知の快楽

「存在と時間」の序説第二章は、全体構想の第二部で展開されるはずだった議論の概要を先取り的に説明したものである。第一部での現存在の基礎的分析を通じて浮かび上がってきた存在の根本性格である時間性、それを踏まえて西洋の伝統的な哲学を解体するというのが、第二部の基本的な目的だとされる。ハイデガーがその解体のとりあえずの対象として選ぶのは、カントからデカルトを経て古代のギリシャ哲学にさかのぼる流れである。

「存在と時間」の序説の中でハイデガーは、この著作の目的について簡潔に言及している。それを一言で言い表わせば、存在への問い、ということになる。何故存在への問いなのか。それについてハイデガーは、存在がその重要性にかかわらず、忘れられているからだ、と言う。それではいけない、そうハイデガーは考えたのであろう。忘れられていたものを思い起こすためにも、その忘れられていた当のもの、すなわち存在への問いを発しなければならない。そうすることで、「形而上学」を再び肯定することが、「現代の進歩のしるし」なのだと言うのである。ここでハイデガーが「形而上学」と言っているのは、ほぼ「哲学」と同義の言葉だと、とりあえず捉えておいてよい。

ハイデガーの「存在と時間」には色々な読み方がある。この本自体が未完成な作品であり、ハイデガーが何故これを未完成のまま放棄したのか、ということがあるし、それ以上に、この本が二十世紀の思想に及ぼした影響があまりにも巨大なので、その影響が拠って来たった理由とか、影響の及んだ範囲を考えると、そこに色々なファクターを求める動きが当然でてくるし、それが読み方にも作用するということがある。また、ハイデガーがとった政治的な動き、それは誰によっても弁護のしようがないグロテスクな行為というふうに見られているわけだが、そうしたハイデガーの政治的スタンスとの関係において、この本をどのように評価すべきか、という事情もある。そんな複数の要素が働いて、ハイデガーの主著であるこの「存在と時間」という本は、一筋縄では捉えられないというわけである。

木田元の「わたしの哲学入門」は、生涯をハイデガーを読むことにささげたという木田が、そのハイデガーの視点から西洋哲学の歴史をたどったものだ。なぜそんなことが可能かといえば、ハイデガーには、西洋哲学の歴史を解体しようとする強い意志があって、それを実現するためには、西洋哲学史についての、一貫した見方を持たねばならない。その見方は、西洋哲学をトータルに展望するものとなるはずなので、それを腑分けしていけば、おのずから西洋哲学史について俯瞰することになるわけである。

ハイデガーの「存在と時間」が未完成なのは周知のことである。ハイデガーはこの書物の序説第二章第八節で、この著作の全体像を示しているが、それは二部からなり、それぞれの部が三篇構成になっていた。このうちハイデガーが完成させたのは、第一部の第二編まである。つまり当初構想されていた全体像の三分の一が書かれたに過ぎず、残りの三分の二は途中で放棄されたということになる。ハイデガーに生涯入れ込んだ日本の哲学研究者木田元は、この書かれなかった部分について、ハイデガーが若しそれを書いたとしたらどのように書いただろうか、それをハイデガーの意図を忖度しながら、構築しようとした。あわせて、ハイデガーが何故それを書かずに放棄してしまったのか、その原因についても見極めたい。このような問題意識に導かれながら、この本を書いたということらしい。題名が「存在と時間」の構築となっているのは、木田のこのような問題意識をずばり現しているわけである。

木田元の「ハイデガー拾い読み」は、ハイデガーの膨大な量の講義録から、興味深いところをかいつまんで紹介しようというものだ。木田によれば、ハイデガーの講義録は、大学の講義での話し言葉をそのまま文章にしたものなので、まわりくどく冗長なところがある一方、かんでふくめるような言い方をしていて、凝縮された言葉を使っている論文とは違って、非常に分かりやすい。しかも、哲学史にかかる重要な概念や問題について、本筋からそれたところでそれとなく(肩肘凝らずに)論じている。そういうものの中に木田は、非常に裨益させられるところがあるし、また西洋哲学について深く感じさせられるところもある、と言う。そんなわけでハイデガーの講義録は木田にとって、この上もなく面白い読み物だと言うのである。

