映画を語る

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クロード・ルルーシュといえば、1968年のグルノーブル冬季オリンピック記録映画「白い恋人たち」の監督として有名だ。その二年前に作った「男と女(Un homme et une femme)」は、かれの出世作となった作品である。

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アニェス・ヴァルダの映画「幸福(Le Bonheur)」をはじめて小生が見たのは学生時代のことだ。大学内で自主上映されていたこの映画を、親しい友人に誘われて見に行ったのだが、見ての印象は、フランス人というのは。道徳的に問題のある人間たちだということだった。男は平気で不倫をして、それを妻に隠さないし、女も妻子持ちの男と気軽にセックスする。不倫に絶望した妻が、二人の小さな子を残して入水自殺する、というのもちょっとショッキングだった。日本の女は、妻子持ちの男には決して手を出さないものだ、またたとえ亭主が浮気をしたとして、それくらいで自殺する女などいない、と思ったことを覚えている。

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アニェス・ヴァルダは、女流映画作家の先駆者といえる人だ。ベルギー生まれだがフランスで育った。キャリアとして映画人を目指していたわけではなかったが、1955年に自主制作した「ラ・ポアント・クールト」がきっかけで映画界への道を選んだ。この映画は、自分が少女時代を過ごした南仏セートを写したドキュメンタリー風の作品だったようだ。斬新な映像処理が後に評判になって、ヌーヴェルヴァーグの先駆的作品と評価された。

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ロベール・アンリコの1975年の映画「追想(Le vieux fusil)」は、ナチス・ドイツに妻子を殺されたフランス人医師の復讐を描いた作品。それも単身で12人の兵士を相手に戦うという壮絶なものだ。主人公は、子どもの頃に父親が愛用していた狩猟用の古い散弾銃を持ち出して、それを武器に相手を次々と殺していくのである。途中で助け舟を出してくれた人々にも頼らない。あくまでも自分が妻子の仇をとることにこだわるのだ。かれはドイツ兵を殺しながら、その合間に妻子の思い出に耽る。その追想の様子を、日本語のスタッフは重視して、「追想」という邦題をつけたのだろう。原題のLe vieux fusilは、古い散弾銃という意味である。

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ダルデンヌ兄弟は社会の底辺で必死に生きる人々の姿を描き続けた。2012年の映画「少年と自転車(Le gamin au vélo)」は、親に捨てられた子供と、その子の里親になった女性との心の触れ合いを描いた作品だ。じつに考えさせられるところの多い映画である。

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ダルデンヌ兄弟の2008年の映画「ロルナの祈り(Le silence de Lorna)」は、アルバニアからベルギーにやってきた女性の、移民としての生き方を描いた作品だ。移民には出稼ぎ気分の者と、移民先の国民として迎えられることを願う者とがいるが、移民先の国民の資格をとることは非常にむつかしい。また、その資格をとったとしても、ドイツに住むトルコ人のように、ドイツ人社会から疎外されている者もいる。そうした移民問題の深刻さの一端を、この映画は考えさせてくれる。

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子供の心のまま大人になってしまったような人間が、どの時代のどの国にもいるものだ。いまでもそういう人間が大国の政治指導者になっているのは珍しい眺めではない。ダルデンヌ兄弟の2005年の映画「ある子供(L'Enfant)」は、そんな人間を描いた作品だ。

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ジャン=ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌはベルギー出身の映画監督で、兄弟で映画作りをしている変わり種である。カンヌでパルム・ドールをとった1999年の映画「ロゼッタ(Rosetta)」は、かれらの代表作といってよい。ベルギーの下層社会で必死に生きる女性を描いている。

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市川準の2005年の映画「トニー滝谷」は、村上春樹の同名の短編小説を映画化したものである。原作にほぼ忠実で、違う所はエンディングに多少の演出が加わっていること。原作はトニーが天涯孤独の身になったところで終わるのだが、映画では妻のかつての恋人が登場していやみをたらたら言ったり、トニーが女を解雇したことを後悔するシーンが加わっている。これらは小説としては全く不要なものだが、映画には、全体を引き締める効果があるかもしれない。

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市川準の1997年の映画「東京夜曲」は、前作の「東京兄妹」同様、市川のある種器用さのようなものを感じさせる。これといった劇的な要素がなく、その意味でアンチ・ドラマといってよいのだが、観客を退屈させることはなく、なんとなく最後まで見させてしまい、見終わったあとでそれなりの余韻を残すといった具合だ。こういう映画は、だいたいが失敗に終わるものだが、そうさせないのが市川の腕の見せ所といえようか。

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市川準の1995年の映画「東京兄妹」は、両親に死なれて二人だけで暮らす兄妹を描いた作品。タイトルが示すとおり、東京の一隅、画面から都電の荒川線の沿線雑司ヶ谷界隈とわかる所を舞台にしている。雑司ヶ谷の鬼子母神が度々出て来るから、この兄妹はその付近に暮らしているのだろうと思う。両親が残してくれた小さな家に、二人だけで暮らしているこの兄妹を、カメラは淡々としたタッチで追う、というような作り方だ。

