映画を語る

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山本政志の2014年の映画「水の声を聞く」は、在日コリアンのカルト宗教ビジネスを皮肉っぽく描いた作品である。この映画を見ると、在日コリアンがことさらに戯画化されているように思えるが、山本はもともと多国性にこだわる作家なので、在日コリアンをことさらに馬鹿にしているわけではなく、在日コリアンに人間一般を代表させて、その人間という馬鹿げた存在をあざ笑っているのかもしれない。

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往昔、「てなもんや三度笠」というテレビ番組があって、小生もファンのひとりだったが、山本正志の映画「てなもんやコネクション」はそれを意識しているのだろうか。喜劇仕立ての楽しい映画である。「てなもんや三度笠」は、ただのドタバタ喜劇ではなく、ひねったギャグが売り物だったが、山本のこの映画もかなりひねった感じに仕上がっている。

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山本政志の1982年の作品「闇のカーニバル」は、16ミリの低予算映画である。山本自らカメラを持って撮影した。筋書きらしいものはない。新宿あたりにたむろする若者たちの行動を、ドキュメンタリー風に追ったものだ。若者たちの生きざまは、刹那的で快楽至上主義といったもので、いささかの理智をも感じさせない。低能動物のように、なにも考えずに生きている。こういう人種には、今の日本では居場所がないと思うのだが、この映画が作られた頃の日本は、バブルに踊った時代で、ゆとりというものがあり、このようなゴクツブシどもにも生息する空間があった。そういう意味で、時代を感じさせる映画である。

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中田秀夫の1998年の映画「リング」は、その後のホラー映画ブームの火付け役となった作品。あるビデオテープを見ると、その一週間後に死ぬという設定で、そのビデオを見てしまった主人公の男女が、その呪いから解放される道をさぐるというような筋書きだ。

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小林正樹の1965年の映画「怪談」は、小泉八雲の一連の怪談話に取材した作品。四編の話をオムニバス風に並べたものだ。四編のうち「雪女」と「耳なし芳一」は例の有名な「怪談」から、「黒髪」と「茶碗の中」は他の短編小説集から、それぞれ取り上げている。

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ラテン系の民族は一概にセックス好きという印象が強いが、なかでもスペイン人は、日々おおらかなセックスを楽しんでいるようだ。そのスペイン人の映画監督フリオ・メデムも、セックスをモチーフにした映画を作った。2001年の作品「ルシアとSEX」は、そんなメデムの代表作である。

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フリオ・メデムの1998年の映画「アナとオットー(Los Amantes del Círculo Polar)は、両親同士が再婚した義理の兄妹の恋愛をテーマにした作品だ。兄オットーの父は、妻と離婚してアナの母と結婚した。アナの父は交通事故で死んだのだった。オットーとアナはもともと同じ学校に通っていて、互いに好意を抱きあっていたのだったが、かれらの両親が結婚したのは偶然のことだった。オットーは、父親が母親と離婚したことにわだかまりがあったが、アナと一緒に暮らせるのがうれしかったので、母親と一緒に暮らしながら、週末にはアナのいる父親の家で過ごすのだった。

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アレハンドロ・アメナーバルの2009年の映画「アレクサンドリア(Agora)」は、古代末期のエジプトで活躍したギリシャ系女性天文学者ヒュパテイアの半生を描いたもの。彼女はキリスト教会の迫害を受けて、無残な殺され方で死んだ。キリスト教史の暗黒面のヒーローといえるので、キリスト教国ではあまり触れたがらないテーマだ。それをあえてとりあげたアメナーバルは、無神論者なのかもしれぬ。

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アレハンドロ・アメナーバルの2004年の映画「海を飛ぶ夢(Mar adentro)」は、尊厳死をテーマにした作品だ。ホラー映画やサスペンス映画など娯楽性の強い映画を作ってきたアメナーバルとしては、めずらしく社会的な問題に取り組んだもの。

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アレハンドロ・アメナーバルの2001年の映画「アザーズ(Los Otros)」は、スペイン流の幽霊映画である。日本で幽霊映画といえば、生きている人間が幽霊に悩まされるというパターンがほとんどだが、この作品は逆に、幽霊が生きている人間に悩まされたり、幽霊同士が脅かしあったりする。実に奇妙な映画である。

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アレハンドロ・アメナーバルの1997年の映画「オープン・ユア・アイズ(Abre los ojos)」は、ある男の夢の中の世界を描いたものだ。スペイン語の原題は「目を覚ませ」という意味。これは主人公の男が目覚ましの警告音に設定した女の声なのだが、その警告音で映画は始まる。そこで男は、目を覚まして街へと出かけていくのだが、それが夢の中の世界らしく、街には誰もいないのだ。そんなわけで、映画の全体がその男の夢のようでもあるし、また一部は現実のようでもあるという具合で、実に複雑な構成になっている。ともあれ夢の中の世界をあたかも現実の世界のように描いている点で、サイケデリック映画と言えよう。

