知の快楽

小児期にも性欲動の働きはあり、それが肛門を対象とした形をとりやすいこと、また、成人の性目標倒錯の中には肛門に固着したものが見られるなどについて、フロイトは「性に関する三つの論文」のなかで触れていた。その肛門愛が性格に及ぼす影響につい主題的に論じたのが、「性格と肛門愛」と題する小論である。これは、「三つの論文」よりほぼ三年遅れて1908年に発表された。

男女の間の性器の結合を正常な性行為と呼び、それを目指す欲動を正常な性欲とすれば、それから逸脱したものは変態性欲あるいは性的偏移という。この「変態」という言葉には、否定的な価値観が込められておりがちで、正常人と異常人との絶対的な断絶をイメージさせるので、正常と異常との関係を相対的なものと考えるフロイトは、「偏移」という言葉の方を好んだ。もっとも、「思春期における変態」という具合に、「変態」という言葉を使用することはあった。

フロイトの理論体系には二つの柱がある。無意識の強調と性欲論である。フロイトは、人間の行動に及ぼす無意識の役割をはじめて体系的な形で明らかにした人である。それまで無意識は、哲学においても科学においてもほとんど着目されることがなかった。その無意識の意義を、精神分析を通じて明らかにした。ほぼ同じ頃に、やはりユダヤ人であるベルグソンが、哲学の領域で無意識を取り上げた。この二人の業績によって、無意識は人間の心を構成する重要な領域として、哲学的にも科学の上でも前景化されることになったのである。

フロイトの思想史上の意義は、無意識に光をあてたことだろう。デカルト以来の西洋思想はもっぱら意識を舞台として、人間の心的活動についての思弁を展開してきた。存在するとは、ある意味意識されているということであって、したがって意識されないもの、つまり無意識の対象は存在しないとされた。意識こそが世界全体を満たしていたのである。

ドゥルーズがベルグソンの大きな影響下に哲学者としてのキャリアをスタートさせたことはよく知られている。かれの初期の思想のキー概念は「差異」と「反復」で、この二つの言葉を結合させた「差異と反復」というのが、彼の初期の代表作のタイトルとなったくらいだ。しかしドゥルーズによるベルグソンの読み方にはかなり手前味噌なところがあり、ベルグソンについての忠実な注釈書と見るわけにはいかない。

篠原資明はベルクソンの哲学を、あるキーワードを手がかりに考察する。それは「われわれはどこから来たのか、われわれは何であるのか、われわれはどこへ行くのか」という言葉だ。この言葉は、ゴーギャンが自分の有名な絵のタイトルとして使ったものだ。それをベルグソンが使った。ベルグソンはこの言葉を持ち出すについてゴーギャンの名に言及していないが、たぶん意識はしていたと思う。ゴーギャンのその絵は非常に有名だったから。

魔術と神秘主義は、一見して同じように見えるが、厳密には違うとベルグソンは言う。両者とも宗教と深いかかわりがあることは共通しているが、宗教に発展段階の相違があるのに対応して、魔術と神秘主義との間にも、人類の宗教意識の変化に応じた相違がある。単純化して言うと、魔術が静的宗教に対応しているのに対して、神秘主義のほうは動的宗教に対応する。もう少し詳しく言うと、魔術は静的宗教と同時に生まれたのに対して、神秘主義は動的宗教が生まれるための準備役を務めたということになる。

ベルグソンの宗教論の特徴は、宗教を静的宗教から動的宗教への発展と捉えることである。静的宗教と動的宗教はそれぞれ閉じた社会と開いた社会に対応している。閉じた社会というと、原始的な社会をイメージし、静的宗教はそうした原始的な社会に成立する宗教と思われがちだが、ベルグソンは原始的な社会を特別視はしない。原始的な社会と現代人の社会とは基本的に異なったものではないと考える。原始社会と現代社会を断絶させて考える見方は、獲得形質の遺伝を根拠にしているが、獲得形質が遺伝することはない。だから、いわゆる原始人も現代の文明人も遺伝子は同じである。それであるなら、静的宗教が持つ意義も、原始人と現代人との間で異なるわけはない、と考えるわけである。

