映画を語る

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井筒和幸の1996年の映画「岸和田少年愚連隊」は、「ガキ帝国」同様少年の暴力を描いたものだ。ただし在日コリアンは出てこない。日本人の少年同士の暴力沙汰がもっぱら描かれている。その少年というのが中学生なので、見ているほうは途方にくれるところがある。中学生が徒党を組んで、やくざまがいに喧嘩をする。それも半殺しにするような派手な暴力沙汰だ。しかも、その中学生の男女が、セックスまでするとあっては、日本の未来が暗く見えて来るほどだ。

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1981年の映画「ガキ帝国」は、井筒和幸の出世作である。井筒和幸といえば、2005年に作った「パッチギ」が思い浮かぶ。「パッチギ」は、高校生レベルの日本人と在日コリアンの間の民族対立を描き、暴力的なシーンに彩られていた。「ガキ帝国」にもそうした要素は強く見られる。この映画にも在日コリアンが出て来るし、また暴力シーンが多く出て来る。というか暴力シーンだけからなりたっていると言ってよいほどだ。一方、在日コリアンは、集団として日本人社会と対立するわけではない。個人として出て来て、日本人とかかわりあう。

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「311」は、東日本大震災の直後に、森達也ら四人の映画人が被災現場に入って記録したドキュメンタリー映画である。目の前に広がる光景を淡々と映したもので、それを見ての驚きの声を聞くほかは、解説めいたものはほとんどない。映像自体が雄弁に物語っている。福島原発周辺では、うなぎ上りに上昇する原子力バロメータの数値とか、瓦礫がうずたかく積み重なった津波の現場とかだ。それを見ると、災害のすさまじさが皮膚感覚として伝わって来る。

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川本輝夫は、自分自身水俣病患者として、患者の救済と問題解決に生涯をかけた活動家である。その活動は世界中に知られ、かれが死んだ時には、日本人としては珍しく、海外のメディアも報じたほどだ。土本典明の映画「回想川本輝夫」は、その川本の半生を描いたドキュメンタリー映画である。川本は、裁判を通じてではなく、会社への直接行動を通じて要求を勝ち取っていった。その交渉ぶりには相手を圧倒するような迫力があった。またその威力に相手も強く出て、官憲に弾圧されたこともあった。しかし、川本は多くの患者に東京でのデモンストレーションを実施させ、世間の注目を集めることで、自分らの要求を広く知らしめ、要求の実現につなげていった。映画はそうした川本の戦いぶりを描いているのだが、43分間という短かさもあって、川本の活動が丁寧に描かれているとはいえないような気もする。かえって川本の強引なやり方が目を引くほどだ。

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深作欣二の1988年の映画「華の乱」は、与謝野晶子の半生を描いた作品である。半生といってもカバーしているのは、晶子が鉄幹に恋をした明治三十四年から関東大震災直後の大正十三年までだから、実質二十三年間であり、彼女の生涯の一コマといってよいかもしれない。その期間に鉄幹との間に大勢の子供を作り、さまざまな人々と触れ合う。その中には一代の舞台女優松井須磨子や、アナーキストの大杉栄、そして有島武郎などがいる。とくに有島は、鉄幹に浮気されている間に、晶子が恋ごころを抱いた相手として描かれている。小生は晶子の生涯について詳しくないのだが、実際にこんなことがあったのだろうか。

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パーシー・アドロンの1987年の映画「バグダッド・カフェ(Bagdad Café)」は、ドイツ映画ではあるが、舞台はアメリカであり、登場人物たちも英語を話している。こういうタイプの映画は、ヴィム・ヴェンダースの「ミリオンドラー・ホテル」以下、ドイツでは珍しくはないが、それにしてもドイツ人の観客には、字幕でもつけて見せるのであろうか。クリント・イーストウッドは、「硫黄島からの手紙」では、日本人には日本語を話させていたので、その部分については英語の字幕をつけたはずだ。