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マイケル・ムーアは、現代政治を厳しく批判するドキュメンタリー映画作家として知られる。かれの批判は、主に共和党の政治家たちに向けられる。だから共和党からは蛇蝎の如くに憎まれている。とりわけ共和党の憎悪の対象となったのは、ブッシュ政権を批判した「華氏911」だ。これは息子ブッシュを戯画的に描く一方、共和党議員たちの偽善的な態度を皮肉っぽく描いていたので、モデルにされた人たちからは、強い反発を受けた。

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アレハンドロ・アメナーバルは21世紀のスペイン映画を代表する監督である。1995年に「テシス(Tesis)」でデビューした。23歳の時である。当時のスペイン映画界の観客動員記録を塗り替えるヒットだったそうだ。実際観客を楽しませてくれる映画だ。アメナーバルには、映画というものは芸術性ではなく興行性を重んじるべきだという持論があったようで、デビュー作のこの作品で、その持論を実践して見せたというわけだろう。

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スタンリー・キューブリックの1964年の映画「博士の異常な愛情」は、原題を Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb というが、米ソの核戦争がテーマだ。頭のいかれたアメリカの将軍が、独断でソ連への核攻撃を空軍に命令する。それを受けて、水爆を積んだ爆撃機が一斉にソ連攻撃に向かう。事態を察知した大統領は、急遽安全保障会議を開き対応を協議する。同時にホットラインを通じてソ連の首相とやりとりし、最悪の事態を避けようとする。しかし事態の悪化を止めることはできず、アメリカ側の爆撃機がソ連国内に水爆を投下する。それに対してソ連側も反撃。地球は核兵器によって破壊される、というような、ぞっとする内容の映画だ。

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スタンリー・キューブリックの1962年の映画「ロリータ」は、ナボコフの有名な小説を映画化したものである。小生は原作を読んでいないので、比較することはできないが、聞くところによれば、ナボコフはこの映画に失望したというから、原作の雰囲気とは違ったもののようである。原作では、ロリータはローティーンの少女ということになっており、その少女に中年男が異常な愛を向けるというものだったようだが、この映画の中ではロリータはハイティーンになっており、しかも性的な場面は全くといってよいほど出てこない。原作はその部分を売り物にしているわけなので、それが出てこないでは、気の抜けたサイダーのようになってしまうだろう。

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1999年の映画「ナビイの恋」(中江裕司監督)は、沖縄の人々の暮らしぶりを描いた作品。舞台は沖縄本島の西50キロの海に浮かぶ離島、アグニ島だ。そこに暮らす人々をユーモアたっぷりに描く。沖縄民謡や西洋音楽などをふんだんに取り入れ、なかばミュージカル仕立てになっている。見ても聞いても楽しい映画だ。

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スタジオ・ジブリによる1988年のアニメ映画「火垂るの墓」は、野坂昭如の同名の短編小説をもとにした作品。直木賞を受賞したこの短編小説は、野坂自身の体験を書いたものだと言われた。実際野坂は、疎開先で幼い妹を栄養失調で死なせている。その痛恨の思いを書いたということだが、一部にフィクションも交じっているとされる。その原作を小生は未読だが、アニメは原作をほぼ忠実に再現したということらしい。

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2016年公開のアニメ映画「この世界の片隅に」は、こうの史代の同名の漫画を映画化したものである。広島の沿海部で生まれ育った娘が、十八歳で呉のさる家にとつぎ、戦時中の厳しい世の中をけなげに生きる様子を描く。原爆には直撃されなかったが、米軍の空襲にまきこまれて、同行していた小さな少女を死なせ、自分自身右手を失いながらも、絶望することなく必死に生きる、そんな女性の生き方を、共感をこめて描いた作品である。

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岩井俊二の映画作りの特徴は、思春期の少年少女にこだわることだ。「Love Letter」では、同姓同名の中学校の男女の生徒がそれと意識せずに初恋らしいものを味わうところを描いたし、「スワロウテイル」では、中国系の在日少女を中心にして、在日外国人の生きたかを描いた。「リリイ・シュシュ」もまた、中学生の男女たちの思春期を描いた作品だ。だが先行する作品とは違いもある。いじめとか暴力といった、思春期の陰惨な側面に焦点を当てているのだ。

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岩井俊二の1996年の映画「スワロウテイル」は、在日外国人の生態を描いた作品。日本のどこかの町に、在日外国人がスラム街のようなものを作って住みこんでいる。かれらは日本社会に溶け込めないで、あくまで異邦人として暮らしている。中には日本生まれで日本語しか話せない者もいるが、それでも彼らは外国人と見られている。そんな彼らは、自分たちのことを円都と呼んでいる。円だけが目的の外国人集団という意味らしい。

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