閉じた社会と開いた社会との関係をベルグソンは、都市から全人類への発展と定義している。ここでベルグソンが都市という言葉であらわしているのは、原始時代の人類の生活単位をさしている。それは共同体社会あるいは部族社会であったり、部族社会の集まりとしての国家であったりするが、全人類を包括するようなものではない。そうした都市のあり方を人類のそもそもの始まりとして位置づけたことには、ベルグソンなりの歴史観が反映しているのだと思う。かれの先祖であるユダヤ人たちは部族社会に分裂していたし、ギリシャもまた都市国家の分立の上に成り立っていた。そうした原始社会においては、個々の人間は、人間である前に都市の構成員だったのである。

「道徳と宗教の二源泉」はベルグソンの最後のマスターピースであり、ベルグソン哲学の集大成というべきものである。この著作の直接の目的は、道徳と宗教の源泉について明らかにすることにあるが、その前提として、ベルグソンのすべての思想要素が総動員される。それを具体的に言うと、ベルグソンの人間観及び世界観ということになるが、それらを基礎付けているのはベルグソン独特の存在論・認識論である。ベルグソンの存在論は、存在を直観に還元するものであって、その点では唯心論の一バリエーションと言ってもよい。もっともベルグソン自身はそうは思っておらず、自分の存在論は意識の経験によって基礎付けられているというような、控えめな主張をする。ともあれベルグソンは、意識の直接与件から出発し、その与件すなわち直観を哲学の出発点に据えるわけである。その上で、人間の認識の構造を明らかにしていく。ベルグソンの認識論は、カントの認識論を換骨奪胎したもので、カントのカテゴリーに相当するものを、人間の記憶内容に置き換える。人間は自分の記憶内容をもとに、それを対象と関連付けることで、概念的な認識を獲得する、というのがベルグソンの認識論の基本的な構造である。それを支えるものとして、人間の意識の構造についてのベルグソン独自の見方がある。人間の意識をベルグソンは、持続として捉えた。持続というのは、意識の連続性に着目した概念で、人間の意識は過去と現在とが一体として統合されたものだと考える。ともあれ、「道徳と宗教の二源泉」と題したこの書物は、ベルグソン独自の存在論・認識論をもとにして、道徳と宗教の源泉について明らかにしようとする試みなのである。

脳と思考についてのベルグソンの議論(「精神のエネルギー」所収「脳と思考―哲学の錯誤」)は、ベルグソン一流の物質と精神の二元論の一バリエーション、そのもっとも重要なバリエーションである。脳と思考の関係については、この二つのものが平行関係にあるとする考えが支配的である現状を指摘したうえで、ベルグソンはその錯誤を指摘する。こうした考えはデカルトの哲学からまっすぐに出てきたものだが、それはデカルトが、物質と精神を全く異なった二つの実体だとしたにかかわらず、しかもその間に一定の関係があると認めたことに根ざしている。二つの実体の間に特別な関係を認めなければ、精神と身体との相互関係とか、脳と思考の平行関係などという問題が提起されることはないというのがベルグソンの基本的な考えなのである。

ベルグソンが言う「誤った再認」とは、「或る光景を見ていたり、対話をしているとき」、「いま見ているものはかつて見たことがある、いま聞いていることはかつて聞いたことがある、いま言っていることはかつて言ったことがある」(宇波彰訳、以下同じ)という確信を意味する。その点では、心理学でいう「デジャヴュ」とよく似ている。しかし、デジャヴュが一時的で例外的な体験といえるのに対して、「誤った再認」には恒常的な体験も含まれる。その例としてベルグソンは、三年もかけて、自分のそれまでの生を体験しなおした人をあげている。

夢についてのベルグソンの議論は、20世紀初頭における心理学や精神医学の状況を踏まえたものになっており、その点で科学的な外皮をまとっているが、かなり独特の特徴を持ってもいる。夢の精神医学的な解明という分野では、フロイトが有名であり、かれが「夢判断」を刊行したのは1900年のことである。ベルグソンはその翌年に夢についての講演を心理学協会において行っており、その記録が「精神のエネルギー」の中に収録されている。その両者を比較すると、夢を無意識が表面化したものとする点では共通しているが、フロイトがそれを無意識の願望(特に性的な)と結び付けたのに対して、ベルグソンは願望にとどまらず、もっと広い範囲の無意識な記憶内容が表面化したものだとする点で異なっている。