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2013年公開のドイツ映画「おじいちゃんの里帰り(Almanya - Willkommen in Deutschland)」は、ドイツに移住したトルコ人家族の生活ぶりを描いた作品だ。監督のヤセミン・サムデレリはトルコ系のドイツ人であり、自らの家族の体験をもとにこの映画を作ったという。一家の長である祖父が、1960年代にドイツにやってくる。ゲスト労働者としてだ。その頃のドイツは、日本同様高度成長の只中だったが、深刻な労働力不足に悩まされ、多くの外国人労働者を招いた。ゲスト労働者とはそうした外国人労働者をさした言葉だ。ゲスト労働者の中で一番多かったのがトルコ人。そのトルコ人として、ドイツ社会で生きてきた祖父と、その家族の物語である。

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フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクの2006年の映画「善き人のためのソナタ(Das Leben der Anderen)」は、ベルリンの壁崩壊以前の東ドイツにおける、シュタージ(国家保安省)による国民監視の実態をテーマにしたものだ。オーウェルの「1984」を思わせるようなディストピアが、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツでは市民生活を暗黒なものにしていたというような、政治的なメッセージが込められた作品である。その割には、筋書の展開に無理なところがある。この映画の主人公はシュタージの将校なのであるが、その将校が自分の仕事に疑問を持つようになる、というのが一つの無理、もう一つの無理は、彼が命じられた仕事(監視)の意味だ。一応は、反体制の疑惑がある芸術家を監視するということになっているが、実際にはシュタージ長官の私的な思惑がからんでいた。その長官は芸術家の恋人に横恋慕していて、芸術家を消して女を獲得したいと思っているのだ。それをシュタージの将校は知っていて、自分のやっていることに誇りが持てなくなったというのだが、これはあまりにも観客を馬鹿にした設定ではないか。

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ゼーンケ・ヴォルトマンの2003年の映画「ベルンの奇跡(Das Wunder von Bern)」は、戦争によって引き裂かれた家族の絆、特に父子の絆を、ドイツ人のサッカー熱を絡めながら描いた作品である。だいたいヨーロッパの諸国民はサッカーが大好きのようだが、ドイツ人もその例にもれず、子どもから大人まで、男も女もサッカーに夢中、という様子が、この映画からは伝わって来る。ましてこの映画は、1954年のワールドカップを背景に取り上げている。ドイツはこのワールドカップで強敵を次々と破って優勝した。その優勝をドイツの人々は「ベルンの奇跡」と呼んで、喜びあったそうだ。

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ヴォルフガング・ベッカーの2003年の映画「グッバイ、レーニン」は、ベルリンの壁崩壊前後の東ドイツ人の暮らしぶりの一端をテーマにしたものだ。ベルリンの壁崩壊に続く東西ドイツの統合は、西側による東側の吸収という形をとり、多くの東ドイツ市民にとって過酷な面もあった。とくに体制にコミットしていた東ドイツ人にとっては、自らのプライドを揺るがされるものでもあった。この映画は、東ドイツの体制にこだわる家族の物語である。

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オリヴァー・ヒルシュビーゲルの2002年の映画「es」は、ある特殊な実験をテーマにしたものだ。その実験とは、ある種の行動科学実験で、疑似監獄を舞台にして、囚人と看守に別れた被験者が二週間を過し、どのような行動上の特徴が見られるかを分析しようというものだ。その結果、看守側の人間は、秩序維持のために抑圧的になり、囚人側は、初めは抵抗の姿勢を見せるが、やがて従順になっていく。しかし、看守側の抑圧的な姿勢は一層極端化し、最後には自分たちの雇い主まで攻撃するばかりか、殺人行為にまで発展するという異常な事態に陥るというのが、この映画のミソである。そんなことからこの映画は、人間の中に潜んでいる攻撃衝動をあぶり出したともいえる。そういう攻撃衝動は、かつて強制収容所で見られたのと同じタイプのものだ、というメッセージが伝わってくるように作られているようである。そういう攻撃的な人間を見せつけられると、ドイツ人というのは、誰もがナチス的な資質をもっていると思わされる。