ジャック・デリダの著作「精神について(De l'esprit)」は、精神についてのハイデガーの取り上げ方の変遷を主題としたものである。「存在と時間」におけるハイデガーは、精神という言葉を注意深く避けていた、やむを得ず使わねばならないケースでは、引用符付きで用いていた。ところが1933年の有名な総長演説では、この引用符がはずされ、精神という言葉が堂々と使われるようになった。この言葉は、1935年の「形而上学入門」の中で一層磨きをかけられ、ドイツの民族性との強いかかわりにおいて論じられるようになる。そして総長演説から20年後に至って、ハイデガーは精神という言葉の多義性を深く反省しつつ、その本来的な意味について明らかにする。それはドイツ語でなければ言い表せないようなものであって、ドイツ語の優位とドイツ人の優越を物語るものである。つまりドイツ人こそが世界でもっとも精神的な民族なのである、とハイデガーは誇り高く宣言するに至った。大雑把にいうとそうデリダは捉えているようである。

本来性と非本来性の対立は、ハイデガーの根本的な概念セットの一つである。だからこそアドルノは、ハイデガー批判のキーワードとして「本来性という隠語」を持ち出したわけだ。アドルノは、ハイデガーが本来性という言葉で、自分の全体主義的・人種差別的な考えを展開していると言った。ハイデガーは、本来性を人間(現存在)の根本的なあり方と言ったが、じつは彼の考えている本来性とは、個々の人間を民族という全体的な容れ物に解消してしまう、非人間的な概念なのだと批判したわけである。

ジョージ・スタイナーは、オーストリア系のユダヤ人であり、アメリカに帰化し、英語を用いて英米系の人達に向かって、主として文芸批評的なことがらについて、語りかけた人である。その人が二十世紀最大の哲学者といわれるハイデガーについて、哲学を専門的に勉強したこともないのに、あえて書いた。そのことについてスタイナーは、言訳みたいなことを書いている。自分がハイデガーに魅かれたのは、主として言語についての関心からであったとともに、(一人のユダヤ人として)ハイデガーのナチスへのかかわりについて考えてみたかったからだ、というようなことである。

木田元はハイデガーの日本への紹介者として知られる。ハイデガーの紹介といえば、ハイデガーに心酔するあまり、ハイデガー流の難解な言葉を駆使してその思想を賛美するか、あるいはハイデガーのナチス加担という事実をもとに、一方的な批判をするか、そのどちらかに偏ることが多いのだが、木田はどちらか一方に極端に偏ることなく、比較的バランスよくハイデガーを紹介してきた。しかも哲学の素人でも理解できるような平易で、わかりやすい言葉で。そういった点では、非常にすぐれた紹介者と言えよう。

熊野純彦のこの本は、前半では和辻の人間形成の軌跡を、彼の「自叙伝の試み」を引用しながらたどり、後半では人間形成を成し遂げた和辻がどのような思想を抱くに至ったかを、主に「倫理学」を参照しながら腑分けする。しかして前半と後半とは深いところでつながっている。それをつなげている主なファクターは、和辻の自己意識にあるというのが、どうも熊野の見立てのようである。和辻は姫路市北郊の寒村で生まれ育ったが、そこは非常に貧しい村落で、村民はみな厳しい労働に耐えながら生きていた。労働から解放されていた家は、一軒の寺坊主の家と、医師であった和辻の家だけだった。そこで和辻は、この村落に生涯懐かしい思いを寄せる一方、自分はそこから疎外されているといった感情を抱くに至った。この感情はまたエリート意識の裏返しでもあった。そんなふうに熊野の文章からは伝わってくる。

戸坂潤が和辻哲郎の風土論を取り上げて、そのイデオロギー性を批判したのは1937年のことだ。「和辻博士・風土・日本」と題する小論がそれだが、この中で戸坂は、和辻の風土論を、一つにはアラモードでハイカラな時代性を感じさせるとしながら、他方ではそのハイカラな手法を使って日本という国の特殊性、それは他国にすぐれた特殊性という意味だが、その特殊性を強調することで、イデオロギー的な役割を果たしていると批判するのである。

