日本文学覚書

「少将滋幹の母」は、谷崎潤一郎の古典趣味の傑作であり、なおかつ一連の母恋ものの到達点というべき作品である。古典趣味も母恋の感情も、谷崎文学のうちにあっては、マゾヒズム趣味とは異なったところで、強い重力を発していたのであるが、その方面が最大限発揮され、凝集されて怪しい光を放つに至ったのが、この作品なのである。
細雪を読んでの最初の印象は、それ以前の谷崎の作品と大分トーンが違うなということだった。谷崎のもっとも谷崎らしさの所以であるところの、あの悪魔的な雰囲気がこの小説には感じられない。もとより大作家の力を入れた作品であるから、結構から文体に至るまで良く書けてはいるが、なにかしら物足りなさを感じる。これが谷崎文学の粋といえるだろうか、という消極的な感想を抱いたわけである。
谷崎潤一郎の作品「春琴抄」を評して川端康成は「ただ嘆息するばかりの名作で、言葉がない」と絶賛しながら、ただひとつ難癖をつけるとすれば、鶯と雲雀であるといっている。それらを語った部分が薄手に感じられる、「もし、鶯や雲雀の奥儀を極めた人が読めば、さう感じるであらうと、想像される」というわけである。
谷崎潤一郎の小説「芦刈」は「吉野葛」、「盲目物語」に続いて書かれた作品だが、そのためというのでもなかろうが、この先行する二つの作品を足し合わせたような体裁を呈している。前半部分では「吉野葛」を思わせるような紀行文的なスタイルを用いて古の日本を回顧するというやり方をとり、それに続いて後半部分では、ふと作品世界に紛れ込んできた一老人の口を借りて、盲目物語におけるような女性賛美をするのである。賛美される女性のモデルが、その頃に谷崎がぞっこんであった松子夫人であるのはいうまでもない。
「盲目物語」について谷崎潤一郎は、「実は去年の"盲目物語"なども始終御寮人様のことを念頭に置き自分は盲目の按摩のつもりで書きました」と根津松子(後の谷崎婦人)宛書簡に書いているとおり、これは新たな思慕の対象となった一婦人にたいするオマージュのような作品ということができる。以後谷崎は松子夫人をテーマにした作品を次々と手掛けていくが、この「盲目物語」は、それら松子ものともいうべき作品群の嚆矢となるものである。
日本の伝統文化に対する谷崎潤一郎の関心は、「蓼食ふ蟲」で人形浄瑠璃を取り上げたあたりから本格化するが、ほぼそれを前面に出して小説を構成したのが「吉野葛」である。吉野の山奥を舞台にしたこの小説は、謡曲二人静や国栖、それに吉野朝の最後の王子たちの伝説を材料にして、言い伝えの世界と目の前に展開する自然とを一々対応させながら、そこに登場人物の母への思慕の感情をからませる。古の伝統的な世界と今に生きる人間の生き様とが混然と溶け合った美しい作品である。
「痴人の愛」などを読むと、谷崎潤一郎にはマゾヒズムの傾向があったのではないかと思わせられるところがあるが、実際谷崎にはそういう傾向があったとする者がある。谷崎好きの作家河野多恵子である。河野は谷崎を「心理的マゾヒスト」と呼んで、その傾向が一時期の谷崎文学を著しく彩ったと評している。
谷崎潤一郎と佐藤春夫との間でなされたいわゆる「細君譲渡事件」は、大方の人にとっては、どちらかというと佐藤の方が谷崎の妻に横恋慕して、挙句の果ては略奪したのであり、谷崎は被害者だったのだと思っているのではないか。筆者なども一時はそう思っていた。しかし、実際にはそうではなく、これは何から何まで谷崎が意図的に仕掛けたことなのであり、谷崎の妻千代夫人も佐藤も、谷崎に振り回されたのだということが明らかになってきた。その辺を明らかにするとともに、千代をめぐる第三の男の存在についてもとりあげて追及したのが瀬戸内寂聴尼の「つれなかりせばなかなかに」という本である。
かつて丸谷才一は「卍」と「蓼食ふ蟲」とを一双の屏風に譬え、このふたつの作品が、形式的にも内容的にも深い関連を有していると指摘したが、筆者もまた同じ感を抱いてきた。筆者がこの二つの作品を相次いで読んだのは、かなり昔のことだが、以来、この二つを姉妹作品のように思いなしてきたのである。
「卍」はほぼ同時期に書かれた「蓼食ふ虫」と比較されることが多いが、筆者はむしろ「痴人の愛」の延長上にとらえている。一人称のネトッとした文体、倒錯した恋愛感情、そして登場人物間の思惑のからみあいといった要素が、互いに共鳴しているように受け取れる。
谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」のすごさというか迫力の源泉は、その独自の言語空間ともいうべきものに由来している。谷崎はこの小説において、語り方としては一人称形式を用い、語られる内容には性的言語を多用した。そこから、主人公の主観的な意識を通じて展開されるお話の世界が、それでなくとも融通無碍な性格を帯びがちなところに、性的言語が氾濫することによって、非日常的で祝祭的な雰囲気さえ帯びるようになる。谷崎は、彼独自の言語空間をうまく活用することで、この小説の表現しようと意図するところの倒錯的な世界を、じめじめした陰鬱なものとしてではなく、明るく祝祭的なものとして描き出しているのである。