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市川準の1990年の映画「つぐみ」は、大人になりきらないというか、まだ成長期にある若い女性の青春のひとこまを描いた作品である。原作は吉本バナナの同名の小説で、若い女性読者から圧倒的な支持を受けて、ベストセラーになった。若い女性たちが感情移入できるような作品だったからだろう。この映画も、若い女性が感情移入できるように作られているが、小生のような老人が見ても、十分鑑賞にたえるものがある。

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坂東玉三郎の1995年の映画「天守物語」は、デビュー作の「外科室」同様、泉鏡花の作品を映画化したものだ。「外科室」はわけのわからぬ筋書きだったが、こちらは幽霊女が生きた男と恋に陥るというもので、荒唐無稽の度合いが一段と深まっている。そこが鏡花らしいところで、その鏡花らしさを玉三郎は、歌舞仕立てにして心憎い演出をしている。傑作といってよい。

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坂東玉三郎といえば、昭和末期から平成にかけて、歌舞伎を代表する女形として活躍した人だ。器用な人らしく映画もいくつか作った。1992年に作った「外科室」は映画人としてのデビュー作で、大きな話題をさらった。泉鏡花の小説をわずか50分足らずで映像化したものだ。

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ソ連時代からロシア人を代表する映画監督だったアンドレイ・タルコフスキーは、ソ連邦映画大学の出身だ。その映画大学をタルコフスキーは1960年に卒業するのだが、その卒業課題映画として作ったのが「ローラーとバイオリン(КАТОК И СКРИПКА)」である。他の学科の卒業論文に相当するものだ。

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2004年のロシア映画「ナイト・ウォッチ(Ночной дозор)」は、人類の異種をテーマにした空想映画である。人類の異種というとわかりにくいが、たとえば哺乳類にはその異種として有袋類があるように、人類にも異種があるということらしい。哺乳類と有袋類の種間差別は形態学的なものだが、人類とその異種との差別は能力的なものということになっている。人類の中でたまたま異様な能力を持ったものが、異種として分類されるというわけである。

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1986年のソ連映画「不思議惑星キン・ザ・ザ(Кин-дза-дза!)」は、ある種のディストピア映画である。ロシア人にとって、ソ連とディストピアの組合せは、なにかミスマッチなものを感じさせるが、この映画はそれを緩和させる意図からか、ディストピアを地球とは別の惑星に設定している。その惑星に紛れ込んでいった地球人が、そこで異常な体験をするというもので、そういう点ではSF映画としての側面も持っている。

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ケン・ローチの2016年の映画「わたしは、ダニエル・ブレイク(I, Daniel Blake)」は、格差社会イギリスにおける貧困を描いた作品。妻の介護で蓄えを使い果たし、あげくは病気のために働けなくなった老人と、二人の子供をかかえて貧困にあえぐシングル・マザーを描いた。そのかれらが、なんとかして公的な制度を使って生き延びようとするが、役所の形式主義に妨げられてなかなか思うように保護が受けられない。役所は、困った人々に積極的に手を貸すのではなく、かれらをなるべく排除するように動いている、といったメッセージも伝わって来て、たんなる貧困問題を超えて、社会的な分断と差別を感じさせられる映画である。

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ケン・ローチの2007年の映画「この自由な世界で(It's a Free World...)」は、外国人労働の搾取をテーマにした作品である。外国人労働の不当な搾取については、日本でも大きな問題となっている。とくに、技能実習生をめぐっては、実習生の弱い立場につけこんだ不当・無法な扱いが蔓延しているとされ、それが一種の奴隷労働だとまで言われている。そういう問題は、日本でとくにひどいのかと小生などは思っていたが、この映画を見ると、イギリスでも同じような事情だと伝わって来る。ほかの国のことは知らないが、外国人労働の搾取は、先進資本主義国家にとって、ゆゆしき問題だと、あらためて思わされたところだ。

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ケン・ローチの2006年の映画「麦の穂をゆらす風(The Wind That Shakes the Barley)」は、アイルランド独立戦争の一齣を描いた作品。アイルランド独立戦争は、1919年から1921年にかけて行われ、その結果アイルランドには広範な自治が認められ、一国家として国際社会に認知されるようになった。しかし、その独立のあり方をめぐって、アイルランド内部で分裂が生まれた。イギリスとの関係を重視して、共通の女王を戴く立憲君主制をとる立場と、イギリスからの完全分離と共和制を求める勢力とが対立し、内戦にまで発展したのである。この映画は、アイルランドの独立を求める人々の闘いを描くとともに、独立後の内戦をも描く。それらにかかわった兄弟の生き方を中心に、かれらがやがて兄弟同士で殺しあう悲劇が、この映画のハイライト部分だ。

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