道元の思想は、我々現代の凡俗にはなかなか理解し難く、その著作「正法眼蔵」を読み解くのは容易なことではない。和辻もその全体像には通じていないと謙遜しているが、彼なりの読み方を「沙門道元」の中で披露している。道元には、精進とか仏性とかいった根本概念がいくつかあるのだが、和辻はその中から「道得(どうて)」と「葛藤」をとりあげて、道元の概念的な思考の特徴を彼なりに分析する。それがなかなか興味深い論じ方なのである。

小論「沙門道元」は、和辻哲郎なりの日本仏教論である。和辻は、道元の禅と親鸞の念仏を日本で最初の本格的な仏教=宗教ととらえているようだが、それは真宗と禅宗に代表される鎌倉仏教を、日本で最初に民衆的な基盤の上に成立した宗教と位置づけた鈴木大拙の見方と共通するところがある。大拙の場合には、民衆宗教としては真宗のほうを重視したわけだが、和辻の場合には、道元の禅をより積極的に評価する、という違いはある。

和辻哲郎は「日本精神史研究」の中で、日本の奈良時代以前の古代文化を仏教の受容によって代表させたが、平安時代の日本文化については、清少納言と紫式部によって代表される女流文学を以てその典型とした。ところで、平安時代の女流文学、特に紫式部の「源氏物語」に高い価値を認め、そこに現わされている「もののあはれ」なるものを、日本の文芸のみならず、日本人一般の精神的な本質として称揚した者に、本居宣長が上げられる。それ故和辻の平安文学論が、宣長の所説を大きく意識したものになるのは、ある意味自然なことであった。

「日本精神史研究」に収められた諸論文は、1920年代の前半、和辻の比較的若い頃の業績である。キルケゴールやニーチェなど、ヨーロッパの当時の最新思想の紹介者として出発した和辻が、日本の精神的な伝統について考察したもので、いわば日本文化研究家としての和辻の、処女作品のようなものである。多くの思想家の処女作品が、その後の彼の思想を要約しているように、この書物に収められた作品群は、和辻のナショナリストとしての姿勢を宣言しているようなところがある。

和辻哲郎は、日本の風土とそれが織り成す日本の文化、その担い手たる日本人をどのように論じたか。日本が東アジアに位置し、その限りでモンスーン型の風土類型に分類されることは間違いないが、しかし日本の風土は同じモンスーン型と言っても、インドや中国とはかなり違う。その違いをもたらす特殊性を和辻は、やはり日本の自然条件にまず求める。日本はインドや東南アジアとは違って、単調な熱帯・亜熱帯気候ではない。モンスーン型気候として夏の炎暑と湿潤を有する一方、冬には雪が降る。つまり、亜熱帯型と寒帯型とが共存している。そのことが日本の風土に独特の陰影をもたらす、そう和辻は主張するわけである。

和辻哲郎にとって風土論は、彼の人間論と密接な関係にある、というより人間論の不可分の要素となっている。和辻にとって人間とは、個であると共に全体でもあるが、その全体とは人間の共同態としての社会的な性格のものであり、そこには人間の間柄が働いている。風土というのは、この間柄のあり方を根本的に規定しているのである。したがって風土とは、言葉の表面的な意味から連想されるような単なる自然のあり方ではなく、人間の生き方そのもの、「人間が己を見出す仕方」としてとしてとらえられている。人間は風土を離れて存在し得ない、風土が人間を作る。そのように和辻は考えているわけである。

和辻哲郎が存在論を持ち出してくるのは、人間存在を基礎付けるための方便としてである。その点では、人間存在としての現存在を存在の典型として、そこからすべての存在を基礎付けようとするハイデガーと似ているところがある。存在概念を腑分けするにあたって、ことば遊びを駆使するところもハイデガーと似ている。もっとも似ているのは外面だけで、論理展開の内実はかなり異なっている。そこには和辻の和辻らしさがうかがえるのである。

「人間の学としての倫理学」と題したこの本を和辻は、「倫理とはなにか」という問いかけから始める。その問いに答えるに和辻は、ハイデガー流のことば遊びを以てする。ドイツでハイデガーに師事した和辻は、ハイデガーの存在論を自分の学問の基軸としたとはいえないまでも、ハイデガーのことば遊びは十分学んだようである。この書物はそうしたことば遊びの一つの優雅な成果といえなくもない。

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