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コスタ・ガヴラスの2002年の映画「ホロコースト アドルフ・ヒトラーの洗礼(原題はAmen)」は、仏独米の協同制作として作られ、言語には英語が用いられている。ガヴラスがフランスを拠点として活動しており、映画の舞台が主にドイツであり、金の出どころがアメリカだということか。テーマは、日本語の題があらわしているとおり、ナチスによるホロコーストだ。

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「オペレーション・ワルキューレ(Stauffenberg)」は、ドイツのテレビ局が2004年に制作・放映した作品だ。それがDVDになっているので、映画感覚で見ることができる。テーマはヒトラー暗殺計画だ。ヒトラー暗殺計画は、規模の大小併せて40以上もあったそうだが、これは中でも最大規模のもの。なにしろドイツ軍部が組織的にかかわっていたものだ。

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ラース・クラウメによる2015年のドイツ映画「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男(Der Staat gegen Fritz Bauer)」は、いわゆるアイヒマン裁判をテーマにした作品。アイヒマン裁判といえば、アウシュヴィッツの所長としてホロコーストを推進した男であり、戦後アルゼンチンに潜伏していたところを、イスラエルの諜報機関モサドによって逮捕され、イスラエルで裁判された結果、絞首刑になったのだが、そのアイヒマンの裁判に、ドイツ人の検事が一役かっていたというのが、この映画のミソである。

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2006年のイギリス映画「魔笛」は、モーツァルトの有名なオペラを映画化したものだ。設定に一部脚色は見られるが、原作のストーリーをほぼ踏襲しており、また歌の聞かせどころも満遍なく披露されているので、原作の雰囲気を別な形で享受できる。なかなか楽しい作品である。

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呉美穂の2015年の映画「君はいい子」は、親による子どもの虐待とか、学校現場における子どもたちの間のいじめとか、学級崩壊などをテーマにした作品である。親による子どもの虐待をテーマにした映画としては、松本清張の小説を映画化した「鬼畜」が古典的な作品として想起されるが、野村芳太郎の作った「鬼畜」は、妾が育児放棄した子供たちを本妻が虐待するというもので、いささか古風な時代設定だった。それに対して呉美穂が作ったこの「君はいい子」は、実の母親による子どもの虐待がテーマであり、そこに時代の変化を感じさせる。実の親による子どもの虐待は、いまでも報道を賑わせているように、極めて現代的なテーマであり続けている。

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瀬々敬久の2009年の映画「感染列島」は、感染症によるパンデミックを描いた作品である。この映画が公開されたのは、2009年の1月だが、その年の春頃から豚インフルエンザが世界的に流行し、一年近くにわたって猛威を振るった。その規模や深刻さから、国連がパンデミックに指定したほどだった。そのパンデミックを、この映画は先取りしたような形で描いていたというので、世界的な注目を浴びた。

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忠臣蔵と四谷怪談は、お互いに全く関係のない話だ。一方は元禄時代に起きた実話だし、一方は架空の怪談話だ。その本来関係のないものを結びつけて、深い関係があるかのように仕立てた映画を、深作欣二が1994年に作った。それが「忠臣蔵外伝・四谷怪談」である。

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深作欣二の1986年の映画「火宅の人」は、檀一雄の同名の小説を映画化したものだ。原作は檀自身の自伝的な私小説というべきもので、女にだらしない男の半生を描いている。映画もその雰囲気をよく表現していて、ある種の日本人男性の典型的な姿を垣間見せてくれる。こういうタイプの男、つまり自我が確立していなくて、常に誰かに支えられていないと生きていけないような男は、日本社会においてはかつてはよく見られたタイプであり、今日でも、あたりをよく見渡せば、まだ多く見られるのではないか。そういう男、つまり檀一雄の分身を緒形拳が演じているが、緒方はこういう役をやらせると天下一品だ。「鬼畜」におけるなさけない父親役と並んで、彼の代表的な演技といってよい。

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深作欣二の1984年の映画「上海バンスキング」は、日中戦争下の上海を舞台に、ジャズ・ミュージシャンたちの青春群像を描いた作品だ。ミュージカル仕立てになっていて、しかもコミカルタッチで展開されており、視覚と聴覚の二重に楽しめる映画だ。

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