痴人の愛

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谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」を、筆者が初めて読んだのは高校生の時だったこと、その時には何とも嫌な気分になって、それがきっかけで、谷崎作品に先入見のようなものを感じるようになった次第については、先稿で書いたとおりである。この小説の何が、思春期の筆者をして拒絶反応を引き起こさせたのか。老人となった今、この小説を読み返して、改めて考えてみた。
永井荷風といえば、いまでは「断腸亭日常」や「日和下駄」などを通じて、日記作者あるいは東京散策の案内者といったイメージが強いが、かつては偉大な小説家として、日本文学史に屹立する大作家だった。そんな荷風の小説家としての業績を、その生涯の足跡と照らし合わせながら読み解いたものに、野口富士男の「我が荷風」がある。これは、荷風の文人としての全体像に迫ろうとするもので、筆者のような荷風ファンにとっては、非常に裨益されるところの多い研究である。
新藤兼人が荷風の日記に接したのは「罹災日録」が最初だったそうだ。もともと荷風の日記に大した興味を持っていたわけではなかったが、これを読んで偏奇館焼亡やその後の放浪、また折に触れて吐露する戦争についての考え方などを通じて、荷風という人間に非常な興味を覚えるようになり、それがもとで彼の日記断腸亭日乗全巻を繰り返し読むようなマニアになってしまった。ただ単にマニアの読者たるにとどまらず、断腸亭日乗をもとにして一本の映画を作るまでに至った。
新藤兼人監督には「墨東綺譚」という作品がある。筆者も見たことがある。津川雅彦扮する主人公に荷風の面影を見、その主人公の女性遍歴を透かして、荷風が生きた時代の雰囲気の一端を感じた気になったものだった。
谷崎潤一郎の母関は美しかったらしい。浮世絵にもなったというから、相当の美人だったに違いない。関には姉妹が二人あって、彼女らもまた浮世絵になるほど美しかったらしいが、潤一郎の母関は群を抜いて美しかった。少なくとも息子の潤一郎はそう思い込んでいたようである。
谷崎潤一郎の二遍の中編小説「神童」と「異端者の悲しみ」は、ともに谷崎自身の自伝的色彩が強い作品だと解釈されている。前者が少年時代を、後者が作家としてデビューする直前の青年時代を描いたものだということになっている。
永井荷風は谷崎潤一郎を高く評価した最初の人だった。谷崎は荷風の高い評価によって、文壇にゆるぎない地位を築くことができたといってもよいほどである。そのことを谷崎は深く感謝して、生涯を通じて荷風を畏敬し続けた。戦争末期に荷風が空襲から焼き出されて関西方面を放浪していた時、谷崎が岡山県の疎開先で荷風の面倒をみたのも、そうした感謝の現れだった。谷崎はある面で非常に義理堅いのである。
筆者が谷崎潤一郎を初めて読んだのは、まだ高校生の頃だった。「刺青」はじめ短編小説を何本か読んだあと「痴人の愛」を読んだのだが、その濃艶な文体と異様な人間心理の描写に圧倒されながらも、何ともいやな気分に陥り、それ以上読みすすむのを放擲してしまった。この文学はどこかに異常なところがある、それは単にそれ自身が異常であるばかりか、読むものまで異常にしてしまう、こんなものばかり読んでいると、きっと頭がおかしくなってしまうにちがいない。筆者は未発達で青臭い知性を以て、そんな風に考えたのだった。
高橋英夫氏が雑誌「図書」に連載している荷風に関する記事が面白くて、ずっと楽しみにしている。フランス語の弟子になった阿部雪子との淡い師弟関係や、晩年になって荷風に近づいてきた相磯凌雪との交友が、興味深く描かれている文章からは、「断腸亭日乗」を丁寧に読み込んだもののみが発見できる、荷風独特の心象風景が浮かび上がってくる。一荷風ファンとしては、答えられない贅沢だ。
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