映画を語る

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瀬々敬久の2010年の映画「ヘヴンズ・ストーリー」は、人間のサガを黙示録的に描き出したものだ。テーマも壮大だが、描き方も壮大だ。なにしろ四時間半を超える大作である。だから劇場公開に際しては、途中で休憩時間を挟んだというくらいだが、当日の観客は、退屈はしなかっただろうと思う。よく作られているので、退屈を感じさせないのだ。

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瀬々敬久は21世紀に入るとピンク映画から足を洗って普通の映画を作るようになったが、2004年に久しぶりにピンク映画を作った。「肌の隙間」である。これはたしかにピンク映画なのだが、その範疇にはおさまりきれない複雑なメッセージを含んでいた。それが話題を呼び、一般の映画館でも公開されたという、いわくつきの作品である。

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瀬々敬久の1999年の映画「アナーキー・インじゃぱんすけ 見られてイク女」は、瀬々得意のピンク映画の一つの頂点となるものだ。副題に「見られてイク女」とあるように、多少変態気味の女が主人公だが、もっと重要な役割を果たしているのは、この女と変な因縁から結ばれた男と、その二人の仲間たちである。かれらは女を買うことでつながっているのだが、一人の女を共有するわけではなく、また性的な嗜好で結ばれているわけでもない。テンデバラバラな気持ちから女を買うのであるが、その買い方はそれぞれユニークである。

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瀬々敬久は、ピンク四天王に名を連ねるなど、ピンク映画で実績を上げた監督だ。ピンク映画というのは、ポルノ映画の一種ではあるようだが、ポルノ映画が専ら性的興奮を目的としているのに対して、物語としての面白さを合わせて追及するところに特徴があるらしい。その反面、性的興奮は抑えられぎみになるので、中途半端さがものたりないという意見もある。

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2005年の映画「約束の旅路(Va, Vis Et Deviens)」は、エチオピアのユダヤ人をテーマにした作品だ。小生はあまり事情に詳しくないのだが、歴史のいたずらというか、エチオピアには黒人のユダヤ人がかなりいるのだそうだ。その黒人を、宗教的にはユダヤ教徒という理由から、イスラエル政府が正式なユダヤ人と認めて、イスラエル国内への受け入れをした。どういう事情からかは、小生にはわからない。ともあれその受け入れは二波にわかれ、1984年のものをモーゼ作戦、1991年のものをソロモン作戦と称しているそうである。この映画が描いているのは、ソロモン作戦である。

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スティーヴン・スピルバーグの2005年の映画「ミュンヘン」は、1972年のミュンヘン・オリンピックにおける、パレスチナ人のイスラエル選手への攻撃をテーマにした作品だ。この攻撃でイスラエル選手とスタッフ計11人が殺害されたのだったが、映画はその攻撃を描くというよりは、これに怒ったイスラエル政府が、パレスチナ人の有力者に報復攻撃をするところを描いている。だから復讐劇だということもできる。それをスピルバーグは、「事実をもとにした」と言っているが、それについてイスラエル政府は公式にはなにも言っておらず、したがってどこまでが事実に合致するのか、明らかでないところが多いようである。

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2007年公開の映画「レバノン」は、1982年6月におきたイスラエルによるレバノン侵略をテーマにしたものだ。この侵略戦争は、当時レバノンを拠点としていたPLOを叩き潰すことを目的にしてイスラエルが始めたもので、イスラエルによる一方的な戦争といってよかった。この戦争の結果アラファトらはチュニジアに拠点を動かすことを余儀なくされ、レバノンにいたパレスチナ人の多くが殺された。陰惨な難民大量虐殺事件も起こっており、ベトナム戦争とならんでもっともダーティな戦争といわれている。そのダーティな戦争を、戦争を仕掛けたイスラエル側の視点に立って描いたのがこの映画だ。

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2012年公開の映画「クロエの祈り(Inch'Allah)」は、カナダ・フランス合作の映画であるが、テーマはパレスチナ問題だ。カナダ人の女性医師がパレスチナの難民キャンプで人道支援活動に従事している。彼女はパレスチナ人がユダヤ人に迫害される様子を毎日見聞しているうちに、現実の非合理さを感じるとともに、自分の無力さをも痛感させられるというような内容で、パレスチナ人に同情的な視点から描かれている。だが、ユダヤ人を強く非難するというのでもない。製作スタッフの出自は詳しくわからないが、監督のアナイス・バルボ=ラヴァレットはパレスチナ人ではないようだ。

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過日イスラエル映画「オマールの壁」について紹介したが、「パラダイス・ナウ」は、同じ監督ハニ・アブ・アサドが八年前の2005年に作った作品だ。前作はユダヤ人によるパレスチナ人の迫害がテーマだったが、こちらはパレスチナ人によるイスラエルへの自爆攻撃がテーマだ。

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2013年公開の映画「オマールの壁」は、パレスチナ人のユダヤ人への怒りをテーマにした作品だ。パレスチナ人ハニ・アブ・アサドが監督したパレスチナ映画ということになっている。そのような触れ込みでカンヌの国際映画祭に出品され、特別審査員賞をとった。アカデミー賞にも出品したが、受賞することはなかった。アカデミー賞を主宰するハリウッド映画界はユダヤ人が牛耳っているので、そのユダヤ人が悪者にされているこの映画が、受賞するはずもないのである。しかし、そのユダヤ人から目の敵にされているパレスチナ人が、こういう映画を作ったということに、歴史的な意義を認めるべきだろう。

