映画を語る

iwai01.lleter2.JPG

誰しも青春時代のほろ苦い思い出をもっていることだろう。初恋のときめきというのは、老年になっても忘れられないものだ。それゆえ、映画でもくりかえし描かれ、そのたびに感動を集めてきた。その感動はさわやかであったり、涙をさそうようなものだったりする。それを月並みだと言って笑うのは無粋なことだ。

ishii03.yumeno2.JPG

石井聰亙の1997年の映画「ユメノ銀河」は、夢野久作の小説を原作にしている。夢野久作は大正末期から昭和初期に活躍した怪奇小説作家で、幻想的な雰囲気を得意とした。この映画はそうした夢野の世界を映像として再構成したものだ。一見かなり荒唐無稽なところがあるが、それは原作の雰囲気を再現しているのだと思う。

ishii02.hati2_edited-1.jpg

石井聰亙の1995年の映画「水の中の八月」は、少年少女たちが繰り広げるSF風の作品である。人類の不遜が原因で雨が降らなくなり、人々は石化病という奇病にかかって次々と倒れていく。それを見た高校一年生の少女が、自分の身を水にささげることで、再び雨を降らし、人々を救うというような内容である。内容としてはドラマチックなのだが、現実離れしていることと、画面が非常に悠長に流れるので、あまりドラマチックには感じない。

ishii01.gyaku1.JPG

石井聰互の1984年の映画「逆噴射家族」は、実に奇妙な映画である。題名にある「逆噴射」というのは、ジェットエンジンの逆噴射から来ている。ジェットエンジンが逆噴射すると、飛行機は後ろに向って飛ぶのではなく、運動が狂いをきたして墜落してしまう。実際にそうした事態がおきたことがあって、この映画が作られた頃には、「逆噴射」という言葉が流通していたそうだ。しかしこの映画が描くのは、ジェット機の逆噴射ではなく、家族の狂気である。

spain05.bokuno4.JPG

ダビド・トルエバはフェルナンド・トルエバの弟だが、年の差も離れ、別々に活動している。2013年の作品「「僕の戦争」を探して(Vivir es fácil con los ojos cerrados)」は彼の代表作である。原題は「目を閉じれば生きるのはやさしい」という意味で、ビートルズの曲「ストリベリーフィールズ・フォーエヴァー」の一節。この映画は、あるビートルズ狂をめぐる愉快な出来事を描いたものなのだ。

spain04.belle2.JPG

ベル・エポックといえば、普通は、19世紀末から20世紀初めにかけて、フランスに花開いた文化の香り豊かな時代を指して言う。スペインでは違う意味で使われているらしい。フェルナンド・トルエバの1992年の映画「ベル・エポック(Belle Époque)」は、1930年代のスペインに一時的に実現した共和制の時代を描いている。その時代が一部のスペイン人にとってはベル・エポックつまり「善き時代」だったと言いたいようである。

spain03.kegare2.JPG

1955年制作のスペイン映画「汚れなき悪戯(Marcelino Pan y Vino)」は、聖人の伝記ともいうべき作品。伝記と言っても、この聖人マルセリーノは五歳で死んだことになっているので、伝記というよりは、少年はいかにして神に召されたか、というような設定になっている。この少年マルセリーノは、母親が恋しいあまりにイエスキリストに会わせて欲しいと頼み、それをイエスキリストが受け入れて、少年を天国の母親のもとに連れて行くのであるが、それは信仰深い人びとにとって、感動的に受け取られ、この少年を聖人としてあがめるようになったのである。

spain02.sur3.JPG

ビクトル・エリセの1983年の映画「エル・スール(El sur)」は、エリセにとって二作目でかつ最後の長編劇映画である。テーマは、少女とその父親との謎めいた関係。謎めいたといっても、それは父親の行動が謎めいているということで、少女自体には謎めいたところはない。彼女は父親の謎めいた行動に振り回され、それがもとで反抗したりもするが、基本的には父親を深く愛しているのである。

spain01.bees1.JPG

ヴィクトル・エリセは寡作な映画監督で、生涯に三つの長編作品しか作っていない。そのうち一本はドキュメンタリー映画だから、通常の劇映画は二本だけだ。1973年の作品「ミツバチのささやき(El espíritu de la colmena)」は、かれの最初の作品。テーマは子供の目を通じての、スペイン社会の現実だ。この映画は1940年のスペインの田舎を舞台にしており、フランコ政権が樹立したばかりで、スペインはまだ混乱を脱していなかった。そんなスペインが子供の目にどう映ったか。それをこの映画はあぶりだしている。

portugal04.vanda2.JPG

ペドロ・コスタはポルトガルのドキュメンタリー映画作家である。さまざまなドキュメンタリー映画で世界の注目を集めた。2000年に作った「ヴァンダの部屋」はかれの代表作だ。カンヌで話題になった。

portugal03.light1.JPG

2012年制作のポルトガル映画「家族の灯り(O Gebo e a sombra)」は、マノエル・デ・オリベイラの遺作である。これを作った時、オリベイラは103歳になっていた。その年で映画を作ったものは他にいないのではないか。日本では新藤兼人が99歳で「一枚のはがき」を作ったのが最高齢の記録だ。

