浴びた。高校生が父親に絞殺されたのは、愛していた同級生の女子が、義理の父親からたびたび強姦されたあげく自殺したことにショックをうけて、世の中の大人たちを強く憎み、その憎しみが両親に対する八つ当たりとなって、家庭内暴力を振るうことになったことで、その暴力に耐えられなくなった父親が、息子が寝ているところを、締め殺してしまったのである。

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新藤兼人の1972年の映画「鉄輪」は、古能の傑作「鉄輪」を映画化したものである。それも単にストーリーを横引きしてというようなものではなく、原作の能の雰囲気が充分に堪能できるように工夫されている。能の仕舞に合わせて謡曲の一節が披露される一方で、音羽信子演じる昔の女が出て来て、能と全く同じ所作をする。と思うと、音羽と相棒の観世栄夫が現代の夫婦となって出て来て、鉄輪の嫉妬譚を現代に蘇らせるというわけで、かなり凝った作り方をしている。ただしあくまでも原作の能「鉄輪」の面白さに乗っかっている作品なので、能に興味のない人には退屈かもしれない。

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新藤兼人の1968年の映画「藪の中の黒猫」は、怪談仕立ての作品である。新藤のオリジナル脚本によることから、新藤には怪談趣味があったものと思われる。「鬼婆」などは、怪談とは言えないかもしれないが、般若面が顔にこびりついて離れないというような発想は、怪談に通じるものだろう。怪談であるから、ややこしい理屈はいらない。ただ怪しい雰囲気を楽しめればよい。そんなわけで、肩の凝らない、純粋に娯楽に徹した映画である。

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2009年のイラン映画「ペルシャ猫を誰も知らない」は、現代のイラン社会に生きる若者たちをテーマにしている。この映画を見ると、イラン社会というのは非常に抑圧的な社会で、若者たちは、自分の好きなこともできない、ということが伝わって来る。それでもそこをなんとかして、自分のしたいことをしようともがく若者たちを、この映画は描いているのである。題名に含まれているペルシャ猫とは、現代のイランに生きる若者たちのことを言い、その若者たちの苦悩を世界の人たちに理解してほしいという意味が、この題名には込められているのだと思う。

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ハーフェズとは、イランでコーランを暗唱できるものに授けられる尊称ということらしい。アボルファズル:ジャリリの2007年の映画「ハーフェズ ペルシャの詩」は、そのハーフェズをモチーフにした作品だ。前作「ダンス・オブ・ダスト」ほどではないが、言葉を最小限に抑えているので、筋の展開を追うのに苦労するところがあるが、一人のハーフェズの青年の試練を描いたものだということは伝わって来る。

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アボルファズル・ジャリリの1992年の映画「ダンス・オブ・ダスト」は、イランの民衆の過酷な生活ぶりを描いたものである。その過酷な生活は、小さな子どもたちも巻き込み、子どもたちはろくな教育も受けられぬまま、親たちと一緒につらい労働に従事する。イランには、こんな過酷な現実があるのかと、思い知らされる作品である。そのような描き方が、イランの政治を批判していると受け取られたらしく、この作品は上映禁止となったそうだ。上映が許されたのは、1998年のこと。

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2001年のイラン映画「柳と風」は、少年同士の友情と少年のあふれるような使命感を描いたものだ。そう言うと、アッバス・キアロスタミの名作「友だちのうちはどこ」が想起されるが、それもそのはず、この映画を監督したのは当時かけだしのモハマド・アリ・タレビだったが、脚本を書いたのはキアロスタミだ。こういうタイプの映画が繰り返し作られるのは、イラン人の嗜好を反映しているのか。

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