ベルグソンは国際的な心霊研究団体の会長を勤めたことがあるらしく、1913年にロンドンで行われた心霊研究協会での会長としての講演記録が、「生者の幻と心霊研究」と題して、「精神のエネルギー」に収録されている。

ベルグソンはデカルト主義を20世紀に再興した哲学者である。ここでデカルト主義と言っているのは心身二元論のことだ。デカルトは、物質としての身体と自我の意識としての精神をそれぞれ独立した実体だとしたうえで、相互の関係について思索をめぐらしたわけだが、うまく説明できる原理が見出せなかった。デカルトの後継者たちも、うまい説明ができたとはいえない。唯一スピノザは、精神も物質も実体などではなく属性だと言って、この二つを対立させるのはナンセンスだと言ったのだったが、それは問題を棚上げしたに過ぎない。かれは精神と物質を唯一の実体としての神の属性だとすることで、心身二元論を解消したように見せかけたのだったが、説明するのに神を持ち出すのは、説明を放棄しているにひとしい。

「精神のエネルギー」は、1919年に刊行されたベルグソンの論文集で、ベルグソンが折に触れて発表した論文を集めたものである。これは原型では二分冊になっており、一冊目が「心理学と哲学の特定の問題」を取り扱い、二冊目が哲学の「方法」について取り扱っている。このうち「「精神のエネルギー」と題して日本語(レグルス文庫)に訳されているのは一冊目である。

ベルグソンは、思考を映画の仕掛けに喩えることが好きで、随所で持ち出している。映画の仕掛けというのは、固定した(不動の)映像をつなげて映し出すことによって、動きを演出するものだ。動いているものが不動のものの組み合わせから生まれるというこの仕掛けは、思考に似ている。思考もまた、現象を不動の部分に切り分けたうえで、それらを組み合わせることで連続的な動きを認識する。その不動のものは、とりあえずは現象の一断面だが、それが抽象化されて概念に高まっていることもある。いずれにしても人間の思考は、動きをそのものとしてありのままに受け入れることは苦手で、不動のものの組み合わせとして認識する点で映画の仕掛けと似ているのである。

存在と無をめぐるベルグソンの議論は、西洋哲学の伝統からかなり離れている。西洋哲学の伝統においては、この議論は、なぜ無ではなくて有なのかとか、無は存在の否定だとかいった形でなされてきたが、それらの議論に共通しているのは、存在と無を対立させる考えに立っていることである。無は非存在とされ、存在と鋭く対立させられる。無は存在の欠如なのである。こうした考え方を、ベルグソンはナンセンスだという。無は存在の欠如なのではない。存在の一つのあり方あるいは側面なのだとするのである。だからベルグソンは存在と無の二元論を排斥する。世界は存在によって充たされている、と捉えるわけである。

ベルグソンが「時間と自由(意識の直接与件)」を書いたとき、意識はとりあえず人間を前提としていた。ベルグソンには唯心論的な傾向があるから、精神的な原理が世界を基礎付ける可能性は大きかったわけだが、「時間と自由」の段階では、精神的な原理の担い手としての意識は、人間の精神に極限されていたのである。ところが、「創造的進化」を書くに至り、ベルグソンは意識を、人間に局限されたものではなく、世界全体の生成を基礎付けるものとして捉えなおした。意識はもはや人間の内部に閉じ込められてはおらず、世界全体の生成原理に高められたのである。

進化論を哲学のテーマとして取り上げたのはベルグソンが最初であり、また本格的な哲学的進化論としては、最後の人でもあった。ベルグソンの進化論への関心は、哲学的処女作ともいえる「時間と自由(意識の直接与件)」の中で既に表明されていた。「時間と自由」が発表されたのは1888年のことで、ダーウィンが「種の起源」(1859年)を刊行してからまだ30年にもなっていない。その短い期間に、スペンサーによる進化論の俗流化が始まっている。ベルグソンが取り上げた進化論は、そのスペンサー経由のものであった。スペンサーは、ダーウィンの自然選択説を換骨堕胎して、適者生存説をぶち上げたわけだが、ベルグソンはその適者生存説に大きな影響を受けたようである。ベルグソンの思想の特徴は、人間の知性の働きを、生存の便宜性と関連付けることだが、その人間にとっての生存の便宜性こそは、適者生存と深いかかわりを持つのである。

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