portugal02.yorugao1.JPG

2006年の映画「夜顔(Belle toujours)」を作ったとき、マノエル・ド・オリベイラは98歳になっていた。この映画をオリベイラは、ルイス・ブニュエルが1967年に作った「昼顔(Belle de jour)」の続編として作った。昼顔で描かれていた情景の40年後の出来事というような位置付けである。原題のBelle toujoursは、Belle de jourをもじったのだろうが、これは「いつでも美しい」という意味で、夜顔という意味はない。夜顔はフランス語でFleur de lune(月の花)と言う。

portugal01.home1.JPG

ポルトガル出身の映画監督マノエル・ド・オリベイラは、二十台で監督デビューしたものの、本格的に映画作りをするようになったのは七十歳以降だという変わり種である。老いてなお映画の情熱を失わなかったのは、日本の新藤兼人と似ているが、新藤の場合には若い頃から百歳になるまで、絶え間なく映画作りをしたのに対して、オリベイラの場合には、七十を過ぎてから旺盛な映画作りを始めたという違いがある。

jap78.sono4.JPG

中原俊の1990年の映画「櫻の園」は、女子高生たちの青春を描いた作品。出演した俳優のほとんどはオーディションで選ばれた少女たちとあって、みな幼いところを感じさせるが、中には大人びた者や、不良っぽい者もいる。その彼女らが、精いっぱい声を張り上げながら、青春を謳歌するというのが、この映画の見せどころ。少女の当事者にも受けそうな雰囲気の映画である。

kkurosawa08.sanpo1.JPG

黒沢清の2017年の映画「散歩する侵略者」は、SF映画の一種といってよいが、ほかのSF映画とはかなり趣を異にしている。これは異星人による地球攻撃の話なのだが、異星人が直接地球を攻めるわけではなく、何人かの地球人に乗り移り、その地球人が攻撃の手引きをするというもの。その点は怪談仕立てになっているわけで、怪談話が得意な黒沢の趣味を盛り込んでいる。

kkurosawa07.dagereo1.JPG

黒沢清の2016年の映画「ダゲレオタイプの女(La Femme de la plaque argentique)」は、日仏合作ということになっているが、事実上は、黒澤がフランスに招かれて作ったフランス映画だ。スタッフもキャストもフランス人だし、言葉もフランス語だ。かつて黒澤明がソ連に招かれて「デルス・ウザーラ」を作ったのと同じと考えてよい。

kkurosawa06.kisibe4.JPG

黒沢清の2015年の映画「岸辺の旅」は、亡霊たちをテーマにしたものだ。その亡霊たちが、亡霊らしくはなく、あたかも現実界の人間と同じように振る舞うというのがこの映画のミソで、これを見ると、人間界と幽界との境界があいまいになる感覚に見舞われる。黒沢清にはもともとそう言う傾向があったが、この映画にはそれが極端な形で出ている。

kkurosawa05.sonata2.JPG

黒沢清の2008年の映画「トウキョウソナタ」は、リストラで解体の危機に瀕した家族の物語である。近年の日本社会は、リストラで生活基盤を失う人や、最初から非正規雇用で不安定な生活を強いられる人が増えているので、この映画はそうした世相を如実に反映したものとして、他人ごとではないという気持ちにさせられる。ホラー映画が得意だった黒沢としては、シリアスな作品だ。

1987年の12月に、ガザ地区で自然発生的に始まったパレスチナ人のイスラエルへの抵抗は、やがてヨルダン川西岸へも波及し、全占領地での全面的な抵抗運動へと発展していった。これをインティファーダという。インティファーダとは、アラビア語で蜂起とか反乱を意味する言葉で、大規模な民衆蜂起を意味するものとして使われている。

kkurosawa04.kairo1.JPG

黒沢清の2001年の映画「回路」は、日本流ホラー映画といったところだ。日本流と言うのは、怪談仕立てになっているからだ。幽霊が出て来て人々を驚かす。しかも驚かすだけではなく、次々と不可解な死に方に誘い込む。それも人類全体がやがて死滅するのではないかという瀬戸際まで人類を追いつめる、といった具合で、やや大袈裟なところが子供だましのようにも見えるが、怪談の伝統を踏まえて、一応大人でも見られるものにはなっている。

Previous 25  26  27  28  29  30  31  32  33  34  35



最近のコメント

  • √6意味知ってると舌安泰: 続きを読む
  • 操作(フラクタル)自然数 : ≪…円環的時間 直線 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…アプリオリな総合 続きを読む
  • [セフィーロート」マンダラ: ≪…金剛界曼荼羅図… 続きを読む
  • 「セフィーロート」マンダラ: ≪…直線的な時間…≫ 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…近親婚…≫の話は 続きを読む
  • 存在量化創発摂動方程式: ≪…五蘊とは、色・受 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…性のみならず情を 続きを読む
  • レンマ学(メタ数学): ≪…カッバーラー…≫ 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…数字の基本である 続きを読む

アーカイブ