「いづら、今は、中納言の君」 とのたまへば、 「あいなき事の序をも聞えさせてけるかな。あはれ、只今の事は、聞えさせ侍りなむかし。」 とて、
「去年の秋ごろばかりに、清水に籠りて侍りしに、傍に屏風ばかりをはかなげに立てたる局の、にほひいとをかしう、人少ななるけはひして、折々うち泣くけはひなどしつゝ行ふを、誰ならむ、と聞き侍りしに、明日出でなむとての夕つ方、風いと荒らかに吹きて、木の葉ほろほろと、滝のかたざまに崩れ、色濃き紅葉など、局の前には隙なく散り敷きたるを、この中隔ての屏風のつらに寄りて、こゝにはながめ侍りしかば、いみじうしのびやかに、
厭ふ身はつれなきものを憂きことを嵐に散れる木の葉なりけり
風の前なる、と聞ゆべき程にもなく、聞きつけて侍りしほどの、まことにいと哀れにおぼえ侍りながら、さすがにふといらへにくく、つゝましくてこそ止み侍りしか。」 と言へば、 いとさしも過し給はざりけむ、とこそ覺ゆれ。さても實ならば、口惜しきは御物つゝみなりや。
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