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スティーヴン・ダルドリーの2008年の映画「愛を読むひと(The Reader)」は、ナチスの戦争犯罪裁判をテーマにした作品だ。ナチスの戦争犯罪については、裁く側の視点から描いたものが圧倒的に多い中で、この作品は裁かれる側の視点から描いた数少ない映画だ。その裁かれ方に納得できない部分がある。裁かれる人間、それは中年にさしかかった女性なのだが、その女性が生涯ただ一度の恋をしながら、おそらく事実とは違った認定をされて罪を背負う、というような、見ていて多少の切なさを感じさせるような映画だ。スティーヴン・ダルドリーが監督したこの映画は、ドイツを舞台にして、一応米独合作という形をとっているが、全編英語である。

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フレッド・ジンネマンといえば、ゲーリー・クーパーをフィーチャーして、孤独な保安官が悪党どもに単身立ち向かうところを描いた「昼下がりの決斗」を作って、西部劇に革命的な変革をもたらしたと評価されている。それから12年後の1964年に作った「日曜日にも鼠を殺せ(Behold a Pale Horse)」も、やはり孤独な男が強い男を相手に単身立ち向かうところを描く。その点ではこの二つの作品は相似的だ。

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1995年のアメリカ映画「アウトブレイク(Outbreak)」は、感染症によるエピデミックをテーマにした作品である。エピデミックをテーマにした映画といえば、日本では、瀬々敬久の「感染列島」があげられるが、この映画はその原型ともいえるもので、エピデミック映画の古典といってよい作品である。

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大岡の小説「野火」を、小生は日本文学が生んだ最高傑作の一つだと思っている。テーマの重々しさから映画化には馴染みにくいと思われるのだが、市川崑が1959年にあえて映画化した。それがなかなかよくできていたので、塚本晋也が2015年に映画化した作品「野火」は、色々な面で市川のものと比較される。小生なりに批評すると、こちらのほうが大岡の意図したものに近いのではないか。

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塚本晋也はマンガチックなSFアクション映画からスタートしたが、2002年の映画「六月の蛇」は大分趣向の変った作品だ。これは欲求不満の女と、彼女にしつこくつきまとうストーカーの話なのだが、それが、本来はエロチックなのにかかわらず、あまりエロチックな側面は前面化せず、人間の愚かさというか、こういうことにならないよう気をつけましょうといった、妙な教訓を感じさせる映画なのである。

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塚本晋也の1992年の映画「鉄男Ⅱ BODY HAMMER」は、三年前の作品「鉄男」の続編であるが、ストーリー上のつながりは全くない。こちらは、子どもを含めて三人で幸せに暮らしていた一家が謎の集団に襲撃されたあげく、父親が肉体を改造されて、鉄の固まりにされてしまうというものだ。前作の鉄男はくず鉄のスクラップといったイメージだったが、こちらは鋼鉄で覆われたマッチョなイメージで、しかも躰のあちこちから機関砲が飛び出してくるといった攻撃的なイメージに変わっている。

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塚本晋也の1989年の映画「鉄男」は、ちょっとした反響を呼んだ。ローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリをとったこともあって、国際的な反響にも発展したようだ。映画ならではのファンタジーを感じさせるからであろう。この映画は、スクラップ鉄になった男の話なのである。小説の中では、カフカが、巨大な虫になった男の悲哀を描いて世界中をびっくりさせたが、塚本は映画の中で鉄になった男を描いて、人々をびっくりさせたのである。

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井筒和幸の1996年の映画「岸和田少年愚連隊」は、「ガキ帝国」同様少年の暴力を描いたものだ。ただし在日コリアンは出てこない。日本人の少年同士の暴力沙汰がもっぱら描かれている。その少年というのが中学生なので、見ているほうは途方にくれるところがある。中学生が徒党を組んで、やくざまがいに喧嘩をする。それも半殺しにするような派手な暴力沙汰だ。しかも、その中学生の男女が、セックスまでするとあっては、日本の未来が暗く見えて来るほどだ。

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1981年の映画「ガキ帝国」は、井筒和幸の出世作である。井筒和幸といえば、2005年に作った「パッチギ」が思い浮かぶ。「パッチギ」は、高校生レベルの日本人と在日コリアンの間の民族対立を描き、暴力的なシーンに彩られていた。「ガキ帝国」にもそうした要素は強く見られる。この映画にも在日コリアンが出て来るし、また暴力シーンが多く出て来る。というか暴力シーンだけからなりたっていると言ってよいほどだ。一方、在日コリアンは、集団として日本人社会と対立するわけではない。個人として出て来て、日本人とかかわりあう。

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「311」は、東日本大震災の直後に、森達也ら四人の映画人が被災現場に入って記録したドキュメンタリー映画である。目の前に広がる光景を淡々と映したもので、それを見ての驚きの声を聞くほかは、解説めいたものはほとんどない。映像自体が雄弁に物語っている。福島原発周辺では、うなぎ上りに上昇する原子力バロメータの数値とか、瓦礫がうずたかく積み重なった津波の現場とかだ。それを見ると、災害のすさまじさが皮膚感覚として伝わって来る。

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